Saturday, January 24, 2009

泥船政治

 呉越同舟とは、同じ舟に敵同士が乗っていることの故事である。今にも転覆しそうな舟に乗れば、仇敵であっても敵対心を忘れてその危機を乗り越えようとするというという例えで、そもそもは孫子の、死地であっても兵士の心を固め、生きる道を探れという教えである。
 
 それはまさに今の自民党の状況だといえるかもしれない。右派左派、改革派守旧派、派閥を軸とした人脈の対立などなど、様々な対立が入り組んだ敵対関係のセンセイ様たちが入り乱れながら、何とかひとつの政党に留まっている。だが自分たちがそもそも敵同士だと思っていないふしがある。だからこの同舟によって自分たちが生きる道を本気で探ってはいないようなんだな。
 
 消費税増税問題で造反懸念を乗り越えて、党がひとつにまとまろうとした。その手法は玉虫色の妥協である。その妥協を妥協であるとして隠そうとせずに、ある極は「当初の方針の通りに党が決定をした」と自慢げに語り、もう一方の極は「これで11年度までに成立は無理なんですから」と断言してしまう。両者が言っているのはまったく反対のことであるにもかかわらず、それを強調する余地を残したことで双方が堂々としていられるらしい。彼らは一体誰に向かってその強弁を通そうとしていて、誰に対して胸を張っているのだろうか。まったく見えない。しかもどうするのが国のため、そして国民のためになるのかという視点がまるでない。そういうことがわからない国民だと思っているのだろうとしか思えない。要するに、一方は「今は苦しくても何とか財政を立て直そう」としていて、もう一方は「今苦しい人にモルヒネを打って痛みを和らげよう」としているのだろうと思う。だとすれば、それを通すために懸命になるべきで、今回こういう妥協に至ったことについて、それでも最も近い道なのだと説明してほしいと思うのだ。妥協をせずに青年のような猪突をすればいいとは思っていない。それは愚か者の行動でしかない。世の中は理性だけで動いていないというのも承知しているし、だから、妥協であっても時としてそれが必要だということも判る。
 
 だが、今回の妥協はそれぞれの立場を肯定するための妥協でしかなく、どういう趣旨でその結論で合意したのかということがまるで説明されない。これでは「官僚たちの意見を取り入れてまとめたのであって、自分たちはよく解っていないのです」と言っていると言っているのとほぼ同じではないか。ある人など「私は離党するなんてことは一言も言っていない」とか平然と言っている。確かにそうだろう。だが言ったも同然の空気を作っていたのは事実である。それをもし、マスコミが勝手に言っただけだと言うのだとしたら、その人の感覚というのはあまりにも国民を無視しているとしかいいようがないのではないかと思うし、そういう人が想い描く国の未来とは一体誰にとって意味のあるものなのだろうかと、首をかしげざるを得ないのだ。
 
 呉越同舟がいうところの危機乗り越えとは、転覆しようという危機に立場や怨念を乗り越えて協力することで力を発揮するということである。しかし今回の妥協はそういうものではなく、上半身は穏やかな表情を湛えていて、下半身で足の蹴り合いをしているようなものでしかない。これでは転覆を避けることが出来ないのではないかと、アンチ自民の僕でさえ「おいおい」と気遣いたくなる状況である。
 
 僕は、彼らは呉越が同じ舟に乗ったということでは無いのだと思う。なぜなら協力などまるでしていないのだから。それどころか、現状の自民党という舟がどういうものなのかということも理解していないのだろうと思う。それはもはや既に泥船なのだ。ある者はそれが泥船だということに気付き、なんとか瓦解してしまわないように策を講じようとしている。それに対してある者は泥船だとは気付かず、策を講じようとしているものの行動を邪魔しようとしている。そして別の者は泥船だと知ったから、舟の外は激流だということを知りつつも、敢えてその激流に飛び出している。
 
 これ、すべてが政治家のことだということでもないし、そして策を講じようとしているのが首相の側だという単純な図式でもない。なぜなら、首相はやはり守旧派であり、改革には消極的な姿勢を示しているからだ。僕自身の立場を誤解されたくないので敢えてこれだけは言っておきたい。
 
 
 さて、その泥船で、確信的になにかを行おうとしている者もいる。それは、もはや後がない人たちだ。彼らは実際の生命という意味でも、政治生命という意味でも、それほど残り時間は無いということを自覚しているのだろう。そういう人は頑固だ。頑迷といってもいいだろう。そういう頑迷な人たちの行動は、ある意味サッパリしていて爽やかだ。だが、だからこそ自分の行動は正しいのだと思い込んで邁進してしまって、周囲の柔軟な決定に対して障害となることも多い。見ていて歯がゆい思いをしてしまうのだが、それを選挙で取り除こうとしてもそう簡単ではないだろうし、だからこそ、僕らは状況を正視して、正しい判断をしなければいけないと思うのだ。