Friday, March 13, 2009

恩を返すタイミングと力

 小室さんに6億5千万を貸した。マックス松浦は神妙な面持ちで大阪地裁に出向き、ここしばらくの経緯を証言し、情状酌量を訴えた。
 
 それを伝えるニュースでは、「回収できる当てがあるんだろうか」とか、「既に7億もエイベックスとして貸しているのに」とか言っていた。でも僕はそんなことではないんじゃないかという気がする。
 
 マックス松浦はCDレンタル屋の店員としてこの業界に入り、洋楽の選曲が絶妙ということでレンタルの業績を上げた。レンタル屋のオヤジとエイベックスを立ち上げ、ジュリアナとかで一山当てた。でも、洋楽での成功ではたかが知れている。邦楽で成功したい。そのきっかけを作ったのが小室哲哉その人であり、TRFは哲也小室レイブファクトリーの略である。それで勝負して、その成功が彼の事業の根本である。裁判で「夜通しピアノを弾いていた。音楽が好きな人なんだなあと思った。昔を思い出した。」と言ったらしいが、少々ドラマチックな演出も入っているような気もするけど、昔の恩を忘れていないということは本当だと思う。それを忘れるようだったら、絶頂期の小室哲哉を取り巻いてお金を引き出して、その後むしり取るだけ取ったらポイ捨てした有象無象と同じになる。そんな気持ちでビジネスをやっていて、アーチストを扱う音楽ビジネスでの成功はあり得ない。
 
 
 僕らは、誰もが誰かの恩を受けて今の人生を生きている。親の恩もあれば、友達とか、先輩とか、人それぞれ、いろいろな人に恩を受ける。その恩をどうやれば返すことが出来るのか。真っ当な人間である以上、それは忘れてはならない大テーマだ。例えば親孝行。僕らは一体何が出来るのだろう。もっと若い頃は、東京で一山当てて、成功した状態で錦を飾りたいとか思っていた。今もその気持ちを捨ててはいないけれども、じゃあ錦を飾るまでは帰らないとか言っていると、そのことが親不孝になってしまうのだということに気づいた。今もまだ錦を飾ることはできていないが、年に2回くらい顔を見せに帰るようにしている。親孝行のためにやった訳では全くないけれど、遅くなったが昨年ようやく結婚したのも、結果的に親孝行になっていると思う。
 
 親との関係であれば、顔を見せるだけでも恩返しにならないわけではない。しかしそれ以外の人に対してはどうやって恩を返したらいいのか。恩の受け方は様々だが、往々にして恩を受ける人は、恩を与える人よりも窮地にあることが多い。そのバランスはなかなか逆転しないのが普通で、多少逆転して、自分が大成功をしたとしても、恩を与えてくれた人がそれなりにちゃんとした暮らしをしていたとしたら、出来ることはせいぜい季節の挨拶くらいだ。盆暮れにお中元やお歳暮は届けるだろう。でも突然札束を持っていくなんてことは失礼にあたる。それはお金で人が変わったということだし、恩を仇で返すような行為になってしまう。だとしたらどうすれば恩を返すことが出来るのだろうか。すごく難しいことだ。基本的には恩に報いるというのは、期待に応えるということであり、その人がかけてくれた期待を汲み取って、そのラインで頑張っていくということであり、でもそのラインで頑張る限りは、恩は受けただけで、返したという実感はない。
 
 そう考えたとき、マックス松浦にとってこれは恩を返す最大のチャンスだったと僕は思う。ただ単に「お金に困ってるんですか、じゃあこれ使ってくださいよぉ〜〜」とかいうのではダメだ。どうすればいいのか、お金を出すことがかえって小室を堕落させるのではないだろうか、だからこれは投資でなければならない。今後頑張って音楽で稼いでもらってそれで返してもらおう。そういうスキームをたてて、その理屈で受け取ってもらおう。ただ6億5千万をあげたということだとでは単なる施しになってしまうし、そんなことをしたら友情関係は崩れてしまう。だから、これは投資なのだ。実際は回収不能になるかもしれないし、そうなったってかまわないのだ。なぜならこれは自分にとって恩返しそのものなのだから。だけど返さなくてもいいですよとか言うと小室を傷つけることになるし、彼にまた頑張ってもらうモチベーションにしてもらいたいのだから。そんなことをきっと考えただろう。それであっても6億5千万という金はそうそう出せるものではない。いや、マックス松浦の資産状況なんてしらないけれども。
 
 それでも彼はそのお金を出した。彼は恩を返すというチャンスを目の前にして、そのチャンスにお金をはたいたのだ。それは高級車を買うのとか、ブランドショップで一目ボレするバッグを衝動買いするのとあまり変わらない経済活動なのだと思う。僕らからすると数百万するバッグを買うという行為は信じがたいが、買う人は実際にいる。いや、僕がものすごい金持ちになっても数百万のバッグは買わないと思うが、アルバイターの10代の女の子だって欲しい人は買うのだ。それは価値観の違いであって、旧い友人であり恩人の苦境に6億5千万を出すという行為を、投資ではなく購買で行ったのだろうと思う。
 
 僕はそれを羨ましいと思った。腐れ縁の人の苦境を見過ごす訳には社会的立場的に許されないからいやいや払わざるを得なかったのだから可哀想だなと思う人もいるだろう。だが、僕はマックス松浦羨ましいぜと思った。大恩人に恩返しをするチャンスを得たということを。そしてそのチャンスに応えられるだけの経済力を持っていたということを。
 
 僕にも恩ある人は数人いる。その恩の大小はいろいろだ。そういう人たちに恩を返すことは出来るのだろうか。別にそのために彼らの苦境を望んでいるということは全くないけれども。そして、そういう機会がもしも訪れた時に、僕は恩を返す力はあるのだろうか。そんなことを考えても、まだまだ僕には努力が足りないと自覚する、そんなきっかけになった一つのニュースだった。