Sunday, February 22, 2009

デジタルカメラ選び


RICOH R10(本命)


Panasonic LUMIX DMC-TZ5-K(対抗) 


RICOH Caplio R7(現行(故障)機種)

 デジタルカメラが故障。正月のことだ。使っていたのはリコーのR7という機種(写真下段)。2007年の11月に札幌で購入。故障が早すぎという感はあるが、よく活躍してくれた。これで撮影した写真は数知れない。僕の人生にとっても重要で大切な思い出だったり、仕事上の重要な1枚(そのために数百枚とか撮るが)だったり。日本国内に留まらず、ヨーロッパに北米大陸にと同行した。
 
 思うにカメラとは機能ではない。それは目や耳や、心のようなものであり、常にそれとあることで、記憶を補完してくれる。その補完に頼りすぎて肝心なものを生の目で見ているかという問いはあるものの、やはりカメラというものの力を有難いと思うのだ。例えば、盲目の人を僕らは可哀相だと思う。だが実際にそういう境遇にある人は、思われているほど不自由ではなかったりする。目に頼りすぎて生きている僕らが失っている感覚を駆使して、彼らは状況を判断するらしい。だからもし視力を失うことになったとしても、それだけで絶望してしまうことはない。と、いわれている。それはそうだろう。短距離ランナーがケガで走れなくなったら深い悲しみと絶望に襲われるだろうが、そもそも速く走れない僕らなどからすれば、それほど悩まなくてもいいですよとか思ってしまう。いや、誤解されたらまずいなと思っているし、視力を失うというのはやはり大変なことなのだ。盲目の人はそれでも頑張って日々を過ごしている。そういう強い心を持ちたいなと思うが、だからといって失わずに済むものなら失わないに越したことのないという気持ちの方が強い。それと同列で比較するのも変な話だが、カメラとはそれに似て、常に持ち歩いて人生の一コマをちょこっと記録出来る機械であって、できることなら失いたくない機能を持つ機械だと思うのである。
 
 話がちょっと脱線したが、ちょこっと記録するというだけなら携帯電話のカメラでも事足りる。でも使い込めば込むほど、やはり物足りなくなってくる。なんといっても撮影してメモリに記憶し、次の撮影が出来るまでに時間がかかりすぎる。ズームも効かないしピントも合わせにくい。ちょっとならいいけれど、大切な時間を記録するには物足りないのが正直なところだ。で、この1年半程度使ってきたデジカメが故障したのはショックだった。大切な思い出が生まれても、それを鮮明に記録することが出来ないのだから。
 
 1ヶ月以上そのままの状態で過ごしてきた。ちょっと忙しかったのもある。だが、迷っていたというのが正直なところだ。まず、修理を考えた。壊れたとはいえ、いろいろなところに同行したカメラだ。愛着もある。ものを大切に、エコにいこう。まあいろいろな理由はあるものの、ネットで調べたらレンズの工藤部分の修理には約16000円程度かかるという。故障の具合によってはもっとかかる可能性だってある。だったらカメラを新しく買ったらどうなのだ。それを調べてみると、まず、同じ型の機種は既に製造中止。売ってはいるものの選択肢として賢いものではない。同じリコーで画素数とかいくつかの点で機能向上している後継機種がR10。R7の2世代後にあたる。これが、価格.com調べによるとだいたい23000円程度。機能が上がって新品で7000円の差ってどうよ。新しいのを買った方が良いような気持ちに傾いてきた。
 
 そもそも、僕がデジカメ選びで重視したのが光学ズームの倍率である。リコーのこのシリーズは7.1倍という優れた倍率を誇っている。他にそんなのはコンパクトデジカメにはないのだ。光学3倍なんてちゃんちゃらおかしい。そんなんで撮影ができるかってんだ。というくらい、ズーム倍率が重要だ。ズームがあるから遠くのものも大きく細かく写すことが出来るのである。
 
 その次に重要なのが、広角の程度である。望遠と広角の両方を欲するなんてまあ、欲深いことだ。しかしこの点でもリコーは優れている。広角の焦点距離が28mmである。他メーカーでもズーム7倍というのはいくつかあるが、ほとんどが広角は36mm〜とかなのである。広角になぜこだわるかというと、広角の数字が小さいということは接写が出来るということだから。写真を撮るときに近すぎると写したいものが全部画面サイズに入らないことがある。だからちょっと後ろに下がらなければいけなくなるのだが、そうはいっても下がれる空間がないということがよくある。日本のように部屋が狭いのが当たり前という状況では本当に後ろに下がれない。だから、物理的に下がれない分レンズで下がるのだ。それを可能にするのが広角のレンジである。28mmというのと36mmというのは決定的といっていいほどの違いである。それで撮影できるものはまったく違うといっていいだろうと思うのだ。
 
 同時に、広角が広いということで下がれるんだということが確保できるということは、寄れるということともイコールになる。写される人は、レンズからの距離によって表情が変わる。ええ、こんなに近くで写るのか?という感情から、ちょっとしたドギマギ感が生まれる。遠くからズームで狙うと、狙われていることさえ知らないから緊張感のない表情になる。カメラを向けられると緊張をする。表情は硬くなる。それが超近距離になると、緊張を超えて驚きと同様が生まれ、逆に豊かな表情が生まれる。こういうのも、広角が生む効用なんだと思う。
 
 一方で画素数が問われることがあるが、それはもはやほとんど意味がない。リコーのやつは1000万画素になっていて、故障したR7よりも格段に細かくなった。だが、以前の815万画素で十分なのだ。そして当然のことだが、画素数が大きくなるとそれを処理するのに機械的な負荷がかかる。写真を撮影して次の撮影が可能になるまで、要するに機械は記録をしているわけだが、その時間が余計にかかるようになるということだ。画素数が上がるときには、記録部分のスキャン機能がどうなのかということと、それを処理するパワーの両方が問われるので、そのバランスのことを考えると単純に画素数が上がればいいということではない。出来るというのと使えるというのはまた違うことで、そういう意味で僕が重視したいのはパワーの方である。それが弱ければ、撮影するチャンスを失うことにもつながるわけで、それが重要でないのだったら、携帯に付いているカメラで十分ということになるのだ。
 
 長々とデジカメに求めるものを書き連ねてしまったが、そういうことを考えてみて、選択はリコーのR10しかないと思っていたら、調べるうちに同じような機能を持っているカメラとして、パナソニックのLUMIX DMC-TZ5-Kとうい機種があるということを知った。しかもズームの最大倍率が10倍。レンズの広角もまったく同じ。ビデオモードの時のズームも効くらしい。それはすごい。しかも、値段もリコーより安い。十分に選択肢として急浮上したのだった。
 
 しかしどうしてもパナソニックというのに抵抗がある。だって冷蔵庫や洗濯機のメーカーだろう。カメラのメーカーとは一線を画すべきだという先入観がある。一度触ってみなければ納得できない。買えない。ということで土曜日の夜にようやく機会を得る。ビックカメラの店頭で手に取る。それで判ったことは、まず写真を撮って次の撮影に移るまでの時間に若干ストレスを感じる。遅いのだ。そしてレンズが明るい。明るいのは普通は良いことだが、その明るさは蛍光灯のような明るさで、美しくない。もしかするとそういう明るさというのは、プリクラのような過照明で皺を飛ばしてきれいな写真という方向性に似ているのかもしれない。そういえばLUMIXのCMメインキャラクターは浜崎あゆみだし。ギャル的な「きれい」な写真は撮れるのかもしれないが、僕はなんかそこには抵抗がある。というより、キライだ。そしてこれも大きなポイントだが、MENUボタンを押して液晶画面に現れる操作アイコンなどの画面が、家電なのだ。使う人をバカにしているようにさえ感じるデザインなのだ。広く売るためには、そして機械が苦手という人にも買ってもらうためにはそういうデザインの方がいいのかもしれない。しかしそれではイヤだという人もいるのであって、僕はどちらかというとそういうカテゴリーなのだろう。
 
 やはり直接手に取ってみてよかった。カタログスペックからは判らないことがたくさんある。リコーを買おうという気持ちが固まった。
 
 帰宅してあらためて価格.comをみてみると、リコーの最安値がまた更新している。最安値店は、なんとamazon。価格.comの出品店は、機械ものの場合は秋葉原の怪しげ(偏見でスミマセン)な裏通りのお店か、そうでなければ地方の結構田舎の業者だったりする。量を扱って価格を下げるか、家賃や人件費を削って価格を下げるかのどちらかということになるのだろうが、それで一般的には無名のお店から買うことになるわけだが、amazonだったら無名なんかではないし、もはやクレジット番号さえ打ち込む必要なくクリックで買える。考えてみれば大量に扱い、都会じゃないところの拠点で展開なので、値段を下げる要素をいくつも持っているお店ということであって、安くて当たり前ではあるが、なんか意外な感じがした。小さいところがいくら頑張っても、結局は大手に太刀打ちできないということなのだろうか。それも虚しい気もするが、手軽で安いということには虚しい気持ちも敵わないのが現実というものでもある。