Tuesday, July 28, 2009

マニフェストというのは何なのか

 昨日の報道ステーションで解説者が「マニフェストというものを見て政党が約束をするのがルールになって来た。これで消費税をいつ頃何%に上げますということを書いていないのなら上げてはいけない。」みたいなことを言っていた。ちゃんちゃらおかしいと思う。なぜならそれこそ衆愚政治に陥る元だからだ。

 政治とは何なのか。現実との戦いである。現実は大変なのだ。時に国民に苦しいことを押し付けることさえ必要な場面はある。消費税を上げることは必要なことだし、責任政党はそれを国民にお願いしなければならない。そうか? それで国民はハイハイと納得するのか。それほどに国民は聞き分けが良いのだろうか。ありえない。そんな理想論をさも当たり前のように解説しているのはよほどの楽観論者としか言いようが無い。

 国民の耳に痛い政策を実行するのは、それを可能にする政治実行力を持った政治家や政権が、その立場を賭して行う国家的一大事である。竹下政権もそれで倒れた。その後のキングメーカーとして絶大な力を持った竹下総理であっても、国民を裏切ったという汚名にまみれて国民全体を敵に回して行ったことなのである。それでもやるのは意味があるからだ。政策の結果がどう作用するのかが国民に判るのには時間がかかる。反対されるのは当然だろう。それでもやらなければというのが、政治家の判断なのであり、数十年かけて手にした地位をかなぐり捨てる覚悟が無ければ出来ない。やらなければ立場は安泰なのだ。それでもやるというところに、意味があるし、政治家の覚悟がある。それは、騙し討ちでなければ成し得ない決断である。それを、痛みを怖れる国民の前に予め提示して、それで国民に選んでもらおうなんていうのは、教科書の中の理屈に過ぎない。だから今度の選挙でも消費税を上げるということを言ったとたんに負けである。だから言わない。議論はするぞと鳩山さんが言ってしまったのは、彼がやはりオボッちゃまであるということの証でもあるだろう。小沢一郎ならば絶対に言わなかっただろう。いずれにしても、この4年の間に消費税を上げるなんてことまでは踏み込んでいない。それで、政権を取ったら、やるのである。やらなければ国が持たないならば、躊躇せずにやればいいのだ。それで批判を受け、退陣すれば良い。晩節をけがすことになったとしても、政治家としては国家の方向を決める一大事業を行ったということで歴史に残る。それで良いではないか。そして別の政権、それは同じ政党の別勢力であるかもしれないし、別の政党であるかもしれない。そしてその新しい政権が同じように、約束を破るのだ。

 大切なのは約束を守る破るということではなく、国の在り方を正しい方向にもっていくために、自分の立場を顧みずに批判に曝されながらも突き進むということである。それが官僚政治では有り得ないことであって、政治家が政治を取り戻すということの意味だろう。組織を守るためにはなんでもやる官僚たちとどれだけ対立出来るか、そして、自分のことだけを考えている国民をいかに欺くことが出来るか。それが鍵だと思う。現在各党から次々と発表されているマニフェストなんて、欺くための舞台装置に過ぎない。そしてそれでいいのだろうと思う。もちろんそこには哲学が存在している。なにがこの国にとって優先順位が高いのか。それを示すことが大切である。政治家や政党には夢を語って欲しい。この国がどうあるべきなのか、幸せとはなんなのか、安心とは何なのか。そのために何をすれば良いと思っているのか。それもないところに政策も無ければ財源論もない。あるはずが無い。誰が、どの政党が、そういう夢を語っているのか。それを見抜ければいいのだし、マニフェストはそのためにあると思う。

そのための財源論を喧しく叫んでいるメディアや政治家が沢山いるが、そんなものはどうでも良い。無ければ、徴収するに決まっている。それは後からの話だろうと思う。自民党が民主党のマニフェストでは財源が無いと言っているけれども、では自分たちの作って来た予算とは一体なんなのか。国債発行を重ねて、もはや国債の方が税収よりも多いということになってしまっている。つまり、現在の国民からでは足りずに将来の国民の財布に手を突っ込んでしまっているわけだ。それで国民全員にお金を配って、そこには何の哲学も無いと思うし、財源論を言える知性のかけらも無い。小泉さんの政策では財政を立て直すことをうたっていて、実際にシーリングなどで痛みをお願いした。数年後、つまり現時点になれば不満がわき起こるのは当然の政策を実施したのである。それがまるでこの不況の根本原因になったかのようなことを言っている人も多いが、それは違うと思う。だが、思う以上に小泉政策を否定する意見は多い。そういう姿を見ると、やはり正論を言って政権を取れるほど日本の政治状況は成熟していないのだと思わざるを得ない。だから、マニフェストで政策論をというのは、正しいようで正しくないのだ。本当にやらなきゃいけない政策とは、基本的に苦しいことであるはずで、それをやるのであれば国民全員を騙し通すくらいの根性で進まなければダメなのだと思う。