Saturday, August 29, 2009

選挙の話も飽きてきた

 新聞には週刊誌の広告が。300超とか320だとか、307で決まりとかいろいろ数字が出てきている。はやる気持ちは解らんでもないし、それが彼らの仕事なんだから当然だが、そこまで既に決まっているとか言われてしまったらこっちもやる気なくなってくるじゃないか。中選挙区の時には選挙区で5人とか当選することになっていて、例えば自民党が2人、公明党と社会党と共産党がそれぞれ1人で合計5人みたいな状態だった。それが自民が3人になることもあったし、社会党が2人になることもあった。だけれども、自民党のドンみたいな人は絶対落ちることがなかったりして、だから「行っても行かなくても同じ」という諦めにもにた気持ちに支配されていたのだ。並立とはいえ小選挙区制になって、大物だって落ちることがある。そんなことになってきたから面白くなってきた。いや、政治屋の人たちからすれば大変な状況なのだろうけれど、政治屋の家系に生まれてしまったおぼっちゃまたちにも大変なんだろうけれど、国民からすれば制度の上にあぐらをかかれてはたまらない。僕のいる東京1区も与謝野さんが落ちて浪人生活をしたこともあったし、一方の海江田さんも4年前の選挙で落ちて浪人の身だ。今でこそ勢いに乗っているけれど、当時は青い顔をして選挙区内を回っていたものだ。だがそれが彼らを真剣にさせるのだと思う。小選挙区で落ちても比例で復活すればいいじゃないか。そんな風にタカをくくっているのだとしたら、やはり国民の声など届かない。あまりにも国民の声ばかり気にして大所高所の考えに頭が至らないのも考えものだが、国民の声を聞かない大所高所が国民を幸せにするかというと、結局土建屋しか幸せにしてこなかったことを考えると、それもやはりダメなのだろうと思う。

 4年前の選挙はやはり画期的なことだった。それは勢いに乗れば300を超えるということが実証されたからだ。そんなことが起こらないように比例が並立されていたわけだが、それでも300を超えたり、比例の候補者が足りなくなるような自体も起きたりして、理屈を超えた政権交代の可能性が実証されたのだ。本来はそれを目指して制度改革に取り組んだ羽田孜や小沢一郎の側が圧勝するべきだったのかもしれないが、それを小泉純一郎が享受したというのが皮肉でもあり面白いところでもある。だが小泉純一郎が森喜朗のようなモチベーションの人だったら巧みに生き残り、今もこんな状況にはなっていないかもしれないが、とにかく流れは変わり、このままいくと民主党がやるようになる。だが、それも一過性の出来事でしかなく、ここが衆愚政治になるのかどうなのかの境目なのだろう。いいことをそれは言うさ。デートとかする時に自分のことを最大限いいように言うのが普通である。それはどんな良い男も悪い男も同じであり、だからそれを見抜く目を各自が持たなければいけないということなのだろう。自民党が鳩山似のキャラクターのアニメで民主党を攻撃しているが、あのアニメの内容は当たり前だろうと僕は思う。あれがダメだとしたら、今度は麻生似のキャラクターが出てきて「オレは超金持ちだから一生心配は要らねえよ」って言わなければ、女性の生活を一生保証することなんて出来ないわけであり、そうなるとやはり金持ちじゃなきゃプロポーズしてはいけないということになってしまう。

 あまり時間がないのでとっとと進むが、中選挙区制時代にあった諦め感を、マスコミの事前調査、予測によって同じような気持ちにさせられているような気がする。もう行かなくても同じ。そんな気分が僕らを襲う。バイトの学生の子も「あんま関係ないような気がするんすよね。」とか言ってたが、大間違いだと思う。そんなことをして若年層の投票率が40%とかの間に老人は70%とか投票して、結果として国債が大量発行されて、将来若者世代が払う借金で老人が豊かになってしまったりしている。後期高齢者とかの問題も確かにあって、老人で不遇の人ももちろんいるが、相対的には老人が豊かだ。だから家を持っている老人の家に若者世代が居候して出て行けないという状況がたくさん生まれてしまっているし、世代で分けた時の失業率は著しい偏りがあるのである。それなのに子供の世代が払う借金をして道路とか何とかいっぱい作ろうとしている。それに対してどうやってNOと言えるのかというと、選挙しかないのだ。

 子育て手当にしても、ばらまきだとか言っているけれど、子供を教育する以外にこの国を良くする方法はないのだ。だって資源がないのだから。知恵を働かせて他国を出し抜いて金を稼がなきゃいけないのに、ゆとりとかなんとかいって教育を緩める。国の教育関連予算が先進国中でも少なく、それで頭のいい子が育つわけがない。教育を施して育った頭が自分の良い暮らしのためにだけ動くわけではなく、その動きは結果としてこの国を豊かにするわけで、そこお金は投資であり、投資は将来彼らが払う税金として帰ってくれば良いのだ。そういう発想がなくてどうする。2万6千円の子育て手当に対して「財源はどうなんだ」とか言っている馬鹿が大勢いるが、そんなことを言う人には、じゃあ将来どうやってこの国は発展すれば良いのかということを問いたい。そんなことを言う人が小手先の理屈で総予算がいくらでどうでこうでどうなんだとか言うだろう。究極の答えはこうだ。「そんなもの、道路一切止めて、箱モノを一切止めて、大人はレジャーなどせず、野草を食って雨水を啜ってでも、子供を教育しろ」と、僕は言いたい。いや確かに今時分がやっている仕事とか大事だし、お盆休みには里帰りとかしたい。海外旅行も行きたいし、美味しいものも食べたい。でもそれをやりながらもこの国の将来とか考えていきたいわけで、それは目先の安寧も確かに必要だが、そればかりで将来のことを考えられないのであればそれは愚かすぎる。金持ちでこの後50年くらいの人生を安心に暮らせるようでなければプロポーズもしては行けないようなそんな国のままで良いわけがない。

 なんか話はどんどん脱線するぞ。最近ブログをさぼっていたから文章力も落ちているんだろう。頑張らねばと反省しきりだ。それはともかく、やっぱり選挙だ。明日は大事な一票を投じたい。