Saturday, June 15, 2013

ビデオとアーチスト

 昨年の今頃だろうか。僕のレーベルからCDをリリースしたばかりのバンドのライブを四条烏丸辺りのライブハウスに観に行った。といってもただ観るのではない。ビデオを撮影してプロモーションに役立てようというのが最大の目的。楽しみに行ったのではなく、仕事で行ったのだ。

 で、撮影して帰る直前に挨拶。「後でYouTubeにアップしとくから」と言うと、「ちょっと待ってください。そんなにいいライブの出来ではなかったし、これは公開したくないです。イメージをコントロールしたいので」と。そう言われると無理にアップするわけにはいかない。ライブに行ったのも撮影をしたのも、100%ではないにせよ無駄になった。

 もちろんアーチストにはアーチストの方針があっていい。だがそれが周囲とのバランスをどう取るかが大切なんだと思う。忙しい中ライブに出かけて撮影したのにそれを使えないということになれば、次に労力をかけることには躊躇してしまう。僕もそれなりに忙しい。時間をかけるなら意味のある確率が高い方にかけたい。もっと手伝って欲しいと思うバンドは他にもいるのだから。

 まだ売れていないバンドが伸びるのかどうかは、もちろん第一義的には本人たちが奏でる音楽の質なのだが、それをどう広めていくのか、その上でどうやって周囲を巻き込んでいくのかということも非常に重要な要素になってくる。周囲を巻き込むというのは、自分たち以外に動いてくれる人を何人作る事ができるのかということである。ライブに来てくれるだけの友人も重要だし、スタッフとして動いてくれる人も重要だ。将来的には懸命にやってくれる所属事務所との連携という意味合いもあるし、報じてくれるメディアの人たちをどれだけシンパに出来るのかということにもつながってくる。

 そう考えた時に、彼らの「今回は公開したくない」というのは自分の首を絞めることにつながるだろうと思った。別になにも「オレのビデオ撮影の労力を無駄にしやがって」という私怨から言っているのではない。自分ですべてを管理&コントロールしたいという気持ちが強ければ、周囲を巻き込むことは不可能になってくるからだ。巻き込まれるというのは、当事者感覚になるということである。自分がやらなきゃ回らないという感覚にさせられれば、周囲を巻き込むことに成功したも同然だ。そうすべきときに「自分の思い通りにやりたいから」の一言で拒絶するのは、要するに「あなたは当事者として口を挟まないでくれ」ということである。それでは周囲は協力してくれない。もちろんアーチストがアーチストとして守らなければならないものはある。それがなければアートではない。だから絶対にそこは妥協してはいけない。しかしすべてを思い通りにしようとすると誰も協力してくれなくなる。その妥協すべきところと妥協すべきではないところをどこで峻別するのかが、結局は成功するかどうかを分けてくる、と僕は思う。

 かつてビクターに勤めていた時のことだ。なかなか知名度が上がらない女性4人バンドを売り出すため、担当者がプレイボーイのグラビアの話をまとめてきた。それが彼女たちに取ってプラスだったのかどうかはわからない。だが本人たちが一旦OKを出したのだ。だが、撮影する段取りまで組まれた段階でメンバーの1人からNGが出た。彼氏からダメ出しがあったとかなかったとか。担当者は集英社に平謝りだ。当然彼はもう彼女たちのために動くなんて気持ちにはなれないだろう。でも事態はそれだけで終わらなかった。ビクターとしてそのバンドのケアはしないことになった。事務所はどうだったかというと、他の所属バンドもあるのだ。そもそもの理不尽はバンド側の個人的な考えにある。ビクターとケンカするよりもバンドを干すという結論になった。メジャーデビューまでしていた人たちが、グラビアの話を途中で「いやだ」と言い出したことでその活動を終了することになってしまった。

 今ならメジャーを辞めても自分たちだけでインディーズで自主制作すればいいのかもしれない。だがそれはどこに所属するかという話ではなく、周囲をどれだけ巻き込めるのかという話である。集英社に掛け合ってなんとか露出を図ろうと頑張ってくれるようなスタッフを怒らせるようでは、小さなレベルでの周囲の協力も得られないだろうと思う。規模の大小ではない。身近な人たちとの共有ができるかどうかという話である。

 で、その僕の撮影を無駄にしたバンドは普通ならそこで終わりである。いや、バンドそのものがということではなく僕との関係がという意味で。だが、ほぼ1年を経過して彼らから連絡をしてきた。次のCDをリリースしたいと。会社に来てもらい、いろいろと話もした。そもそも彼らの音楽に対する評価は高かったし、それをなんとかしたいという気持ちも消えてはいなかった。なので前回の経緯なども話し、今後の計画なども大まかに話し、リリースをすることになった。それで先週ライブに行き、ビデオを撮って軽く編集を施して、今回はYouTubeにアップした。その映像がこれ。



 これは家庭用ビデオカメラ1台で撮影したものをFinal Cut Proで色調を加工し、AfterEffectで文字を重ねただけのもの。このアングルで撮影するためにはライブハウスのスピーカーのすぐ前に立つ必要があり、音声は割れて最悪になる。なのでCDの音声を重ねた。CDの音声だけだとライブっぽくないので、割れたライブ音声にリバーブをかけて重ねている。ここまで約1日。我ながらよくできたと自画自賛している。

 これが彼らにとってどういうクオリティなのか、アップする前に確認はとっていない。これで「ちょっとマズいッスよ」と言われるようならもうこれ以上付き合っていけないだろうと思う。もちろんこれが最上クオリティのビデオというつもりはない。いいビデオを作ろうと思えば何ランクも上のものを作ることは可能なはずだ。当然予算も天井知らずになっていくわけだが。まだまだこれからのバンドにそんな予算があるわけもなく、その予算を作るためにもこれから頑張って売れていかなければいけない。いいものを作るために、予算が必要なら、その予算を稼ぐために売れる。売れるということは音楽を作ることと関係ない汚いことという意見を言われることもあるが、僕はそうは思わない。さらにいいものを作るには、金だけではないけれども、金も必要になってくる。それを実現するために売れる必要があるのであって、それは純粋にいいものを作るために必要な要素なのだ。

 話が逸れてきたので戻すが、その後メンバーがTwitterで「1カメでここまで出来るとは」とつぶやいていたので、それなりに評価してもらったのだろう。評価されようがされまいが、僕は僕なりに僕の出来ることで動くことしか出来ないわけで、マイナスにさえならなければ多少のプラスとして評価してもらう以外にないんだろうと思う。それにこのビデオが本当につまらなくて足を引っ張るようなものでしかなかったならば、後から削除すればいいだけの話だし、そもそもバンドの致命傷になるほど一気に広まったりはどうせしないのである。


 ビデオは今のインディーズにとって非常に重要だ。音だけで聴かせるよりも映像付きで見せた方が印象に残りやすいし、興味が持続する。どこで聴かせるかということで考えても、myspaceやsoundcloudは音楽が好きな人は知っているが、普通の人には浸透していない。Twitterなどでリンクしても、知らないサイトにはなかなか飛んでいかないことを考えてもYouTubeの方が見てもらいやすいし、そこで音だけ流していてもすぐに消されてしまう。映像付きなら20秒くらいは見てもらえる可能性が高い。だから、ある意味何でもいいから映像が必要なのだ。写真をつなぐだけの映像でも構わない。ライブの映像があればもっといい。引きの動きがない映像よりは1カメでもいいから寄りの映像を入れた動きのある映像の方がいい。2台でいいので複数のカメラで撮影して切り替えながらの編集を施せばさらにいい。iPhoneのカメラ程度でもライブ以外の映像を加えてPVを作れればもっといい。数十万円以上の費用をかけて本格的なPVを作るのはその先で十分だ。

 ある海外のアーチストのビデオを先日偶然に見た。自分の家でいろいろな楽器を固定のカメラで撮影したものを編集したビデオだ。これがなかなか面白い。製作過程がとてもチープであることもすぐにわかる。でも面白い。それがこれ。



 予算がなくともこんなビデオは作れる。予算がないから作れないなどというのは言い訳に過ぎないと思う。


   前段で触れたバンドstunning under dogのことを、僕は非難しているのではない。むしろ逆だ。非難するのなら最初からビデオを作ったりはしない。むしろ、前作でコミュニケーションが途切れかけたところを自分たちの行動でリスタートさせ、なんとか前に進もうとしている姿勢がむしろ頼もしいとさえ思っている。普通なら1枚出しただけでフェードアウトしてしまう。最悪のケースなら「キラキラが何もしてくれなかった」と各地で悪口を言うことだってあるだろう。でも彼らはそうならず、再び関係を修復させた。確認しておきたいのだが、なにも僕はキラキラレコードに確実な未来があるなどと言っているのではないし、ウチとつながってないと絶対に売れないぞなどと言っているのでもない。他で成功する可能性は当然あるし、相性の問題も実際にある。だが、ウチとそういう感じでフェードアウトするということは、他所でも小さなことでスタッフを排除し、溝を作ってしまうということを繰り返す可能性が十分にあるということだ。仮に彼らがビッグスターになっていくとすれば、それはいずれインディーズの枠に収まらなくなり、他のところに所属するということでもある。だとすれば、今のうちにその点で脱皮しておく必要がある。それは普通は意外と難しいことだ。そうそう出来ることではない。だが彼らはそれを克服して今に至っている。そういう姿を目にするのは、いい音楽に出会うよりも稀だし、だからこそとても嬉しいことだ。今後の活躍を積極的に応援していきたいという気にさせられる。