Monday, August 03, 2009

変化

 昨晩放送されたNHKスペシャルのエジプト特集は面白かった。3回シリーズ3回目のテーマは、クレオパトラの謎。妹との権力争いとか、知らなかったことをたくさん紹介してくれて、それ自体も面白かったし、考古学の最前線がすごいんだということもよくわかった。

 エジプトは約3000年もの間繁栄を続け、クレオパトラの頃はローマ帝国の台頭でその繁栄も危うくなる。女王のクレオパトラはローマと結ぶことで平和を維持しようとしたが、それをよく思わない勢力が妹を担いで反乱を起こす。クレオパトラはローマの協力を得て妹を捕らえ、トルコに幽閉し、それだけでは足らずに毒殺を図る。立場が違えば兄弟で殺し合うこともなかったろうに。幸せとはなんなのかって、思わざるを得ない。

 だが、それが歴史だ。どんなに強大な勢力を誇っていても、それが永遠に続くことなどはない。個人としてのリーダーはいずれ死ぬし、リーダーが変われば勢力の本質は変化する。隆盛期に固めたシステムも解釈によってパワーは変わるし、時代の変化と周囲の変化に対応出来ないとすれば、それも没落の契機となる。古代エジプトは3000年続いただろうが、ローマ帝国は500年、江戸幕府は300年だ。まあ諸説あるからその年数は定かではないところがあろうが、人間の情報伝達と移動のスピード、工業力や武器の破壊力が変化するにつけ、変化のスピードも速くなるのだろう。

 今日のニュースの中では、なんといっても大きな変化は裁判員制度だ。良くも悪くも制度がスタートした。そもそもよく知らなかったことだが、裁判員候補として呼ばれた人の中から、当日最終的に裁判員になる人が選ばれるのだそうだ。1時間かかると思われた選任手続きも今日は40分で完了したらしい。テレビでは裁判員に選ばれなかった人がインタビューを受けていたりしていたけれど、意外とあっさりと淡々としていたらしい。

 良いのか悪いのか。これは本当によくわからない。でも、裁判員制度以前の司法制度が完璧だったかというと、それもよくわからないのである。裁判員推進派も裁判員反対派もそれぞれいると思う。ニュースでも「強行しようとしていることに強く抗議する」というグループのことを紹介していた。確かに不安はある。自分が裁判員に選ばれたらという視点でもそうだし、自分が裁かれる立場になったらという視点でもそうだ。やはり素人に死刑とか言われたら、そしてそれが完全に冤罪だったらどうだろうか。その心配は常につきまとう。

 だが、それでも僕は今回の制度変更を支持したいのである。というのは、これでダメならまた変えれば良いからである。その過程で、これがダメ制度だったとして、そのダメ制度の実験の犠牲になってしまう人ももちろん出てくる。だが現在の制度にも欠陥があり、その欠陥の犠牲になっている人も確実にいて、だからこういう制度変更が叫ばれたのだろう。大切なのは現在目の前に存在する犠牲者が出る仕組みが判っていて放置せずに手を差し伸べることだと思うのだ。変化とは修正であり、修正というのは少しずつ、少しずつ微妙に良いと思われる方向に向かっていくものだろう。それが出来るのかどうかが問われるのだろうと思っていて、だから、今回の裁判員制度に多少の欠陥があるとしても、現状の欠陥を是正するということへのトライができないというよりは、社会として僕は安心が出来るなあと思うのである。

 変化を怖れてはいけない。変化を怖れるのは硬直につながり、周囲が変化することを前提に考えれば、硬直こそもっとも愚かな変容になってしまうのである。制度も組織も硬直が弱体化の最大の原因である。だから僕らも変わることに勇敢であるべきなのだが、それでも未来永劫に続く組織などないという歴史の事実が、僕を弱気にさせてしまうのだ。