Wednesday, July 29, 2009

残ったものがすべて

 川村カオリという人の死はとても切ない。

 この人のことを特に思い入れを持って追ってきたという経験は無い。ファンではない。むしろそこそこの知名度を持ってインディーズ情報誌などに大露出していた時期があって、苦々しい気持ちになっていたという記憶の方が強い。おまけにその露出を計っていたスタッフが知人だったりしていたから、その点で複雑な思いを抱えていたりした。もちろん一瞬の思い出しかないけれども。

 そんな大した思い入れの無い人の死が切なく感じるのはなぜか。それは結局彼女が最後までアーチストを貫いたからである。それは貫いたという主体的な意思によるのか、貫くしか道がなかったという結果なのか。おそらく両方なのだろう。ほぼ同世代の(元)アーチストたちは、ある者は落ちぶれて引退し、ある者はバラエティタレントとして華麗なる転身をしている。またある者は今もライブハウスで売れないミュージシャンを続け、ある者はママとして育児に専念していたりする。

 人生は、それぞれだ。今関わっていることがすべてではない。若い頃の衝動は時に熱に浮かされただけのものだったり、乏しい知識の中での選択に過ぎなかったりする。経験を重ねると、主義思想が変わることも当たり前で、だから10代に情熱を燃やし続けたものをいとも簡単に捨て去ることだってあるだろう。それは悪いことではない。人間として、方向転換が必要な時もある。それを人間の一生の問題としては他人がとやかく言うことはできない。だが、自分が一時信じたものを信じ続けるということはそれだけで価値である。特にその活動が他者の評価に支えられる種類のものであればなおさら、信じ続けて行動し続けるということが、他者の信頼に応える唯一の誠意だと思う。だからこそ、続けてくれるアーチストこそ、ファンを本当に大切にしているし、ファンの応援を本質的に理解し感謝しているのだといえるのだ。

 そういう意味で、川村カオリの晩年はまさにファンへの感謝だったのではないかと思うのだ。それが本人の主体的意思なのか、それ以外の道を選ぶ器用さが無かったからかはわからない。それを判定するほど彼女の活動に注目して来たわけではない。だが、病気と戦い、容姿も若い頃の溌剌としたものとは変化して目の下に激しいクマが露になり、それでもステージに上がる。声にかつての力強さはなく、時にテレビに映る楽曲もZOOなど、20年ほど昔のかつての名曲でしかない。それでもそれをやり続けて来た。もう闘病に専念すればいいじゃん。生きてるだけでいいじゃん。1日でも長く生きるために、体力をそんなに使わないようにすればいいじゃん。だが、それはアーチストには通じない。なぜならアーチストにとって生きるというのは表現するということであり、それ抜きに長らえることに意味は無い。こう書くとまるで生き延びようとするのがまるで悪いことなのかと反論されるかもしれないが、そうではない。それはその人の生き方だし、哲学だし、価値観だ。先日逝去した忌野清志郎も、喉頭がんに際して手術を拒否。シンガーにとって喉の手術は致命的だと思ったか、それはそれで一つの選択だ。その結果治療に専念し、復活を遂げ、数度のテレビ出演と、いくつかのライブ出演と、単独としては武道館での復活祭。歌えたのはそれだけだ。そのために命を削ったのが果たして正しい選択だったのか、それはいろいろと意見はあるだろう。命とアーチスト生命。どちらにより重きを置くのかが、最後には問われる。一種のチキンレースだ。そこには普段の覚悟が現れる。ファンは何もない時にそのアーチストの覚悟を感じ、人生にとって重要な表現なのかそうではないのかを量り、応援したり見限ったりする。その判断が正しいものなのかどうかは誰にも判らない。ただ、それを証明することが出来る唯一の存在がアーチストその人なのだ。だとしたら、その選択判断というものはとても重いものとなる。それが命懸けの選択となったとしても、時にそこから逃げてはいけないのではないかと、日頃アーチストと称する若者とともに仕事をしている僕としては思わざるを得ないのだ。いや、誰もが命をかけろと言うつもりはない。だが、もう少し軽い選択の時くらいには、強い意志を持って行動を決めろよと思う瞬間は多々あったりするのである。

 死去の報に際して流される若き日の映像。世の中はいくらでも変えられるという希望に満ちあふれた目をしている。ガンにむしばまれた後の目は、ただ現状を維持することへの希望に変わっていた。それは弱くなったということではないのだろう。ドラスティックな変化などない。だけれども、どんな状態であっても希望は持てるのだ。その希望がたとえ実現しなくとも、希望だけが生きるエネルギーなんだなと、ちょっと思った。自分より若い人の死亡のニュースは、いろいろと考えさせられる。