Monday, August 24, 2009

これは決勝戦ではない。準々決勝程度なのだ。

これは決勝戦ではない。準々決勝だと思う。

 天下分け目の決戦だと人はいう。それを誰もが肯定している。だが、これは日本の民主主義への単なる一里塚でしかないと思うのだ。思えば4年前。あの選挙で自民党を応援したのは誰なのか。それは今回民主党を応援しようとしている人たちである。僕を含めたそういう人は何を求めたかというと、自民党がぶっ壊れる、イコール日本の政治が変わるということだった。あの当時は当時の民主党よりも小泉氏の方が自民党をぶっ壊すパワーと意思を持っていたと感じたから、少なくとも僕は入れたのだ。自民党が壊れるということは、とりもなおさず官僚支配の打破である。自民党が力を握っている限り、そこと癒着している官僚は過剰な力を保持してしまう。だから壊さなければいけなかったのである。しかしながら、当時の民主党は愚直な岡田氏の弱さと、次に続くはずの若手たちの弱さから、やはり信頼に足りずという状況だった。

 そして小泉自民党の圧倒的勝利。チルドレンと言われた人たちの我が世の春。だが思いのほかに早く退いてしまった小泉氏のせいで、旧来型の人たちが首を擡げてしまった。背景は森喜朗の院政にあるのだが、除名された人たちが戻り、要職に就く。問題を起こしても責任を取らずに天下りを繰り返してのうのうとしている高官とまったく同じだなと思った。自分たちがそれで官僚の問題を正すことなんて出来るわけがない。

 そして今、そのツケが完全に回り、重鎮たちが自分の選挙で精一杯という地元張り付き状態になり、300議席を超えるだろうと民主圧勝が予想されている。だが、これで終わりということではない。自民がこの先どうなるのか。16年前のようにボロボロと逃げ出すように離党が進み、ただでさえ少ない所属議員がさらに減るということになるのだろうか。そんなことはない。あったとしても、それで自民党が終わるということではない。かつて政治家になりたい人たちが自民党からの公認がもらえず、せっかく松下政経塾なんかに行ったというのに地方議員にしかなれないという人たちの受け皿に民主党(当時は日本新党とか新進党とかだったが)がなったように、今回は次なる議席を求める人たちは民主党に入るのが難しくなり、自民からの乾坤一擲を目指すようになるだろう。また、今回自民党が下野をして、それは史上最強の野党が生まれるのだと思うのだ。彼らは徹底的に民主を攻撃するだろう。それは現在の民主が過去4年間に行って来たものとはまったく違うレベルの攻撃をするのだと思う。それに民主が耐えられるのか。この4年間を海千山千の小沢一郎は健康を保ち続けることが出来るのだろうか。もしも彼が倒れでもしたら、その時はひ弱な民主党に逆戻りする可能性だってある。そうすると今度とはまったく別の政権が4年後に生まれるということになるだろう。

 それでいいのだと思う。要するに政権交代が可能だというのが常識となり、現在自民党が行っているようなネガティブキャンペーンが通用しなくなる世の中になればいいのだ。民主党が過去に政権を取った経験がないから、自民党は「民主党に政権を預けることなど不安だ」ということがいえるのである。だが、一度とってみたらそんなに恐いことなんてないということが、自民党が恐がっているのは自分たちが野党になってしまうことだったんだということが判るだろう。そうなると、単純に政策を問うことが出来るようになるし、今回のように一種ばらまき論が百花繚乱の結果はそれほど良くはないということが国民全体に理解されるだろう。何事もそうだが、理屈のように物事は進まない。つまり今回の選挙でそれほどドラスティックに何かが変わることなどはない。一つ一つ国民が学習する、経験の一過程でしかなく、だとしたら、経験するなら極端に大胆に経験した方がいいのだろうと僕は思う。だから、300議席が320議席になり、それがさらにたとえ400議席になったとしても(そんなに立候補してないと思うが)、それが国に悪い影響を与えるようなことはないのだと思う。もしもそれで一時的にマイナス要因が出たとしても、それも経験だ。今はなんとなく「こうなったら悪いんじゃないか」とか頭の中で考えているだけで、それが、自民のネガティブキャンペーンに付け込まれる隙でもある。だから、ここは一気に大胆に圧勝させようと思う。