Wednesday, March 04, 2009

小沢会見


 朝の記者会見生中継を見る。こういう会見は生で見なければ全貌がわからないと思う。会見で語られたことがすべて信じられるということではない。信じる信じないを超えて、なにを言ったのか、そして何がいわれて何がニュースで伝えられるのかということが、わかるかわからないかということである。
 
 マスコミの伝達にすべてを委ねることはできない。それは能力にも関わる理由からだ。時間的制限と、理解力の2点において、全知全能のマスコミ人なんかはいるはずも無く、期待すべきでも無い。そういう意味で、その人が何を語ったのかということを見るべきであり、聞くべきで、それなくして肯定も否定もし得ないと思うのである。
 
 で、小沢一郎の会見はどうだったのかというと、思っている以上に理路整然としていたと思う。ポイントは「企業献金だったら政党への献金として受け取ればいいわけで、今回はそうでないということだから、政治資金団体(陸山会)への献金として処理している」という点ではなかっただろうか。受け取ってはいけない金を受け取っているのであれば大いなる問題だが、そもそも企業からの献金はオーケーなのだ。それを政党に対しては可能であり、そのポイントが政党所属の政治家と無所属の政治家の間に資金力の差が生まれる問題点として今後検討課題はあるだろうが、それはまた別の話で、現時点で小沢一郎は民主党の所属であるし、それ以前も無所属になったことは(新党設立までの間のブランクとしての数日は例外として)ない。企業が献金をするというのであれば、それを受け取ることは方法論的には全く問題ないことである。違法行為の危険を冒して敢えて偽装工作をする必要などまったくない。それなのに今回公設第一秘書が逮捕されるという事態に至り、困惑するのは別に小沢一郎だけではないだろう。
 
 小沢一郎は今回の捜査に対して「前例のない不公正な捜査」だと批判している。僕もそのように思うのだ。今回の西松建設の献金や裏金問題に絡んで、献金を受けているのは小沢一郎だけではない。先日、村井長野県知事の40年来の秘書が自殺していたというニュースが流れたが、この秘書も西松絡みの献金について事情聴取を受けていたという。その問題で自殺に至ったのかどうかははっきりしていないだろうが、村井さんはインタビューに対して「自分は知らない」の一点張りだった。それに対して小沢一郎はというと、献金を直接自分が受け取っている訳ではないと断りを入れたものの、「秘書の大久保がやったことは自分も報告を受けているし、献金についての取り扱いについてはなんの違法性も無い」と言っている。つまり、逮捕はされたけれども、違法なことは行なっていないということを言っているのだ。したがって、このような捜査、逮捕に至ったという事実に対して、きわめて不公正だと断じているのである。つまり、今回のことについて、「悪いことを行ったがそれは秘書が独断でやったのであって自分は知らない」というロジックではなく、「自分も秘書も悪いことは一切行っていないのであって、それを逮捕するという検察の行いが不公正だ」というロジックなのだ。その点をちゃんと報じているテレビメディアは意外と少なかったように思う。
 
 西松建設が多方面に献金を行っていて、自民党の議員にもそれはあって、それなのに小沢一郎だけというのはどういうことなんだろうという解説をしているコメンテーターもいた。その人はおそらく小沢一郎の側に立った意見を言ったつもりなのだろうが、結果的にそうはなっていない。その論理は、駐車違反の切符を切られた際に「俺だけじゃないぞ、他の違法駐車も全部取り締まってから俺のところに来い!」と文句を言う人も多いが、それに似ていると思う。つまり、そのケースでは「駐車違反はやったよ」ということが前提になっているわけで、今回の小沢一郎の主張というのは違法な献金を受けたりはしていないもので、それはある意味「駐車違反もやっていない」というものである。だから他の政治家への献金が云々ということとはまったく違うし、その点は小沢一郎も一言も触れなかった。そういうことがどういうことなのかということを、メディアはもっとちゃんと報じ、解説するべきなのだが、そういう報道は実に少ない。田中角栄ー金丸信ー竹下登という田中派本流ということをことさらに伝え、そういう報道を見聞きした街の人がインタビューで「がっかりした」とか「秘書の責任にしてばかりで」とか「潔く責任を取って辞任しなきゃ」とかしゃべっているのを流したりしている。さらには「民主党議員も今は小沢一郎以外に手が無く、この説明を無理矢理納得しなければという思いでいる議員も多い」とか報じているありさま。
 
 だが、マスコミも一般市民もその程度であることは、良い悪いではなく現実なのだからいいとしても、各政党の人たちがいろいろ言っている中で「説明責任が果たされていない」ということを高らかに言っている人が数人いたようだが、なにを言ってるんだろうと理解に苦しむ。それは立場などいろいろあるだろうから、攻撃的な姿勢を示すことはあったとしても、ちゃんと会見を見ていれば、これ以上の説明をどうやって行うのかということを逆に尋ねたい。わあわあ言うだけの能力しかないのであれば、政治家などをやる資格は無いと思う。その点、一般的には支持率が低い麻生総理だが、麻生さんの発言は非常にニュートラルで、よく判っているなと思った。要は小沢一郎を好きとか嫌いとかではなく、提示された情報をどう理解して、それにどう対応するかということである。説明責任が果たされてないというなら、どのへんのポイントが不足しているのかを言うべきだし、辞職するべきだというなら、その理由は何なのかということを言うべきなのだ。それらが挙げられないのであれば、そういう曖昧で情緒的な意見を言うのは自分の見識や能力が足りないということを露呈することになるということを自覚すべきなのだが、その自覚をすることも一種の能力に基づくものであるから、それを要求してもだめなのだろうとか思って情けなくなる。
 
 
 今回の問題で僕が問題だと思うのは、なぜこのタイミングでこういう逮捕劇に至ったのかということである。穿った見方なのかもしれないが、これは自民対民主という対立の中でおこったものではないと思う。小沢一郎は「政治的にも法律的にも不公正な国家権力、検察権力の行使だ」と言っているが、誰が行使したのか、行使させたのかということについては具体的に触れてはいない。もちろんここで軽々に触れたりするのは愚かな行為だとは思うが、民主党が今政権奪取に限りなく近づいてきていて、それが実現したときにもっとも困るのは誰なのかということを考えたとき、それは自民党だという人もいるだろうが、僕はそうではないと思っている。困るのは官僚組織なのだ。郵政民営化問題でも西川社長辞任に追い込んで元官僚が社長に納まろうとしているし、いろいろな問題で、官は問題を起こしても誰も責任を取らず、政争の過程で一人肥え太ってきた。官となれあっている自民党には既に自浄能力はなく、民主党はその流れを立つために必要な存在であり、そのための大きなチャンスが訪れていると個人的に見ている。いや、民主党がそれを確実にやるのかどうかは別の論議だが、もしもそれをやれる存在があるとしたら、現時点では民主党以外には選択肢は無いと思う訳で、おそらくそういうことを多くの人たちが思っているのだろうと思う。それだけに、その民主をたたくことによって、実は自民党というライバル政党ではなく、官僚組織が身を削られる可能性を恐れているとしたらどうだろうか。個々の組織(省や庁)は別々に仕事をやっているけれども、イワシが群れを成して大きな一個の生命体であるかのようにすることで、大きな敵と戦おうとすることはよくあるが、そういう本能を官僚組織というものも持っているようにさえ感じる。とても怖いことであり、そういうことが本当に起こっていて、今回の件で小沢一郎や民主党の勢いが削がれるとしたら、それは合法的なテロのようなものであり、どこかの国でよく起こっているような、ジャーナリストや政敵の政治家や企業人が理不尽な死を次々と遂げているようなこととあまり変わらないように思う。それこそ民主主義の敗北であり、国家的な危機であると、震えるような戦慄に襲われるのである。