Sunday, February 15, 2009

少年メリケンサック


 クドカンの新作映画。というより宮崎あおいの新作映画というべきか。で、僕は観に行った。確かにクドカンの前作『真夜中の弥次さん喜多さん』も観た。彼の激しいファンというわけではないが、公開初日に観た。『篤姫』だって観たぞ。面白かった。同じように宮崎あおいの激しいファンなんかではまったくないが、篤姫は面白かったぞ。でもやはりこの映画を観に行く理由は、オッサンでもパンクという、その設定にとても興味があったのだ。
 
 映画冒頭で、宮崎あおい扮するカンナがそのパンクバンド「少年メリケンサック」をネットで発見するわけだが、こういうのはシビアだねと思った。本当にいいバンドというのは凄みがある。でもスクリーンに登場する若き日の少年メリケンサックにはそれがない。カンナはその映像に衝撃を受け、やっと見つけたと興奮するし、その報告を受けた社長も「これは本物だ」と叫ぶが、観ていて僕は「本当にすごいと思うのか?」と首をかしげる。そういう設定だからと飲み込むしかないのか、それとも本当に本物を出してきてもらう必要があるのか、そこは非常に難しいことだ。もちろん本物が簡単に作れるわけがない。映画というものはそもそもそういうもので、大がかりなオープンセットや、CGを駆使した技術によって、見栄え的な「リアリティ」は常に創出してきた。だがパンクバンドのリアリティが技術で作り出すことは出来ない。そのことも十二分に判っているつもりだし、そもそもこれはフィクションなのだ。たとえ映像として遠藤ミチロウとか仲野茂なんかが登場したとしても、これはあくまでフィクションの娯楽映画。払ったチケット代を払い戻してもらう訳にもいかないのだから、引き続き観続ける。
 
 で、詳しく説明するわけにもいかないが、いろいろとあって、話は展開していく。娯楽映画として笑わせる必要があったりするもので、真剣な音楽業界の人の目としては「なんだこりゃ」的なエピソードとかが出てきまくって、こっちも笑いまくったりする。クドカンの本領発揮だなとか思うし、その勢いは弥次喜多よりも遥かに勝っている。面白い。そう思って笑っているうちに、あれ、こいつら結構パンクだなと思い始めてくるのだった。
 
 そもそもパンクってなんなんだ? それは反逆である。反体制である。社会に対するアナキズムである。結果として、鬱屈した世界に生きる底辺の人や若者たちに支持される。と、言われている。では、何が反逆なのか? 反体制の歌詞を歌えばパンクなのか。それだったらプロが作ることが出来る。でもそういうものは簡単に露見し、若者はその匂いを敏感に感じ取り、支持などしない。いくらピストルズの真似をしてもダメだし、そのピストルズ自体も安易な再結成で支持を失う。例え音楽形態はパンク的ではなくとも、スライダースはパンク的な支持のされ方をされるし、つまりパンクの支持というのは精神性とか、魂とかの問題であって、音楽ではないということになる。言葉だけでは信じられない、生き様のパンクでなければパンクではなくて、だからこそ他の音楽ジャンルではなかなか生まれないカリスマという存在がこのジャンルでは生まれやすいのである。例えそれが実社会的、経済的には大きな影響力は持たないにしても、音楽を通過する若者には避けて通れない壁のようなものだと、僕は思うのだ。
 
 で、この映画のバンドメンバーはとてもいい加減である。つまらないことを繰り返す。一緒に行動することになったカンナだって何度も落胆する。その部分だけ見たのではパンク的な生き方はつまらないエゴの積み重ねということになってしまう。上辺だけの似非パンクはそこで終わるのだろう。愚かだからそういうどうしようもないことをやってしまうのだし、そうでなければ、もっと賢い生き方をしようよということで、大人の世界のルールに従うようになる。でもそれらどちらの生き方でもない、第3の生き方がある。それがパンクなのだ。何も考えない本能と惰性による愚かではなく、賢く生きることの虚しさからくる、愚かを追求する生き方。だがそれは賢いことで得られるものを否定することから生まれる、積極的な愚かさであり、その生き方を追求するということは、本人にとってはそんなに愚かな生き方ではない。面白さの追求なのであり、一度きりの人生、面白くないとつまらないだろうという価値観によれば、それ以外に道はなく、それ以外のすべての生き方が愚かに見えてしまうのである。
 
 映画では、宮崎あおい演じるカンナがそれに気が付いていく。最初は結果無くとも安定を約束されたポジションにいる。が、結果を求められた時、彼女が突きつけられた選択「やるのかやらないのか」には、やらないという選択の先にはどうしても受け入れられない結果が待っていた。だが、少年メリケンサックと一緒に過ごす中で、その生活は別の意味で受け入れられない事柄のオンパレードだったが、しかし何らかの価値観が転換するのだな。当初受け入れられない結果も軽々と受け入れ、安寧な生活からは軽やかに脱却する。そのキーワードも「面白い」なのだ。この生き方を選択するのが今人気絶頂の宮崎あおいというのがこの映画の面白いところでもあり、エンターテイメントな人生論なんだなあと思った。パンクなのはバンドマンたちだけではない。バンドマンがいくらパンクファッションで身を固めたとしても、それはポップファッションに身を固めたアイドルポップバンドと同じことであり、それはパンクではないし、市井の普通の女の子でも十分にパンクな生き方を選択することが出来るのである。