Saturday, February 28, 2009

悼む人


 ベストセラーの前作から8年ぶりの新作だという、天童荒太の長編小説。先日の直木賞を受賞した作品。
 
 いやあ、面白かった。というより興味深かった。引き込まれた。主人公の一風変わった日常を通して、それに関わる人たちの人間模様が描かれるわけだが。そのどれもが悲劇的で哀れな側面を持ち、同時に自らの個としての存在を激しく主張するのだった。当たり前のことである。誰しも他の誰かと同じ存在である訳はない。それを証明するにはどのような方法があるのか。それは、他人を否定することである。他人の考えを否定し、他人の行動を否定し、他人の存在を否定する。そういうことで今ある自分が他人といかに違う存在なのかということを初めて肯定できる。それは愚かでおぞましいことなのだが、どうしてもそうする以外に道はないように思われ、無意識のうちにそういう行為に及んでしまう。それが人間の哀しいところなのであろう。
 
 この小説にはそのようなシーンが多々出てくる。取材対象を否定する記者、その記者の仕事を否定する友、親の行動を否定する子供、子供の行動を否定する親、愛する者を否定する男や女、殴る者、絞める者、無視する者、嘘をつく者、泣く者、裏切る者、追い込む者、蔑む者、忘れる者。そういった行為が出てくる理由は様々だが、そのどれもが現実の自分を肯定しようと必死だったりするところから発している。その必死さに正当性があるのかというと、人間だから仕方ないなという思いで多少観念しなければいけないのかもしれないとか思うが、同時に、人間だからこそ、そこから脱却したところにもいたいという思いも多少なりともわき上がってくる。だが脱却するということは自分の否定につながる。自分を否定することによって何が起こるのか。それは他人を否定し続ける者に取っては恐怖そのものだ。その恐怖と立ち向かう者もいるし、立ち向かわざるを得ない者もいる。それによって得るものと失うものがあるわけで、その辺のことを、僕はこの小説を読んで漠然とではあるものの感じたりしたのだ。
 
 主人公は、小説の冒頭から奇妙な行動をとり続ける。その行動の奇妙さとは、それはいってみれば普通の常識とのギャップであり、それを奇異と見る限りは恐怖との対峙はできない。もちろん小説を読むだけの読者は対峙などしなくてもいいのだが、小説に出てくる者たちはそのギャップを無視することが何となく出来ないでいる。それは彼らが無視できない立場に追い込まれているからであって、その追い込んでいる理由こそが自分を他者否定に走らせてもいる原因でもあるのだが、他者否定をすることで得られた現状にも違和感を感じている。だからこそ主人公の行為を単に奇妙として否定するだけで終われず、彼らの視点を通して、僕らは主人公のことを考えていくことになる。他者との違いを通して「他者とは違わないという違い」について考えるというのはとても興味深く、錯綜ともいうべき感情が巻き起こってくる。答えはどこにあるのか。それを探しながらメージをどんどんめくっていくことになる。
 
 思うに、人は自分を肯定したいのである。自分が生まれて、生き続けている意味とはなんなのか。それは偶然の産物だったり、意味の無い人生であったり、そういうことであっていいとは思えない。思いたくない。だから他者とは違う独自の生であって欲しいと思う。もしも他者と同じであれば、その他者がいつでも自分の代わりになれる。そうではなくて、自分でしかこの生を全う出来ず、この生が非常に重要なものだという実感を持ちたい。だから運命を彷徨うのである。もがきながらも生きるのである。生きることで他者を否定しようとも傷つけようとも、自分という個を浮揚させようとするのである。
 
 だが、自分で他者を否定すること以外に、この生を価値あるものと実感する方法がある。それは、他者に認められるということだ。これは他者否定をするという行為とは対極にあって、生き方の方向性がまったく違わなければ実現できない解なのだ。自分でそれを証明するのではなく他者から証明されるのを待つ。待つのは辛い。だが、いつか誰かがこの生を肯定してくれると思うこと、信じることによって、他者を否定せずとも生きることができるようになる。それが福音だというのなら、そんな信仰のようなものを信じられないという反応も素直だし、具現化するそういう福音を知ることによって穏やかになるという反応も素直なことだ。具現化とはなにか。それは一片の木っ端でもいい。ある種の人、人格でもいい。その対象が本物であるか偽物であるかは大きな問題ではない。用は信じるかどうかということであり、信じられる心に成れるのであれば、そのきっかけは何でもいいのだろう。この小説の主人公はそういう木っ端のようなものかもしれない。その周りに、無批判に信じる立場、何を信じていいのかわからない立場、最初から疑いの目でしか見られない立場、そういういろいろな立場の人が種々の体験をしながら進むこの小説は、とてもよく練られてある作品だなあと感じ入る。
 
 
 あああ、もう少し内容に密接した感想を書きたい。「悼む人」は特にネタバレがどうこうという内容ではないはずなので、書いてみても別にいいのだが、それで興味が薄れたりされてがっかりさせてもと思うと、漠然とした感想しか書けなくて、ちょっと消化不良だ。でも、この作品はとても面白く、興味深かったです。人生になにか柱のような物を探しているような人にはおすすめです。前作から8年も経過してようやく新刊が出たとか雑誌か新聞に出ていたけれど、この作品を考え始めてからは11年も経過しているらしい。どんなペースなんだよ天童。でも後書きで謝辞を書いていて、いろいろな編集者にお世話になったということに触れている。本当にご苦労様でしたといいたいし、そんな作家のペースに付き合っていけるような、そんな仕事がしてみたいとか、うらやましく思った。