Thursday, September 10, 2009

リマスタリング

 ビートルズのデジタルリマスター版が出たそうな。世界同時発売で深夜0時から販売すると世界で最も早く買えるというのはWindows95の発売あたりからの通例となった。銀座山野楽器でも多くのファンが並んだという。タワレコではなく山野楽器というのが、ファン層の年代を物語るという気がする。

 さて、僕の机のスピーカーからも今ホワイトアルバムがガンガン流れている。このニュースに誘発されて棚から出してきたわけだが、昨日のニュースを見ていると、どうやらデジタルリマスター版の音は妙にクリアで、まるでビートルズがそこにいるように聴こえるらしい。それを聴いた後で以前のバージョン(今僕の前で流れているやつ)を聴くと、「ビートルズが遠くに行っちゃった」ようになるらしい。

 まあこれがマスタリングというもので、一般の人からすればあまり馴染みもなければ理屈もチンプンカンプンなことだろうが、音楽をやっている人なら避けては通れない作業でもある。レコーディングをして、複数の録音トラックをLとRの2トラックにバランス調整してまとめるのがミックスという作業だが、基本はここでいろいろな思いを込める。マスタリングの時にいじるよりもミックスの段階でいじった方が自由度が高いからだ。例えばボーカルだけにエフェクトを掛けたいと思っても、ボーカルだけのトラックが独立しているなら可能なことも2トラックにまとめられた後では、どうしても他の楽器にもエフェクターの影響は出てきてしまう。だからミックスの時にやるのが基本だし、簡単なのだ。

 しかしながらミックス済みの2トラック音源をいじるしか無いことだって多い。ミックスの時に忘れていたとか、後から気付いたとか、そんなのは論外だ(でもこういう事態も少なくない)が、例えばベストアルバムを作るとき、レコーディングの時期も場所もエンジニアも機材もまったく違うような音源がそこにあるのである。コンピのように違ったアーチストが混在するならそもそも違っても当然だが、同じ歌手の曲が並んだ時には同じように聴こえないと違和感が生じる。というわけで、全体の調子を合わせたりするためにはマスタリングは不可欠だ。近年はそういう作業のためのテクノロジーは格段に進歩している。機械的な進歩に僕ら音楽業界人の耳がついていっていないというのが多くの場合実情だろう。プラグインというソフト的なものがセットで100万円を超えるというのもざらである。それでも10年前ならその100倍出しても手に入らないようなものだったわけだから、テクノロジーの進歩というのはありがたいものである。

 ビートルズの今回のリマスタリングは実に4年の歳月をかけたという。関わったスタッフは大変だったろうなあと思う。全アルバムに対しての作業だとはいえ、4年間ビートルズの音ばかりをいじりまくるって、大変なことだ。それに作業が終わっても全部を聴いてちゃんと判断するというのは今期と体力が不可欠である。こうして発売の日を迎え、ホッとしているであろうエンジニアたちにはご苦労様と心から言いたい。

 だが、僕は今回のリマスターを苦々しい気持ちで見ている。聴きたいかと問われればもちろん聴きたい。だが、それは一体何を聴くためのものなのだろうか。ビートルズがすぐそこにいるようだということは感動なのだろうか。だとしたらその感動は何なんだろうか。ビートルズの本質を、近くに行くことでより判るというのだろうか。それとも、エンジニアの人たちの技術と根気を賞賛するための作業だったりするのではないだろうかと、僕は思うのである。

 テレビのニュースにはビートルズを一気に聴くイベントに会社を休んできたというおじさんたちの列が映っていた。音楽に対する情熱なのか、それとも青春時代への邂逅なのか。既に伝説となり、個人の中でも唯一無二の存在になってしまったビートルズ。彼らの音楽をその伝説抜きに音楽史さえ知らない幼児に聴かせた時に、はたして今の新人たちと比べて圧倒的な差でビートルズを支持するのだろうか。いや、そんなことは無いと思う。若いバンドたちの音楽にもいいものはたくさんある。時代を超えられるかという問いへの答えは時間が経たないと出てこないだろう。だがその可能性を秘めた素晴らしい音楽はたくさんある。だが、それを知るにはその倍の、下手すれば10倍100倍の駄作と偽物を聴き、失意に塗れる必要があろう。それは大変な努力でもある。だが、だからこそそれに巡り会えた時の喜びは大きいのだ。そういう音楽との触れ合いを日常的にしている人は、ビートルズリマスターのために深夜に並んだり、9時間イベントに参加した多くの人たちとなかにどのくらいいるというのだろうか。まあ僕は特殊な立場故に、まったく無名のミュージシャンの音楽や、音楽もどきさえも聴きまくっていて、そこまでする必要はまったくないと思うが、しかしながら1枚目が認められて2枚目がスマッシュヒットするとか、武道館クラスのライブを出来るとかでもいいし、それを全員とかではなく、年に1組くらい聴いてみるとか、そのくらいのことをしているオッサンはどのくらいいるのだろうか。誤解なら謝るが、まあほとんどのオッサンは聴いていないだろうと思う。となると、新しい音楽との出会いを放棄した音楽ファンが求めるビートルズリマスターというのが一体なんなのか、それがまったくわからなくなってしまうのである。

 僕は、ビートルズがすぐそこにいる必要はまったくないと思っている。それを買うくらいなら、もっと別のものに手を出したいと思う。いや、ビートルズがいけないわけではない。選択をするというのは、別の可能性をひとつ葬るということでもあるのだ。だから、僕は既におおかた知っているビートルズのさらに細かな部分を知るための選択よりは、もっと新しい、今自分の道をさまよっている多くの現役バンドたちの音楽に耳を傾けたいと思うのだ。

 それは同時に、キラキラレコードの姿勢でもあると思う。マスタリングとか、レコーディングの技術というのは既述の通り素晴らしい。だが、それに比重を置きすぎると、本当に大切な、ロックな何かが失われるような気がしてならないのである。例えば、オートチューンというプラグインがある。これは音程を変えることが出来るものだ。つまり歌入れの時の実際の歌唱が多少音を外していても、後から調整して上手く歌っているように修正出来るのである。これはとても重宝だ。僕だって使うことはある。限られた予算の中でどうしても満足な結果が得られないことだってある。そういうときのための最後の策である。だが、それがあると判れば人は頼ってしまう。あまり練習しなくてもいいよね、息継ぎの音も消せるし、タイミングがずれたら一部の音だけずらせるし、テイク1とテイク2のいいところだけをあわせることも出来るし、声の強弱だっていい感じに出来るし、音程だって外しても大丈夫。そんな気持ちでレコーディングしていたのでは、感動なんて生まれない。今年の24時間テレビで盲目のスイマーが津軽海峡をリレーで泳いで感動を生んだが、あれはあの人が本当に大変な思いをして、昨年は失敗して、それでもリベンジを誓い再チャレンジするから素晴らしいのだ。仮に今年も途中で失敗していたとしてもそれでも僕らは納得するだろう。しかし、もしもこれ、テレビに映っていない時に船でバーッと先に移動して、「まあゴールだけそれらしくやってればいいんじゃない」って気持ちで、スタッフはもちろんリベンジをする彼女も同じ気持ちでインチキをしていたとしたら、そこに感動はあるだろうか。それはロックなんだろうか?

 僕は、音を良くする技術があることは知っている。自分の作品としてリリースする立場のアーチストが出来るだけ綺麗で完璧なものを出したいと思う気持ちも十分に判る。だが、それを優先させてしまったとしたら、本当に大事なものが失われてしまう。綺麗だが価値などないものが生まれてしまう。どうせ価値がないのだったら、本音でチャレンジしたものの方が、多少なりとも意味はあるのではないかと、僕は思うのである。

 ビートルズは素晴らしい。今聴いても素晴らしい。そもそも僕だってリアルタイムではないし、それでも素晴らしいなと心から思う。だけれども、それを評価する方法というものは、きれいな音を求めるということではないように思うのだ。それに、本当にいい音を聞きたいのなら、スピーカーとかアンプとかをいいものにすることの方が先じゃないかと思うし。