Thursday, January 29, 2009

俺聴きー2009年1月26日@秋葉原タワーレコード


相対性理論/『ハイファイ新書』
「コレが非現実的現実」
 これはバンドか?ポップには一応バンドと歌ってあるが、軽いタッチの女性Vo。メディア露出なしでとか言っているけれども、タワレコ店頭というのが既にメディアだと思う。で、この軽いタッチのボーカルが、最初は珍しくて新鮮だが、やがて飽きてくる。だがはっぴいえんどなんかも最初はこんな感じだったのではないだろうか。評価が定まってしまえば誰もが抵抗なく賞賛するが、未だ評価されていないものには素直に肯くのは難しいものだ。これにノンフィクションのドキュメンタリー番組BGMなんかに使用して意味性を加えると化けたりする可能性はないとは言えない。音楽としてそのくらいのクオリティはある。メロとかリフレイン感、アレンジに切ない感じとか、プロが集まって作ったモノという気がする。
 ジャケがアニメ風の女の子のイラストなんかになっていて、秋葉原で試聴したということもふくめて、なんかオタクではない人には手を出すのに抵抗感がある。もしも普通にバンドをやっているミュージシャンのCDだったとしたら、本人たちにとってはこのアートワークは結構マイナスかもしれない。だがジャケが効果的なデザインになっていることなんて稀だし、そういう意味ではどんなジャケやコンセプトであっても、こうして店頭で大きく展開されているだけで結果オーライといえるのではないだろうか。純粋に音楽として買っても損はないとは思うが、今日買うのは止めておく。
 
 
 

School of Seven Bells/『Alpinisms』
 洋楽インディー担当のT氏のコメントによると、2008年でダントツに心地よかったということらしい。ジャンルなんて軽く飛び越えちゃうと言っているが、僕は逆に「これはなんてジャンルだ?」と問いたい。こういう音楽に造詣が深くないので、ワールドという言葉でお茶を濁すが、そんな感じに「さわやか」というフレーズを足した、そんな感じなのだ。心地良いのは確かだけれど、個人的にはもっとパッションを感じられるような音楽が好きです。僕はこれ、聴きません。というかこれを聴くシチュエーションを想像できないのです。
 
 
 

GaliLeo GaliLei/『雨のちガリレオ』
 閃光ライオット08のグランプリバンドの1st.。まあ、有り体に言えばポップなバンプオブチキンという感じ。才能はあると思う。でも、何故今そこ(バンプ的な音楽)を目指すのかよって感じで残念に思う。つまり、誰かのフォロワーになるのではなくて、自らがパイオニアになるという気概を持って欲しいと思うのだ。でもこんなバンドはすごく多い。今だったらミスチルもどきのバンドとバンプもどき、くるりもどきとエルレもどき。もうそんな柳の下には何も残ってないと思うのだけれど。
 ここまで言って良いのかどうかはわからないけれど、バンプに憧れて音楽を始めたのはいいけれど、じゃあ自分たちが何を表現したかったのかはよくわからないまま、なんちゃってバンプな音楽を作ってきてしまったということなのだろうか。しかも無意識のうちに。それを賞賛して舞台に上げてしまう大人も悪いね。まあ大人には大人の事情というモノがあって、やむなくそれをグランプリにしているだけのことかもしれないしだからこそ、ミュージシャンは自分というモノを確立してぶれないでいられる強さが求められるのだと思う。
 内容について触れると、ハスキーな声質のボーカルなのだが、ある瞬間にハスキーさが消えて太くたくましいボーカルになったりする。この太い声質というのはある程度力を込めた状態でしか実現できない部分なのだろうと思う。だとすると、全編を通してハスキーさを押し出していくのがいいのではないかと思う。というのは、Aメロとサビで違う人が歌っているような印象になってしまうからだ。そうなってしまうと彼らの音楽が露出していった場合に、リスナーの印象が個々で違ってきてしまうのである。そういうことを誰か彼らに教えてやって欲しい。
 
 

埋火(うずみび)/『わたしのふね』
 オビのコピーには「近頃甘口の「うた」が多いとお嘆きの貴兄に.../辛口の『埋火』をどうぞ」というのがある。見汐麻衣という女性ボーカルのフォーキーな歌声がウリなのだろう。悪くない。実に丁寧に歌っている。でもこれを「辛口」といって喧伝されると、ちょっと違うよねという違和感が残ってしまうと思う。まあ、作り手のエゴと私小説的世界を受け入れられるかということが、買うかどうかのポイントだろう。僕はまだ受け入れられていません。