Sunday, May 03, 2009

おわかれ

 僕はもう眠っていた。うつろな意識の僕を奥さんの声が呼んでいた。けっこう激しい声だった。

 なんだろうと思った。何事が起きたかと思った。どうしたどうしたと目をこすっているところに、「清志郎が死んだらしいよ」という言葉。一気に目が覚めた。

 ネットのニュースを見たらしい。今現実進行形で起こっている事件ではなく、すでに結果が出た出来事のニュース。眠っている僕を深夜に起こす意味があるのか。その判断は奥さんの判断だ。重要なニュースなら起こすだろう。無関係なニュースなら起こさないだろう。奥さんはそのニュースを僕にとって重要なニュースだと判断したわけだ。起きてから知るのではなく、眠っているのをたたき起されてでも知った方がいいニュースだと判断したわけだ。起きてから知ったのではダメだと思ったわけだ。だから、すでに眠っていた僕を起こしたのだ。

 僕が今インディーズレーベルなんてのをやっていることに、清志郎は一定以上の影響を与えていると思う。フェイバリットアーチストはなんといってもRCサクセションだ。忌野清志郎ではなく、RCサクセション。RCの活動停止以降の彼の活動にはあまり興味がないし、CDも買うどころか聴いてもいない。でも、彼はRCサクセションの主要構成メンバーだ。というかRCそのものだ。だからいつでも無視は出来ないし、存在が貴重だ。影響力の規模は比較できないだろうが、ジョンやポールのソロ活動とビートルズとの関係にも似ているように思う。好きなのはビートルズであってソロのアルバムは聴いていないという人は多いだろう。RCに関していえば僕はそういうタイプだし、今回のニュースはジョンが暗殺された時にビートルズファンに与えたような衝撃を、僕に与えた。

 そんなニュースだから、奥さんが僕を起こした判断はとても正しいと思う。起こされて、目が覚めて、そこからしばらく夜更かしすることになったが、そうなって良かったと思った。嬉しいことではない。だがそれは近親者の死に目に会うことが出来たような、倒錯した安堵である。そういう安堵を与えてくれた奥さんに感謝だ。20年以上も前に活動停止したバンドに対する想いを認識してくれていたことに感謝したい。

 悲しい時には涙は出ない。ええっという驚きで感覚が一瞬麻痺する。清志郎はその感情をかつて歌で表現した。お別れのあと、地下鉄の駅で降りて30分泣くという描写。僕も父親の葬儀に際して泣いた。まさに息を引き取る瞬間は何も感じなかった。瞬間はいろいろな出来事が目の前を駆け巡る。告別式はどうするのか、葬儀はどうするのか、病院に駆けつけた親族たちがうろたえているけれど、そんな中で僕はどうすれば良いのか。事務である。処理である。やらなければいけない事があまりにも多く、感情に身を委ねる余裕なんてなかった。病院の紹介などもあって葬儀屋さんが決まり、告別式の会場も決まった。その告別式の間に、葬儀屋さんと親族で、葬儀についてのミーティングが開かれた。その席上、誰かのある言葉に僕は父との記憶を甦らせた。父の気持ちが僕にどう向けられていたのかということに関する記憶。その父がもういないのだという事をあらためて知った。涙があふれるというのはこういうことかと思った。止まらなかった。

 もちろん、そういう体験と今回のニュースは比較にならない。フェイバリットアーチストではあっても、近親者などではない。それでもやはり僕の生き方に大きな影響を与えた人の死は決して小さな事ではない。闘病生活をしていたことは知っていたのだから、事故死なんかとは違って受け入れる気持ちがなかったわけではないが、やはり大きなショックではある。だが、まだ涙は出てきたりはしていない。

 今日、僕は涙を流したりするのだろうか。流したりはしないようにも思う。どちらでもいい。僕は僕の人生を送る。今日もいつもの休日のように過ごす。僕の事をよくわかってくれている奥さんと散歩したりして過ごすのだ。