Tuesday, March 24, 2009

小沢さんよ、語りに語れ

 本日秘書が起訴されるだろうと報道が喧しい。そして小沢代表は進退について発表をするとも報道される。この問題についてはなんでこんなに歪曲された報道がされるんだろうと不思議で仕様がないが、それがこの国の報道というものなのかとちょっと諦め感も漂ってくる。
 
 どの辺が歪曲なのかというと、まず、起訴されるかどうかの報道は、起訴されるかどうかが事実として結論が出てから報道するべきであって、もしも起訴されなかったらどうするんだろうという疑問が消えない。そして同時に、報道側が「これほど大きな逮捕をしておいて、不起訴になったら検察は重大な責任を問われることになる」と報じることによって検察に対してプレッシャーをかけてしまっているという事実。もしも不起訴になった場合には激しい検察バッシングが起こるだろう。今回の場合はバッシングが起きて当然というか、逮捕自体に政治的影響についての考察が無さ過ぎると思うのだが、それでも、報道がプレッシャーをかけることで、検察のニュートラルな判断を疎外してしまうという懸念は拭いきれない。実際に起訴不起訴の判断が出てからの報道で全然遅くないし、それはやはり本日結果が出てしまうWBCの優勝国が日本に決まったかのようなスポーツ紙の見出しとあまり変わらないのだということを知るべきである。
 
 そのことと関連して、小沢代表は「24日に何らかの結論が出てからお話しをする」と言っているだけなのに、それを「進退発言を具体的にする」という表現で本日の予定とする報道をしている。これでもし小沢一郎の会見が進退に一切触れなかったとしたらどうだろう。その可能性は大きいのだ。今回の検察の判断について賛否などの感想を漏らすだけということだって有り得る。というか、これまでの小沢一郎の言葉を見る限り、進退について明確に話すとは言っていないのだ。にもかかわらずの「進退表明」報道。もしこれで進退について語らなければ「国民を裏切る中途半端な会見」とか書かれるのだろう。でもそれは、「たばこ屋さんはどこにありますか」「八百屋さんの前だよ」「じゃあ八百屋さんはどこにあるんですか」「たばこ屋さんの前だよ」という問答に似ていて、自分の事前のフライング的見込み報道に結果が違っていたから、違う結果を出した者を「おかしい」と言っているだけのことであって、まったくおかしな報道姿勢と言わざるを得ない。
 
 だが、そもそもこの国の報道はそういうものであり、視聴率や販売部数のためによりセンセーショナルにということがより正確にということを凌駕してしまっている。それを改善するにはどうしたらいいのかというと、結局は読者や視聴者である国民1人1人が冷静に、そして正確に物事を判断する能力を持つことに尽きるのだが、それをするには情報の伝達が正確であることというのも同時に必要であり、よく注視すればそれなりに事実も把握できるのだろうが、それほどの注視を普通の市民全員が忍耐強く行うことなどなかなか難しく、結果的にセンセーショナルな報道に対して一喜一憂してしまう。政治であろうと芸能であろうと同じテンションでものを見るのは少々仕方ないことだし、だからこそ、報道でメシを食っているプロは、世論がいたずらにミスリードされていかないような、真実に基づいた公平な報道をすることを心がけなければならないのではないかと思うのだ。
 
 まあ理想はともかく、現状がそのような感じだということを踏まえて、その報道の体質を利用するかのように、検察の捜査も続くし、それに基づくリークも華やかだし、そのリークを踏まえた、政治的意図を持った政治家たちの誇張発言も活発に行われている。政治不信が心配だとか言いながらも、彼らの発言は政治不信を徒に招き、結局自分たちの足を引っ張り、首を絞めている。
 
 そういうのが現状だとすると、小沢一郎の打つべき手はなんなのかというと、彼には私心がないということを明確に示すことだろうと思う。それは、一私人に戻るということがもっともインパクトがあることだと思うのだ。その意図で、先の企業献金一切禁止という発言が出たのだろうが、しかし、それも曲解されて批判の的となってしまった。だから、いっそのこと代表辞任はおろか、議員さえも辞職すればいいのだと思う。そして、政治家ではなく言論人としてメディアに出まくればいいのだ。小沢一郎自身はこれまでも地位に恋々としてこなかった。自民党時代にも首相に成りたければ成れたのだ。しかし首相にならなかった。なぜならば地位にこだわらなかったからである。だとすれば、現在民主党代表になっているのはそれが政権交代に必要だと思っているからであって、その地位が魅力的だということではないのである。もしも現在彼が持っている資産をすべて投げ打って無一文になったとしても、言論人として再スタートを切れば、影響力も絶大になるだろうし、印税生活だけで余生を十二分に賄える。それになにより、地位や献金を一切断つことになるわけで、言葉の信頼性が増す。それで「真実とはいったいなんなのか」ということを語っていけば、彼の真意も滲透していき、政権交代に必要な機運も必ず醸成されると考えるのだが如何だろうか。
 
 こう思うのは、最近の言論界で注目を一新に浴びる佐藤勝氏は、現在裁判中の人物である。当然のように彼自身逮捕され、かなりの長い間拘留されていた。起訴当時は宗男の政治的立場を利用した極悪人という論評が蔓延していたのに、現在は発言がもっとも信頼できる知識人ということになっている。彼のことはよく知らないので、本当に信頼に足るかどうかの判断を僕自身がしているわけではないが、少なくとも現在の人気ぶりからするとすでに禊ぎは終わっていて、誰もが過去のことよりも彼の発言を信頼しているように思われる。ホリエモンにしてもそうだ。最近発売された本も結構売れているようだし、時々テレビに出るとすごく注目を集める。彼だってまだ裁判中の人物だし、検察とは対立している。だが、一度逮捕され、それまでの地位を剥奪されたという事実が、裁判でどうだったかということよりも優先して彼の発言を注目する勢力によって、ある程度の立場と影響力を回復させてきているというのが現実なのだろう。
 
 小沢一郎は現在の政治において最重要人物である。それは支持する側からも敵対する側からも無視できない存在なのである。だからこそ、いろいろな方法で足も引っ張られるだろうし、メディアを巻き込んだ世論誘導にも曝されてバッシングを受けるのだ。それによって価値が棄損されるとは思わないが、世論の中での立場は揺らいでしまっている。だとすれば、その立場自体を一度リセットするという形で、ニュートラルで信じられる立場を築いて、今度は世論を味方に付けていくという戦法もあるように思うのだ。ある種の立場の人たちは、小沢一郎をバッシングすることで、その方向に世論を誘導することで彼の理想を挫くことが出来ると思っている節がある。だがそれは甘い。今度は立場を捨てて世論を再び政権交代の波に向けていくということが、実はその種の立場の人にとってもっとも恐れることであり、それこそが小沢一郎と彼を応援する人たちの望みであることを考えれば、本日の何らかの意見表明としての会見は、そういう希望もあるように、ちょっと思ったりする。