Tuesday, July 07, 2009

The Bwoken Window / Jeffery Deaver



 『ボーンコレクター』などで有名な著者ジェフリー・ディーバーによるリンカーン・ライムシリーズの最新作『The Bwoken Window』を読む。クライムサスペンスは純文学とは違ってストーリー展開最優先の文章なので英語でも比較的読みやすい。とはいえ、やはり箇条書きの羅列ではないのでそれなりに苦労しながら594ページを読破。読破するだけでも達成感はあるけれど、中身が面白いというのがいいな。中学生の頃は赤川次郎とか読んでる場合かとか思って三島由紀夫とか読んだりしていたけれど、別に赤川次郎をバカにする必要もないし、三島由紀夫が好きとか言っているのも、なんか単なる見栄だったような気が今はする。特に最近は若者は本を読まなくなったとか言われていて、ミステリーでいいから読めばと思うね。読めばなんか、プラスになるはずだ。まあ僕の幼少期も全員が全員読んでいたわけじゃなかったけれども。

 話を戻そう。以前同シリーズの『The Stone Monkey』を読んだことがある。アメリカのミステリーは名探偵みたいなキャラクターが登場すると、その人でのシリーズ化が多いような気がする。トムクランシーのジャックライアンシリーズとか、サラパレツキーのウォシャウスキーシリーズとか、いろいろだ。このリンカーンライムというキャラクターは、脊髄損傷かなにかで車いす(かなり特殊なもの)に乗っている科学捜査官で、映画ではデンゼルワシントンが演じている。彼の相棒というか恋人のアメリアサックスはアンジェリーナジョリーが演じていて、だから読んでいてもどうしてもその二人が頭に浮かんでしまうが、文章から想像する人間性とかはどうにもその2人には結びつかなくて、読んでいてとても困惑してしまう。アメリアサックスは赤毛でカマロを乗り回しているという設定だから、アンジーでもいいような気もするが、なんか違うのだ。それはこの映画が作られた1999年当時からアンジー自身がけっこう変わってしまっているので、それで違和感がどうしても出てしまうのだろうと思う。

 

 この『The Bwoken Window』ではデータマイニングをしている会社を巡ってのトラブルが発生し、いろいろと展開していく。データマイニングとは、世の中にあるさまざまなデータを蓄積していくことのようで、例えばクレジットカードの利用状況とか、監視カメラに写った画像とか、その画像から誰がいつどこにいたとか、もちろん学歴とか仕事歴とか、犯罪歴とかなんかがどんどん蓄積されていく。僕らが日頃インターネットでどこにアクセスしたかなんかも遠隔のそういった会社がデータとして蓄積していく。犯罪者はそういう蓄積されたデータを改竄することによって被害者の生活そのものを破壊したりする。普通に使って支払も滞っていないのに、データが改竄されると使用不能になる。アメリカで生まれ育った人が不法移民であると改竄されることで逮捕されてしまう。自分が犯した犯罪のデータを他人のデータとすり替えることで、自分は捕まらず、すり替えられた他人が突然逮捕される。まあそういう犯罪は小説の中だけだろうが、個人情報の蓄積のようなことが本当に起こっているのかなあとか恐ろしくなった。こんなのが現実になれば、国民総背番号制みたいな制度が出来なくてもプライバシーなんてまったくないじゃないかと思う。だが主人公たちのピンチを救ったのも個人情報データを利用した結果だし、そういう意味ではものすごく力のあるシステムであることは間違いなく、それを正義のために利用するか悪のために利用するかによって結果が変わってくるだけなのだということに気づく。核兵器を持ったというお隣の悪の枢軸国家と、持つことだけでなく持つことを検討することも悪なのだとして核を拒絶する我が国と、正義の御旗の下に核武装や核攻撃経験もある大国と、いったいどれが正しいのかまったくわからんという気になる。いや、多分どれも正しく、どれも間違っているのだとも思う。人間は開発してしまった能力を完全に封印してしまうことは出来ない。たとえその結果迎える未来が人類の滅亡だとしても、手にした能力を使わずにいることは難しい。特にその能力がパワフルであればあるほど、それを使うことによってより悪いことも出来るということだし、人間の正義の心だけで抵抗するのは難しいのではないかと思う。

 しかしまあ、この小説の中ではパワフルなデータ力を駆使する犯罪者とそれに翻弄される捜査官たちとの戦いで、結局正義が勝つということになり、だからこそ読者は「ああ、よかったな」とか溜飲を下げられるのかもしれない。