Friday, February 20, 2009

裏切り

 小泉元首相の発言に再び耳目が集まっている。麻生さんの郵政発言に「笑っちゃうというより呆れている」と言い、定額給付金財源確保を含む第2次補正予算の2/3議席を使った再可決には「採決が行われるなら欠席します」と言ったことについてだが、自民党が慌てている。それで幹部たちが言うことがいちいち面白い。「党の方針と違えばそれなりの対処(処分)はせざるを得ない」とか「理解に苦しむ」とか「粛々と2/3で決議します」とか、言っている。まあその人たちの立場からすればそう言わざるを得ないのだろうが、やはりそれは通じないだろう。小泉元首相は「2/3の議席でもって議決しようというが、その議席を得たのはどういう背景なのかということをもう一度よく考えてもらいたい」と言っている。至極正論だ。政治家は政治家のエゴを虚言妄言でもってごり押しなどしてはいけない。それが以下にルールに則っていたとしてもだ。そういうやり方は役人がもっとも得意とするところであって、ルールだからと押し通すことの連続の結果、今のような「天下り」とか「渡り」ということがまかり通ってしまっているのであり、派遣労働者があっさりと契約を切られてしまうという現実が襲っているのだ。そういう不公平を避けるためにルールを作るのだが、人間が作るルールには限界があり、どうしてもほころびが出てしまう。だから、そのほころびが出てきたときに修正して、また現実に即した社会運営が出来るようにするのが政治の仕事なのである。それは役人に出来るわけもなく、だから、投票という民意で「一般的な国民感情」を社会に反映させるために選挙があり、国会議員がいて、法律を作ることを国家の機能として位置づけているのだ。つまり、国会議員は拠って立つ根拠は民意なのである。それ抜きに自分たちの存在意義はないのだということを考えると、今自分が何をなすべきかということは自ずと決まってくると思うのだが、彼ら(自民党幹部)たちにそういった考えの背景はないように思われる。
 
 もちろん、政党政治であり政党に所属して国会議員になっているのだから、当然党の決定には従わなければいけない。立場としては当然であり、それに反するのならば処分も覚悟すべきだろう。もしかすると自ら離党する気概でなければいけない。だが、どうしてもそれが民意ではないと、自分の身上と違うというのならば、その覚悟も当然で当たり前のことであるべきだ。戦前の政治家は主義を通すために投獄も覚悟して活動していた。今でも世界的にはそういう激しい政治の世界は珍しくないし、場合によっては暗殺の危険性さえある。それが恐くて政治が出来るか。みな命がけで国のことを考えているのではないのか。それが政治家ではないのか。もちろんことの軽重はある。肉を切らせて骨を断つの諺の通り、本当に大切と思う政策を断行するためにいくつかの妥協、いやかなり多くの妥協を重ねることも場合によっては必要だ。だが、今の政治家の判断というのが、その奥にどのような大切な身上を抱えているのだろうかということを、僕なんかも推し量りに量ってはみるものの、一向にその重みが感じられないのである。自分の保身、次の選挙での自分の当選、そのための推薦とか、そういうもののために国家の未来を切り売りしているような気がしてならないのだ。
 
 それで小泉氏の発言に対してある自民党幹部が言った発言が秀逸だった。「今や民主党が国民新党と手を組んで郵政の再国営化を目論んでいるのだから、小泉さんもそのことをよく考えて行動して欲しい」ということなのだが、片腹痛い。そこには「政治家個人の理想を現実にするために、党利党略の中で最大限の効率的な動きをしよう」ということを言っているだけではないか。今さら言うまでもないが、小泉さんが郵政解散をしたときの発言がある。「国民の信を問いたい。郵政民営化が間違っているなら抵抗勢力に投票してくれ。そうでなければ小泉自民党に投票してくれ。」まあ記憶に基づく概要なのだが、おおよそそのようなことを言っていたわけだ。郵政民営化が国にとって大切な政策だと思っている小泉氏が、その意見に対して「国民よ選べ」と委ねたのだ。だから、選んだ。それが民意であり、小泉氏のやり方だったのだと、僕は思う。今回のことでその自民党幹部の言うことは「国民が選ぶ」という視点は欠け落ち、「国会議員が今の状況で、たとえ民意を無視したとしても、自分の思う政策を実現していこうじゃないか」ということになってしまっている。

 小泉氏の心の内を想像するのだが、きっとこういうだろう。「国民がそれを選ぶのならばそれも民意だ。その結果郵政が国有化されてしまうのならば、それも民意だ。しかし郵政民営化という旗の下で選ばれた国会議員が"郵政民営化は間違っていた"というのは民意に反しているし、郵政民営化に反対して除名された人や党の処分を受けた人を、復党させたりして大臣の座に座らせていることも民意に反している」と。
 
 もちろん小泉氏にしてもしばらく前に「一院制のことを議論して選挙の争点にすればいい」とか、目くらましな案を発案した人物であるから、自民党のことを大切に考えていることは間違いないし、国民に真に誠実かどうかは疑問も残るところである。民意という言質を取ればいいだろうというのは少々極論かもしれないという思いだってどこかに残っている。しかし、民意に背を向け、ルールをごり押しする政治家に較べれば、選挙という、民意という価値基準を重視する分だけ、国民に対して、そして自らの拠って立つ根拠に誠実であるようには思うのだ。
 
 現在の政治家たちがどれだけきれいな言葉を並べていたとしても、その言葉がどういう意味なのかということを、僕たちは見抜かなければいけないように思う。誰が誰のためにどういうことを言っているのか。誰が国民を裏切ろうとしているのか。裏切られて、ヘラヘラ笑っているようでは悲しすぎるではないか。そして自分たちが投じた総意に基づいて国家が滅びたとしても、民意に背を向けた政治家の暴走によって滅びるよりはまだ清々しい結末だといえるではないか。