Wednesday, May 13, 2009

前原を取り込め

 小沢代表辞任。会見から2日だが、その後いろいろ論評も出ているし、早くも後任は鳩山か岡田かという構図が取沙汰されている。この鳩山vs岡田というのは、ずっと小沢一郎を支持してきたグループがとりあえず鳩山を担ぐという動きと、それでは小沢色を拭うことが出来ないという反小沢精力が対抗馬として「若く」「清廉潔白」というキャラクターで、かつ特定のグループをもたない岡田を担いでみるという動きである。要するに、小沢的なものか反小沢的なものかのぶつかり合いである。本当は反小沢的な勢力の頂点は前原誠司であり、だったらそれが出てくればいいのに、出てこない(こられない)というところが彼の人徳の足りないところだ。

 代表辞任会見の前後にもいろいろと物を言ってきたし、自分のグループに属する議員にもいろいろ言わせてきた。聞いていて思うのは、ある意味正論であり、これを言っていれば堂々としていられるだろうという論である。しかし、そこには書生的な性格があり、清濁併せ飲むという覚悟は感じられない。「有権者がなにを求めているのかという微妙な空気を感じていかなければ仕事ができない」ということを語っていたが、では書生的な動きをするだけで選挙に勝てるのか。いや、勝てない。それがギリギリの勝負なのである。それを変えなければというのが今の民主党の目指すものだが、書生論というのは、相手が反則武器をパンツの中に仕込んでやってくるというリングの上で、「ルールだから」と言って自分の手足を縛るようなものだと思う。もちろん、ルールに徹するという方法もある。将来政権を取った時に、自分たちがルール違反しているのであれば、結局はダメなんじゃないかという理屈だ。それは判る。だがその理屈が正しくなるのは、あくまで「将来政権を取る」ということが前提であって、書生論に殉じて政権を取り逃がすのであればそもそも意味がない。だから、反則には反則をという覚悟でも、やはり取るべきは取らなければならない。そういうものもある。なぜならこれは革命なのだから。革命は通常血が流れる。それを恐れていては革命などは出来ない。だから、書生論をさも正論のように振りかざす人のことを僕は信じることが出来ないのである。

 だが、だからといって書生を排除するのでは、また同じことの繰り返しである。かつての連立非自民政権が崩壊したのは、当時の社会党が連立を離脱したからだ。社会党は青かった。書生の集まりだった。年寄りのくせに終止青いことを言い続けた。だから、小沢一郎は社会党を見捨てたのだった。その結果連立の数的優位は崩れ、小沢の盟友でもあった羽田孜政権を超短命に終わらせてしまったのである。

 で、離脱した社会党を取り込んだのが自民党である。自民党は社会党のことを直前の選挙で罵倒しまくっていた。「あんな党に政権を渡してしまったら日本は社会主義国家になってしまう。ソ連や中国のような体制になって、本当にいいと皆さんは思っているのか」と言った。当時の宮沢首相がテレビで、それまで見せたことの無いような凄絶な表情でまくしたてた。なのに、政権を取り戻すためにはその社会党と組み、村山富市を首相にしたのだ。

 このときの流れに教訓があるとすれば、目的のためには四の五の言うなである。あるいは、急がば回れである。意見が相容れないとしても、目的のために必要とあれば握手をするのはもちろん、三顧の礼を尽くしてでも協力を要請する。それが出来なければ政治の世界で自分の政策など通すことは出来ないということである。

 だとしたら、小沢グループは鳩山を無理からに押すのではなく、敢えて岡田を支え、挙党一致を作り上げるという策に出た方がいいと思うのである。押している岡田を小沢グループも押しているということになれば、前原誠司も抵抗することは出来なくなる。抵抗する意味もないのだから。そして今回なんとか政権を取り、岡田の4年、そして続くところに前原とか、あるいは長妻の4年というところでやらせればいいのだ。その間に自分たちのグループに「スター」を作り上げて、やがて来る現在の反小沢勢力が雲散霧消するのをしたたかに待てばいいのだ。その方が、政権交代から13年もの野党暮らしを味わうことに較べれば遥かに自己実現に近いと思うのである。もちろん小沢政権も鳩山政権も菅政権も実現しない。だがそんなことは目的実現のためには小さなことでしかない。どちらにしても実現しないのなら、名誉の敗戦よりも実質的な勝利を目指すことにこだわって欲しいと、心から思うのである。