Wednesday, February 18, 2009

俺聴き:2009年2月15日川口アリオHMV(Vol.1)


福原美穂/『RAINBOW』

 シングルを試聴したときは「この娘は歌が上手い」と思ったのだが、シングルだったので買うほどでもないかなと、アルバムが出たら買ってもいいと思った。で、今回アルバムが出て、買う前に試聴したら、かなりつまらなかった。何故かというと、すごく黒かったからだ。
 黒いというのは、別に腹黒いとかではなく、要するにブラックミュージック的になっているということで、結局この人はそんなことがしたかったのかという感じがするのだ。普通に聴かせればこの人の歌の上手さと声の良さは普通に伝わると思う。だから普通に歌わせればいいのだ。もちろんそれではどうプロモーションをしていいのかということがハッキリしないという難点はあるだろう。火がつくまでじっと我慢できるほどの体力が、プロダクションにもレコード会社にも無いのかもしれない。だが、ここはもう少しじっくりと歌の上手さを着実に知らせていくような仕事をしていった方がよかったのになあと思う。で、このアルバムリリース前には海外の教会でゴスペルを歌っている彼女の映像がCMなどで頻繁に流されていたが、その流れを汲んでこのブラックな曲調に、彼女の歌いまわし。狭いところにアーチストを追い込みすぎだなあと思う。ブラックミュージック的な歌い方に彼女自身慣れていないのではないかと思うのだが、それが、「単にブラックミュージックに憧れて真似している人」みたいな印象につながっている。残念。歌は上手いのだ。それが活かされていない。焦点を絞ろうとしてかえってぼやけてしまった例になってしまった。
 
 
 


スケルトエイトバンビーノ/『青春のうた』

 よくできた青春HIP HOP。ラップを取り入れて、オレンジレンジを真似するとこうなりましたという感じ。いや、よくできてますよ。爽やかです。でも僕はうちに帰って聴きたいとは思いません。聴きたいと思う人も多いと思います。単に趣味の問題です。僕にはなんにも響いてこないのです。
 
 
 


Pe'zmoku/『ハルカゼ』

 Pe'zとsuzumokuのタッグ。どういう経緯でそうなったのかはわからないが、事務所の中でのコラボレーション。ホーンサウンドがオシャレなPe'zとフォーキーでトゲのあるsuzumokuの、両者の良いところ取りをねらったのかもしれないけれど、僕には両者の特徴が薄まって、消えて、丸くなってしまったような印象。熱くもなく、ポップでもない音楽が登場したなあという気がする。Pe'zは普通のロックバンドにないサウンドを持っていて、でも、それがなかなかブレイクしない。思うに、スカパラを超えられずにいるのだと思う。事務所も苦労しているだろうなあと思う。そこに登場したsuzumoku。これをテコになんとかならないかと思ったのだろう。suzumokuそんなにルックスよくないし、歌は良いもののこのままでは永井龍雲になってしまうとでも思っただろうか。危惧しただろうか。ちょっとオシャレなものと組合せて、アクティブにしたら世間にウケるとでも思っただろうか。それでも特徴がなかなか見えてこないから赤いとんがり帽子をかぶせたらキャッチーになると思っただろうか。確かにキャッチーだ。でもそれは誰にでも出来ることで、Pe'zにしか出来ない世界、suzumokuにしか出来ない世界というものがあって、そういうものを持っているアーチストというのは実は少なくて、だから、それを熟成させていく必要があると思うのだが、しかし残念ながら、それを急速に受け入れてくれるほど日本人の音楽的懐の深さというのは深くない。メシは食わねど高楊枝なんて悠長なことをいっている場合ではないというのも現実だが、それによって貴重なものが失われているというのもまた事実のような気がする。そういいながら、自分はなんなんだという自省の念も抱きつつ、このユニットは昨年のツアーで解消して、またそれぞれの道で踏ん張ってもらいたいと思っていただけに、残念な印象のこの1枚だった。オシャレだけど、僕は買わない。
 
 
 


阿部真央/『ふりぃ』

 過剰なまでのPOPなトラックに乗ってしまった1曲目でタイトルチューンの「ふりぃ」がわざとらしいが、それ以外のトラックでは戦っている感じで、彼女の独自色を出すことに近付いている。ヤマハとポニーキャニオンがこの阿部真央をどうしていきたいのかがよく判らない。アルバムを通して聴いたときにこれが彼女の普通の声質とは思えないような声は椎名林檎を思わせるようで、それでアレンジと演奏は必要以上にPOPなのだ。特にギターのフレーズがPOP。その結果、これをどう評価すべきか、彼女の方向はどこに向いているのかがまったく判らない結果になってしまっている。
 あくまで想像だが、阿部真央は結構自分のやりたいことを主張するも、ファーストから自分勝手もできず、そのことをプロデューサーはある程度理解するが、全体の「もっとPOPを」という「普通」の意見に押されて、タイトル曲はそういうテイストの楽曲にして、それ以外の曲で独自色を出していこうとしているのだろう。
 もっとPOPをというのは、理解できる。放っておけば本当に椎名林檎のようにマニアックなところに行き着いてしまう危険性を持っているアーチストだ。だから会社として方向性を矯正しようというのは当然の意見だ。だがそのPOPの方向性が違うのだと個人的に思う。この人の特徴として重要なのはその声質だ。その声質は、現時点でポッカリと空いてしまっているジュディマリのマーケットをかっさらってしまえる可能性を持った声質だ。もちろんジュディマリは単に声質だけで売れたのではなくて、ロックとポップのギリギリの境界線の上で踊っていた、希有なバランスのポップミュージックである。しかもメッセージをちゃんと持っていて、しかし独り善がりでアングラなものでもないというメッセージ。そういった様々な要素が組み合わさって出来たひとつの価値を、凄く単純に表面的にとらえた似非ジュディマリたちが現れては消えていく。ここ数年はその繰り返しで、だからそのマーケットはポッカリと空いているのだ。
 で、阿部真央は主張を持っている。音楽も持っている。声質も持っている。あとはそれをどう出すかというだけなのだが、本人に任せるとアングラに傾きすぎ、会社に委ねると焦点のぼけたポップミュージックになってしまう。ああ、創造とは斯くも難しいものかとか思わずにはいられないのだが、まあそういった微妙なパワーバランスの中で今後どのように踊っていくのか、泳いでいくのか、そういうことを眺めているのも悪くないと思ったりする。
 そういう悩みはたくさん抱えているものの、このアルバム自体のクオリティは、期待も込めて十分に買うに値すると思う。皆さんも買ってください。きっと楽しめます。