Saturday, February 07, 2009

末期

 どこまで適当なんだろうか? そう思わずにはいられない麻生総理と自民党のみなさん。郵政民営化には反対だったって、そりゃないだろう。野田聖子が言うならまだいいよ。復党の際にこの件について納得しますよ認めますと誓約書を提出して戻ってきたのだから本来はいけないことだが、それでも「私は反対をした」と言ったとしてもまだわかるし、復党するときに誓約書を出したときの忸怩たる思いは想像に余りあるから、まあいいだろうと思う。しかし、しかしだ。麻生さんは当時の総務大臣だし、反対したと言っても閣僚を辞任せずにいたということ、衆議院本会議での投票では賛成票を投じたということ、この2点で彼はギリギリ民営化に賛成をしたということなのだろうと思う。
 
 人間の決断というのは、たった一つの条件だけで決められるほど単純ではないことがほとんどだ。何かを得れば何かを失う。消費税アップなんかもそうだ。上がらないに越したことはないけれど、それでは社会の今後に不安が増大する。だったら上げても仕方ないだろうというのが良識ある判断といえよう。同じように郵政選挙の時に、郵政民営化はあまり良くないと思っても、それを押し通すと議席を失ったり影響力を失ったりして他の政策を推し進めることが出来なくなる。だから泣く泣く賛成したのだろう。気持ちとしては本来反対だったんだって、思ったとしても言ってはいけない。なぜなら、そんなことを今さら言うんだったらその時に断固として言っておくべきだし、その反対によって自分の立場が危ういものになったとしても言うべきだし、それが出来なかったとしたら、所詮その程度の反対の気持ちでしかなかったとしか言いようがないだろう。
 
 一方、当時のその政策を推し進めることに対して国民がどう判断したのかというと、やはりこの国には改革が必要だということだったのである。自民党ではダメだと思っている人が当時でもかなりいたし、僕自身そう思っていた。しかし小泉さんなら本当にやってくれるかもしれないと思ったから、それに賭けたのだ。自民党に勝たせることには不安もあった。だが、小泉さんの不退転の姿勢に賭けてみたのである。今となってはその判断が半ば正しく、そして半ば間違っていたという思いである。それは、小泉さん後のこのていたらくを予期できていなかったから。こんなことになってしまうんだったら、もっと早く民主党に政権を取らせてみるという実験をさせておけば良かったと思う。だが後悔しても始まらない。だから国民としては選挙で次の選択をさせてもらうだけなのだが、麻生さん率いる自民党はその際の選択肢としてはまったく話にならないことがよく判った。
 
 まあこの数日で自民党の中からも麻生さんの発言に対して「これはマズイ」という声が続出しているし、麻生さんもいろいろな説得を受けたか、俺はそんなことは言ってないよとか言を翻したりしているけれども、その言い方、笑ってしまう。まるでマスコミが煽って世論がねじ曲げられているかのような、俺こそが被害者だとか言いたげなのだが、僕らは彼の発言を見ているだけなのである。誤解しないでくださいよ、私は当時から反対だったんだ、今こそ見直すべき時に来ていると、彼は言っていた。それはそれでひとつの見識だ。良いか悪いかは別として、それが彼の意見なのだったらそれを主張するべきだ。まさに郵政選挙直前の選択の機会が彼には訪れた。だが、またここで筋を通さない。マズイと思ったか、断末魔の自民党の未来をさらに追い込んだと気付いたか、言を翻す彼の十八番だ。だがその言い方がまたまたマズイ。俺は悪くない。何故ならこういう理由だからと、その言い方はまさに強弁。それは官僚たちがずっと使ってきた自己主張の方法とまったく同じじゃないか。しかも、露見必至のレベルの低い方法で。
 
 まあいいや。もはや僕ごときが言ってどうなるというほどのイメージダウンは明らかなのだし、ますます解散が遠のいたということ以外は、やがて国民の一票がなにをか変えるだろう。ただ、鳩山さんのかんぽの宿問題や石破さんの農業改革問題とか、古賀さんの定数是正問題、小泉さんの一院制問題なんかの、飛び道具的なものとか今それを言っていつ結論が出るんだというような付け焼き刃的な問題提起が行われていて、そういうもので問題の本質から国民の目を逸らそうとしている動きが出ていて、そういうのに騙されないようにしたいと思う。まあこれも、僕ごときがこんなところで言ったからといってどうなるものではないのだが。