Wednesday, July 22, 2009

さあ解散

 さあ解散だ。

 数日前に書いた中では、自民の中の騒動は茶番だと書いた。おおむね間違ってはいないと思うが、それでも思ったのは、これは茶番というより、子供のケンカだったんだなということ。お芝居のような書き方をしていたが、どうやら本気で争っていたような形跡だ。だがそのケンカの根拠も薄く、こだわりもないから、ちょっと締め付ければすぐにおとなしくなる。子供はつまらないことでケンカをする。だが親や先生などの強い立場から怒られたらすぐにシュンとする。それに抵抗する力も大義もないからである。中川氏も武部氏も見事に変節し、「総理の今日のあいさつはすばらしかった。総理と握手したい」などと発言。和解をアピールする格好となった。一言「すまん」と言って欲しかっただけなのか? それとも郵政選挙の時に抵抗勢力が除名されたことを思い出して恐くて従順になったのか? はたまた党として結束しないと選挙に勝てないと思ったのか? いずれにしても「党の顔を変えなければ」という思いはそれほど重くなく、その重くないことで騒いでいただけということに、結果からすればそういわざるを得ないように思う。

 解散したわけで、戦いは既に始まっている。既にネガティブキャンペーンの嵐となっている。それは自民も民主も同じことだ。麻生総理は安心社会実現選挙と銘打った。国民との三つの約束として「景気を回復させる」「雇用や子育ての不安がない“安心社会”を実現させる」「できなかった場合責任を取る」ことを表明した上で「日本の未来に責任が持てるのは自民党だけだ」と宣った。僕は思うのだが、約束というのは明確なゴール設定が必要だ。数値的なものと期限的なもの。この2つの目安がないものは目標とかではなくて、単なる希望である。どういう状態が景気回復なのか。その設定の仕方はいろいろだろう。例えば日経株価平均が13000円というのならそれもよかろう。あるいは完全失業率が2%というのならそれもいいだろう。他にも景気回復を象徴するような基準はあるはずで、その併せ技でもいい。基準を決めるのはあくまで宣言する人であり、それを見て、国民一人一人がそれを目標設定として正しいと思うかどうかを決めればいいのだ。そうでなければ、「かつて株価は40000円台とかだったのだからそこまで回復しなければ」という攻撃に曝されるかもしれないので、それを避ける意味でも効果的だし、逆に「今が9000円前後なのだから9500円でもう回復といえるよ」ということを後からいわれたら、国民はたまったものではない。雇用の不安がないとはなんなのか、子育ての不安がないとはなんなのか。そのことも明確にすべきだと思う。そうしないと完全失業率0%になるまで不安があると言われるかもしれないし、逆に約束しておきながら「オレは不安なんてないですよ。気持ちの問題でしょう」とか言われたらかなわない。なにせ「郵政解散の時に私は賛成ではなかった」と後になってぬけぬけと言い放つ人なのだから。そういう明確な目標を、いつまでにやり遂げるということを言わなければだめだろう。それに党則を改正しなくても総裁の任期は目前に迫っており、麻生さんが総裁を辞めることになったら、次の総裁は「それは麻生さんが言ったことであり、自分の約束ではない」ということも簡単に言うのではないだろうか。

 ネガティブキャンペーンは、1993年の選挙の時も街には「安定か、混乱か」というキャッチフレーズをデカデカと印刷したポスターが溢れた。そのことを思い出す。宮沢総理はテレビに出演して、「社会党などにこの国を任せるつもりなのか、それでいいのか」と連呼した。結局中選挙区制だったあの時でさえ政権は交代し、野党状態から脱するために社会党の委員長を首相に指名したのだった。今回の「政権担当能力があるのは自民党しかないんだ。民主党に任せると混乱するだけだ」などと言っている言葉がいったいどのくらいの信憑性を持つのか。それも国民一人一人が見極めることなのだろうが、脅かしには人は弱い。だからついついその言葉を鵜呑みにしてしまう。

 未来を明確に予測することは出来ない。だけど僕らはそれを選ばなければならない。その指針となるのは他国の経験だし、歴史の経験である。260年続いた江戸幕府の時代を終わらせた明治維新。それは決して選挙で国民の意思を反映したものではない。だがそれによって日本は正しい方向に向かったのか。その問いに対する答えが、1つの指針となるのだと思う。その当時徳川政権が行ってきた統治システムを前提に考えれば、それを維持出来るのは徳川家だけだということになるだろう。しかしそれではダメなのだという世界の流れがあり、そのうねりが、維新となった。維新を行った者たちに新しい時代の政治というものがどういうものなのかについての明確なビジョンも方法論もなかっただろう。だから維新後にたくさんの日本人がヨーロッパに赴いた。イギリスだのフランスだのドイツだの、各国の法律や議会や社会の在り方などを学んで取り入れた。真似たと言ってもいいだろう。だが、そこには意志があった。だからやれたのだと思う。

 この文脈から、僕は民主党に意志があると言いたいのではない。あるかもしれないし、ないかもしれない。それは判らないことなのだ。だが、自民党と官僚組織の癒着体制であれば、それは一種の徳川幕府末期のような状態になっているように思う。それでも混乱よりはマシだというのなら、そういう選択をすればいいだろうし、多少混乱する可能性も否定出来ないかもしれないけれど、末期的な自民党政治よりはマシだというのなら、そういう選択をすればいい。現状をどう見るのかということが、個々の人によって違うわけであり、そこに国民の見識が問われるのだと思う。もしも国民が間違った判断をすれば国は悪くなるだろうし、正しい判断をすれば国は良くなる。この国の行く末を決めるのは、遠くの政治家が勝手にやるのではなく、国民一人一人がやることなのである。だから、何があろうと選挙には行くべきだし、行かない人に何かものを言う資格はないと言ってもいいのではないだろうかと思うのである。

 そんな解散のニュースを見ていて、個人的に印象に残ったのは杉村太蔵氏の本会議場天井を見上げる姿であった。いや、杉村太蔵氏の品位や人格についてはいろいろ問題もあるだろう。まだまだ勉強不足という点もあるだろう。前回比例の最下位で当選してしまったわけだから、今回もせいぜい南関東ブロックの最下位でいいじゃないかという意見も特に理不尽とは言えない。だが、そんな彼のことをけっこう利用してきたぞ。それで必要なくなったらあっさりお払い箱である。北海道に転出したいと頑張っていたがそれも叶わず。解散と同時に失職となってしまう。彼はどうなるのだろうか。自民党に党籍は残すということだが、じゃあ党職員とかで雇用は確保されるのだろうか。一方で津島雄二氏の突然の引退。今回の次からは世襲が禁止と言っている自民党で、今回を逃せば息子に地盤を譲ることが出来なくなってしまう。それでギリギリまで待って、いよいよ解散まで数日という段階で突然発表する。青森の地元も津島氏立候補で固まっていたところで、そんなに突然に引退宣言されたら、いくら公募といっても息子がやる以外に選択肢は無くなってしまう。それを見越してのこのタイミングなのであり、「私の理念哲学を受け継いでくれる人に立ってもらいたい」とかいけしゃあしゃあとよく言うよと心から呆れる。世襲はいかんとあれほど言われて、今回からの導入は難しかったというわけか、今回の次の選挙からということになったわけだが、その抜け道を利用して、しかも言葉上は「世襲ではない、公募によるものだ」という言い訳をして。何のしがらみもなかった若者は放り出され、ご子息は地盤を引き継ぎ有利な選挙戦に臨もうとする。

 要するに、この党の考え方はそういう人事を容認するというものだ。天下りを容認する時には「やはり優秀な人材を企業団体が役に立てたいということだ」とかもっともらしい説明をする。で、しがらみのない若者を簡単に放り出す。まだまだかも知れないが、人は立場によって成長するものだ。杉村太蔵氏の将来に期待して頑張らせるという姿勢がないのでは、若者たちの危機的な就職事情を改善することなど出来るわけがないし、その先に広がる未来こそ、混乱と不安の世界なのではないかと、僕は個人的に思うのだ。

 変えるなら。そして維持するなら。いずれであっても選挙だ。投票に是非行こう。