Wednesday, September 16, 2009

財源問題と希望論

 鳩山政権が誕生した。これはこれで素晴らしいことだと思う。もちろんこれから平坦な道のりではないだろうと思うけれども、しかしながらこれが新たなスタートだと望みたい。

 そのニュースを見ていて、ことのほか新政権に不安を述べる人が多いように感じる。不安に感じる人がいないというのもおかしいが、不安が渦巻くということでもないと思う。そういう意見を敢えて強調するように報じられているのか、それとも本当にかなりの人が不安に思っているのか、それはよくわからない。だが本当に圧倒的に不安の人がいたのであれば、自民党がこれほど負けることはなかったようにも思うのだが、どうだろうか。

 その財源問題だが、僕は2つの視点で考えてみたい。ひとつは、本当に財源はあるのかないのかということ。そしてもうひとつは、財源問題と意思との関連である。

 本当に財源があるのかないのかということでいえば、僕はあると思っている。というか、ないわけがない。こう言うと極端でかつ無責任に感じられるかもしれないが、そんな立場でもないので無責任で仕方ないだろう。財源はないと言えばないし、あると言えばある。そもそも、無いということで言えば麻生政権での補正予算も、ないから国債発行をするわけで、ではその膨大な国債を誰が引き受けているかというと、国民だ。より正確に言うならば、民営化された日本郵便が、今でもその膨大な資産を国債購入にあてている。当てられるということは、財源はそこにあるということである。もちろんそれは一時的に借金をしているわけで、国債の償還時期が来れば利子とともに返さなければならない。すでに償還時期がきているものもあって、その返済に借金をしている部分もあり、自転車操業、火の車だ。だから大変だと言っているわけで、もう借金はするなよというのが健全な考え方だ。不況の今、税収は減っており、使うお金を増やしてはいけないというのもまともであるし、だから、子育て支援も、高速無料化も反対だというのが一般的な財源問題への不安という形になって現れ、報道されている。

 総予算というものがあって、それが税収を超えれば国債発行や埋蔵金ということになる。その予算の枠の中でいかにやりくりをするかということが問題なのであって、これまでの予算で決まっていたものの上にさらに支援とか無料とかすれば当然追加の財源が問題になるのだが、そうではなく、これまでの予算の在り方に疑問があって、だから政権も交代しなければということになるのだ。民主党が財源論に怯んで子育て支援も高速道路無料化もしないということは、すなわちこれまでの既定路線としてある予算をそのままにするということであり、それは民主党にとって自殺行為である。だから敢えて予算は組み替えるのだ。組み替えによって、期待していたお金をもらえなくなるケースもあるだろう。だが、一部議員が言っているように、母子加算を復活させるような組み替えをもししなかったら、そこで苦しんでいる母子がどういうことになるのかということと、期待していたお金をもらえなくなることで苦しむ誰かがどうなるのかということを比較すればいいのだと思う。それと同じように、子育て支援とか、高速無料化によって出てくる影響を比較すれば良いのだと思う。バランスであって、そのバランスの中で舵を切ることが大切なのだと思う。高速を無料化するということが極端な政策だと、僕も思う。しかしながら、今の料金体系とその料金がどのくらい人件費に充てられているのかというのが逆の意味でとても異常で極端なのであり、それとのバランスを最終的に調整するならば、一度極端なことを言っておく必要があったのだろうと思う。これも一気にやるというのではなく、北海道や九州の、比較的渋滞などの影響が出にくいところから始めるということであり、そういった手法は休日に一斉に1000円といういきなりのやり方よりも随分慎重だと思うのだがどうだろうか。いや、僕も休日1000円は利用させてもらったけれども。

 2つめの視点、意思の問題とはこういうことだ。自民党がいみじくも選挙前に怪しげなアニメをつくってYouTubeなどで喧伝していたが、そのアニメでは鳩山さん似の男が夜景の綺麗なレストランで「俺についてくれば人生バラ色だよ」とかいって、「じゃあそのお金はどうするの」「それはなんとかなるさ〜」みたいな内容だった。もちろん財源は大切だ。働きもしない男にプロポーズする資格はないだろう。だが、不況と言われる世の中で、将来までも安定することが保証されるようなことは滅多にない。ではどうすればいいのか。そこである男は「何とか頑張って、お金を貯めて、海外旅行に行こう」と言い、別のある男は「将来が不安だから、海外旅行なんて無駄遣いは一切考えないように、堅実に生きていこう」と言う。数年、いや十数年後に結局どちらの家庭も海外旅行に行けない可能性もあるだろう。しかし、後者は絶対に行けないし、希望すら持つことは出来ないのである。もちろん堅実第一の方が老後の蓄えなどは万全になるかもしれない。では万全とはどういうことをいうのか。いくらあれば老後は安泰なのだろうか。そんな保証額なんて決まらない。難病にかかり医療費が想定外にかかるかもしれない。地震にあって家が崩壊するかもしれない。銀行がつぶれて預金がパーになるかもしれない。家族が誘拐されて身代金を用意しなければならない。そんなことを考えていると、安心なんてほど遠い。だから堅実派はとめどなく貯金をするだろう。そして我慢を続けるだろう。それでいい人ももちろんいる。だが、僕はいやだな。そんなことを強いられると、とてもじゃないけれど生きている意味が無くなる。

 今の不安をあおる勢力というのは、そういう存在ではないかと思うのである。堅実旦那に向かって「貯金をしなさい、将来に備えなさい」と休みなく言い続ける。それによって貯めることだけを人生のすべてにしてしまっている人は多いのだと思う。そしてそのお金を金融機関はサブプライムとかに投資したりしてきた。今国が借金している原資である郵貯のお金だって結局は個人が将来の備えにと貯めているお金ではないか。不安を煽って国民に貯蓄させるというのはこの国の基本政策だった。そしてそのお金を国にまわして、天下りの人とか建設会社とかが潤ってきた。その一方で個人の生活が切り詰められ、母子家庭への支援も減らされてきた。働けない支援されないではどうしようもないし、お金をかけられない家庭の子どもは教育もろくに受けられないということであり、一方で潤ってきた側にいる人は子どもも教育され、エリートとなっていき、利権をさらに守ろうとする。まあそういうステレオタイプがどこにいるのかという特定は難しいのだろうけれども、現実はそういうことが広く行われていて、そういう嘘とか歪みの象徴となるものがいくつかあって、それが、教育であり、道路であり、ダムである。それだけのことだろうと思うし、だから、この歪みを正すためにも、多少の無茶があっても、初志を貫徹することがまず望まれているのだろうと、それが民主党への期待なのだろうと思うのである。

 要するに、今の世の中はかなり極端なところに行ってしまっていて、だからそのベクトルを逆の方にちょっとだけ戻す、そのスタート段階に過ぎない。戻すべき方向というのはつまり社会主義的な方向性だ。それを20年前くらいに口にしていたのは社会党や共産党だった。僕はそれを良しとは思わない。だが、現在の状況は社会主義体勢が個人の欲に塗れて失敗して末期的症状を起こし、その結果壁が崩壊したように、今の日本は資本主義という名の下に一部の個人が欲に塗れて、結果として社会主義国家よりも社会主義的な状況に陥ってしまっている。つまり両方の極端な主義は、結局個人の欲によって歪められ、末期的なところに行き着いたのであって、日本の資本主義もまた、壊されるべき壁を築いてきたのだ。それをどうやって打破するのか。ベルリンもかつて壁が崩壊し、いろいろな不安を迎えた。だがその不安を凌駕したのは、希望そのものだったように思う。壁を越えれば撃たれるかもしれないがそれでも向こうの世界への希望で超えようとする。同じようにこの国も、現在不安に押しつぶされようとしている状況で、国民の多くは希望への舵を切ったのだ。だからこそ、僕はこの政権に我慢しながらも期待したいと思うのである。

 
 今日注目すべきは鳩山さんの挨拶ではない。官邸を去る麻生前首相の挨拶だ。締めくくりに「日本の未来は明るい」と述べた。この1年間経済が不安だと言い続け、政権を手放そうとしなかった麻生さんだが、本来はべらんめえで明るい性格の人だったはずであり、今日の挨拶でその持ち前の性格が再び見えたような気がした。そう、日本の未来は明るいのだ。少なくとももうしばらくの間は、「もしかすると海外旅行に行けるかもしれない」というような希望に心を寄せながら、前を向いて進んでいきたいし、行くべきだと心から思う。