Wednesday, February 04, 2009

憲法違反?


 内閣が進める公務員制度改革に人事院が抵抗。改革の中で幹部公務員の人事を一元的に管理するための内閣人事・行政管理局を新たに作り、省庁のポストの数の決定など人事院の業務の一部を移すことに対する反対なのだが、人事院総裁によると、反対の理由はそういった人事改革が憲法違反の恐れがあるということらしいのだ。
 
 まあこれは権力闘争というか、自己保身(個人というより、組織の保身)したいなあという思いがあからさまに出てしまった珍しい事例だろうと思う。経緯からすると、まず先日の会議に人事院総裁が欠席したために首相出席の会議が開かれなかったという。それで甘利大臣が激怒して「ありえない。人事院総裁には辞任してもらわなければいけない」みたいなことを口走ったのだが、実際は罷免権もなく、本人が辞めないといえば、弾劾裁判でも起こさない限り辞めさせることが出来ないらしい。
 
 ここで「憲法に違反するおそれがある」ということを持ち出して反論しようとしているわけだが、これは単に問題を引き延ばしてうやむやにしようという戦法だと思う。必要なことは憲法違反の恐れがあっても拡大解釈によって押し進めてきた日本なのだから、恐れがある程度では押し切ることが出来ないということはわかっているはず。それでも憲法違反「の恐れ」で抵抗しようというのは、よほどそうされてしまうことがイヤなのだろう。
 
 今朝、件の人事院総裁がTBSの生番組に自ら登場した。そんなところに出なくても内閣の会議に出ればいいのにと思うのだが、出てくるのだから仕方がない。で、一応彼なりの論を展開していた。国家公務員には労働争議権が制限されているから、その部分を補うために人事院が仕事をしているんだとか、みのもんたがいろいろと国民感情をもって突っ込んでみると「それはそれで反対はしていないが、そこだけを変えると全体が歪んでしまうから、すべての問題について議論をしてからでないといけない」とか言っている。もっともだ。確かに言っていることはもっともだ。だが、うざい。ウザイと思いませんか? こんなことばかりで生きてきたのだろう、この人は。すべての問題について100%正しい答えなんてないのだ。どこにも対案はあるし、抵抗はある。対案や抵抗にも理由とか理屈とか屁理屈があって、それをさも正論だと振りかざしている姿が、見ていてウザイと感じるのだ。
 
 ただ、ウザイというだけでは単なる感情論。僕なりに「何故この人がウザイのか」ということを考えてみたい。それは要するに、この人が自分の立場を間違えているということなのだろうと思う。
 
 例えば、自民党の人は自民党の案がいかに正しいかということを言うだろうし、民主党の人は民主党の案の正しさを主張する。その内容如何はともかく、自分のチームと反対のことをやっていたら、それはダメなのだ。いくら「私は国民の代表だから、国民のためになることを言う」といっても、選挙の時に政党の後押しを受けて当選しているのであれば、やはりそれは裏切りだ。ダメなのだ。クソなのだ。言うなら離党してから言おう。そうでなければ、ウザイのだ。
 
 これをもしプロ野球選手がやったとしたらどうだろう。一般にそれを八百長という。八百長は犯罪だ。刑事事件かどうかは別として、球界からは追放される。ダメなのだ。いけないことなのだ。
 
 で、この人事院の人。この人の立場は一体何なんだ? 彼の説によれば、内閣が人事権を持ったら公務員は非道い給与体系を押しつけられたりするかもしれないし、そういうことをさせないためにも独立色の強い人事院というものがあり、国家公務員の防波堤となっているということらしい。もちろんそうだ。働く人にも生活がある。人生がある。だからそれを誰かが守らなければいけない。それは一見正論だ。
 
 だが、それは独立性を与えられて自立した運営を出来るということは、逆に言えばアンタッチャブルな権限とか、裁量が与えられているということでもある。そうなると、そこに暴走の可能性が生まれる。そして今、「暴走してるんじゃないの?」という疑義が、国民全体からかけられているのだということを、彼は肝に銘じなければいけないだろう。思えば前回のWBCのとき、アメリカ人審判が日本に不利な判定を繰り返した。審判は絶対だ。彼の判断が試合のルールだ。微妙な判定はあるだろう。ギリギリの中でどっちにすればいいのか迷うこともあるだろう。しかし、その判定の根拠が公平という言葉の上に置かれなければ、それは疑惑を生む。そうなるとその試合で頑張る意味も無くなるし、誰もが興味を失う。審判は独立的絶対的な権限が与えられている。だからこそ、その公平性という問題については人一倍厳しい姿勢で臨まなければならないのだし、だからこそ選手も観客もその判定に従うのである。
 
 一方で人事院総裁。彼もまた公平な視点での状況判断をしていかなければならない立場だ。だからこそ大きな権限も与えられているのだし、尊敬も受けるだろうし、給与も与えられるのだ。では、その給与はどこから来るのか。それこそが彼の置くべき「公平」の位置づけの根拠なのだと思う。言うまでもないことだが、その給与は税金からくる。つまり、彼を含めて国家公務員、官僚組織は国民の奉仕者でなければならない。つまり、現状のバランスを考えたときに、なにが国民のためになるのかという視点抜きには人事院もクソも、官僚組織もありえないのだ。で、現状とはなにかというと、民官格差というものが言われているわけで、そのもっとも大きな問題となっているのが天下りと渡りの問題である。官僚が退職した後に大企業や独立法人などに再就職する。そして短期間に転々と退職と就職を繰り返し、多大な給与と退職金を受け取るという実態がはっきりしている。彼らは「経験や見識のある者が請われて行くのだから問題はない」とか言っているが、だからといってそれが短期間での莫大な退職金につながるとは理解に苦しむ。しかも巷間言われているのは彼らはただ座っているだけで、そういう天下りを受け入れた企業に対して官公庁が仕事を発注することによって、彼らの給与が賄われているということ。要するに税金の還流を行っているに過ぎない。彼らが税金を貪っているのだ。
 
 これは非道いよということで、渡辺さんも頑張っていたし、だけど麻生自民党の元ではそれは逆行しているということで離党に踏み切った。それで世論がそういうところに集まってしまったから、麻生さんも慌てて天下りとか渡りを禁止したいということにシフトしていった。まあその発想は貧困だなあと思うが、それでも、そうなっていくことは悪いことではない。遅きに失したけれども、麻生さんも頑張れよとちょっとだけ思う。
 
 だが、それに激しく抵抗したのが人事院の谷総裁。いや、御説ごもっともですよ。しかし、あなたは誰なのですか? そしてなんのために、誰のためにその御説をお話しなのですか? 
 
 公務員が将来に不安を覚えていたのでは仕事にならないという人もいる。将来の就職活動をしながらでは仕事は出来ないという。だがそれは甘えだ。日本にもはや終身雇用は無くなっているのである。なぜ公務員だけが終身雇用を保障されるのか? そして倒産の不安を感じずに仕事が出来るのか? というより、今問題となっているのは超高級官僚の渡りとかである。国を背負っているという自負はないのか? 生活のためだけに仕事をするのなら去れと言いたい。もっと高い意識で命も投げ打つくらいの気概で仕事をしてくれよ。しかも渡りとかやっている人たちって、それなりの給与を得ているんじゃないのか? フリーターとかになることを余儀なくされている人たちとは明らかに違うレベルの生活をしているのじゃないのか? それでも「自分たちは生活が不安だ」とか言いまくっているのか? それはおかしいだろう。と、一般市民は思っているぞ。
 
 なんかエキサイトしてきたのでちょっと戻すが、要するに、今の官民格差というのは、なんか八百長試合を見ているような気分なのである。大リーグのオールスターチームが高校生を相手に試合しているような感じなのである。そこに出てきた審判が、大リーグチームに有利な判定をしようとしている感じなのである。だからもうそんな試合は見るのやめようとか思うのである。そうなると、彼らがいかにいい仕事をしていても国は良くならないぞ。税金払いたくないと普通に思うようになる。いや、もちろんお金は払いたくないのが普通だが、それでも国に誇りを持てるのならば納得できる。もちろんその価値観が過剰になって、戦前のように国家のためには命も捨てようということになってしまうのはダメだと思うが、だからといって国に誇りが持てないというのもダメなのだ。人は一人だけで生きていけるわけもなく、だから所属する社会というものに参画していくことが必要だし、その際に誇りを持てるということは重要なファクターだ。しかし今世の中に聞かれる状況はとてもそこに誇りが持てないような状況である。その象徴的な論として、谷人事院総裁のような人が出てきて何の疑問もなく官僚擁護、官僚優遇状況の保護を主張する。その主張と、主張を正論とするための道具として憲法問題を持ち出してくる。これがどうにも厄介だし、頭に来るところである。
 
 官僚はこざかしいとよく言われるし、政治家の要求に対して読めるわけもないくらいの分厚い資料を期限ギリギリに提出して、その途中に重要で都合のいい文章をもぐり込ませてくるらしい。だがそういうのの実例は僕らのところまではなかなか知らされることはない。でも今回の件では注目が集まってしまった故に僕らにもよくわかるなあと思うのだ。まずは会議を欠席する。時間稼ぎだ。そして主張の根拠として憲法違反を持ち出す。一部ではなく全体を議論しろと言う。これも時間稼ぎだし、ハードルを高くする方法だ。
 
 だが、彼がもしも国家国民のことを考えさえすれば、彼自身が国家公務員の退職の問題とか、給与の問題とか、そういったことを含めて素晴らしい対案を出せばいいのである。それによって国家公務員の生活も改善され、天下りとかをしなくてもいいようなプランを示し、国民が納得するようなことになれば済む話だ。僕なんかがそれを言ったってまるで意味がないが、彼はそれを言って人々が聞くような立場にあるのである。なのに、しない。反対のみをして、もっと正しい案をださない。それでは現状を改善しようという気がないといわれても仕方がないし、そんな人が天下りしていて3年程度で3億くらいの退職金を公金から還流させて支払った上、あまつさえ重要な職に就かせてそれなりの給料を2期以上も与えているのはなんなんだろうと、思わざるを得ない。
 
 ああ、なんかどんどん書いてしまって、結論にも行かない上に時間もどんどん無くなってくる。なのでこの辺で。とにかくこのオッサンの顔つき見てて、心地よい感じにはまったくならない。