Monday, March 23, 2009

解説者、清原和博


 WBCの注目はなんといっても清原の解説だ。番長清原の、引退後初の仕事だというが、これがちょっと面白い。解説者デビューだから多少の緊張もあるが、基本的に清原節炸裂。「いやあ、やりますよ」「期待できますよ」「頑張って欲しいですね」と、基本的に前向きな解説。というか、単なる期待だ。WBCで基本的に日本人はほぼ全員日本を応援しているという特殊状況だからいいのかもしれないが、そういう期待をするのに、技術的な裏付けとかは特になさそう。西武の中島が打席に立つと「西武で自分の背番号3を受け継いだ選手ですからね、注目してるんです」と解説。おいおい自分の背番号だったら特別なのかか?
 
 でも、これはこれでいい。見ていてスカッとする。金田正一、中畑清という流れに続く、「豪快精神論」解説の後継者が誕生したと、僕は案外嬉しい思いでいっぱいなのだ。
 
 対極をなすのは技術詳細解説だ。これは、言ってみれば誰でもできるのだ。知識を持ちさえすれば誰でもできる。別に野村さんや落合さんでなくてもいいのだ。一方、豪快精神論解説が成立するにはいくつかの条件が必要だ。なんといっても豪快でなければいけない。その豪快さを裏付けるのは、アンチ理論であることの理由があって、それが感性と、言っては悪いが少々の頭の緩さなのである。単に頭が悪いのでは誰も首を縦に振らない。選手としての感覚、才能が必要で、それがあるからみんな「馬鹿だなあ」と思いながらもなぜか納得するのだ。
 
 中畑清は豪快だ。しかし解説者としてなかなか重要なポジションを占めていかないのは、同時代の選手でもある江川卓などに負けてしまうのは、豪快さはピカイチなのにカリスマ性が少々足りないからである。選手時代の成績も圧倒的なものがない。そして巨人ファンには絶大な支持を得ても、他球団のファンにまで認知されているかというとそうではない。巨人ファンの僕から見ても、選手としては史上最高の5番打者柳田とか、淡口とかの方がすごいと思うし、やはり全野球ファンに対するアピール度、カリスマ性というのとは若干弱い部分がある。その点、清原和博はカリスマ性が絶大だ。この清原が豪快解説派になってくれてよかったなあと思うのだ。今清原と同じくらいのカリスマ性を持つ人といえば野茂英雄くらいしか思い浮かばない。しかし野茂英雄は実に冷静で落ち着いた解説をするし、地味で暗い。特別に理論を振りかざすこともないし、そもそも喋り好きではない。解説者ではなくこのオープン戦からキャンプ限定とはいえオリックスのコーチを務めたというのも、野茂にとっては賢明な選択だと思う。同じくらいのカリスマを感じられる選手の登場は、おそらくイチローの引退を待つまでないだろうし、ちょっとランクを下げるとしたら工藤公康の引退も可能性があるが、彼もどちらかというと理論解説派だ。KKコンビの片割れ桑田真澄も理論派である。
 
 こう考えると豪快解説をしていける人材というのは意外に少ない。それはその資質を持った人が実に少ないからだ。まず選手として15年程度第一線でやる必要があるし、引退の理由は「体力の限界」でなければならない。それだけの期間一線でやるには、肉体の維持に対する細やかな配慮が必要だし、そうなると、ある程度の理論的裏付けが必要になる。豪快に飲んだりしていては一流であり続けることは難しいのだ。だから、豪快派の素質を持った選手というのは大体にしてつぶれていく。それは肉体管理よりも豪快な飲みが勝るからであり、その飲みのマイナスを補うだけの才能を持った人間というのが、そもそも居ないのだ。そういう点で考えても、清原和博はまさに適任なのである。
 
 豪快解説派の頂点は、実は長嶋茂雄だと思う。監督として選手を指導する時にも「球がスーッと来て、それをパァーンと弾き返すんだよ」とかいう人である。最初の監督をやってから次に監督をやるまでの12年間が、長島さんの解説を聞ける貴重な時間だったのだが、これは面白かった。理屈を欲する人には物足りなかっただろう。だが、長島さんの解説には理屈なき愛があった。長島さんからみれば普通の選手たちがボンクラに見えたに違いない。なんであんな球が打てないのか、パァーンと弾き返すだけじゃないかと思っただろう。だが、そんな選手を批判することが一切ない。それが、僕らが聞いていて不快にならない理由でもあったのだ。清原の解説にもそういう点があった。ジータに勝負を挑む田中将大に対して、「思いっきり放ればいいんですよ、これが彼には財産になるし、将来のジャパンを背負って立つための貴重な経験になるんです」とか言っていた。そんなチャンスに恵まれた彼を羨ましそうな気持ちがにじみ出ていた。そんな言葉を聞くと、こっちだって田中頑張れと素直に思うようになれた。そんな力が、清原にはあるんだと感じたのだ。
 
 清原は指導者になることを望んでいる。集客の柱を期待する経営者も多いだろう。長島さんと違ってGのユニフォームでなければというような条件もない。そうそう待つことなく彼は再びユニフォームを着るだろう。だとしたら、この解説を聞くことが出来るチャンスもそれほど多くはないような気がする。だからこの機会を大切にしたいとか、僕は思うのだ。古田とか栗山英樹の理論に裏打ちされた解説には確かに価値がある。それと同じものを清原に期待したところで、そんな言葉は出てきやしない。その代わりに、がさつながらも愛ある言葉を聞くことが出来る。それが後1回(多分)聞けるチャンスが出てきたというだけでも、WBC決勝進出には意義があると思う。明日、多くの国民が熱狂しながら観戦し、彼の言葉を通じて、意識しないながらも野球への愛を深めてもらえれば素晴らしいことだ。いや、多くの批判も生むとは思うけれども。
 
 
 
 親友がドジャースタジアムのスタンドで準決勝を観戦。メールで写真を送ってきてくれた。臨場感を感じるよ。有り難う友。直接見られたことは羨ましいが、そこにキヨの解説はない。解説が聞けるだけ、テレビ観戦もいいと思うよ。いや、どうせ負け惜しみだけれど。そしてキヨ本人はそこにいるんだろうけれど。