Wednesday, April 28, 2010

ルール

 興味深い法律が成立した。殺人事件の時効が廃止されるという。そしてそれを即日施行するという。なぜかというと、即日施行しなければ翌日午前0時に時効を迎える事件があるからだ。

 これに対してどのように考えるべきか。まず、途中でルールが変更されるというのは如何なものかという意見があるだろう。人間はルールに基づいて生きている。社会に生きる以上当然だ。そのルールとはなにか。少なくとも現時点で信じられる一定の枠だ。そこにはいろいろな理由があるだろうが、それが絶対というわけではない。野球で3回空振りしたらアウトなのである。たとえその打席に新記録がかかっていて、シーズン最終戦の9回裏だとしても、ルールである以上3回空振りしたらアウトなのである。同じように、犯罪者もルールに縛られている。法を犯したら追われるし、捕まったら裁判を受ける。たとえ悪いヤツでも裁判を受ける権利がある。同様に、一定の期間逮捕されなければ時効になるというのも、一つのルールだ。新しいルールがスタートしたとしても、それまで既存のルールに則って動いていたというのに、突然変わってしまい、それまでのルールに合ったアドバンテージというか、有利な点が根こそぎ無くなるとしたら、犯罪者も怒るに違いない。どうしてなんだと。法曹関係者だって怒るに違いない。どんな凶悪犯にも弁護士はつくし、ついた弁護士は凶悪犯の情状を述べ、守ろうとする。そういう立場からすれば、時効が無くなるっておかしいだろうという主張が出てきても何ら不思議は無い。

 これを殺人事件の時効というから「ヘンなことを言っている」と思われるかもしれないが、じゃあ年金とかでいえばもっと判り易いかもしれない。年金制度は25年以上払っていれば、歳をとってから年金が毎月もらえるという仕組みだ。簡単にいえば。でもこれが破綻しそうになっていて、このままではダメだという議論は多い。しかし、じゃあだからといって「国としては今の年金制度に問題があると考えるから、本日法律を改正し、明日からは年金制度はなくなります」とかいうことになると、もう何十年も支払ってきた人からすれば絶対に納得出来ないところだろう。「まあ現在の年金制度に問題があるのは判る。でもそれはこれから20歳を迎える子どもたちに対して施行すべきであって、これまでの年金制度(ルール)に基づいて生きてきた自分たちにはこれまで通り支払うべきだ」という主張になる。もっともだ。そういうルールの元で生きてきたのだから。

 でも、このままでいいはずは無いし、40年くらい先に是正されるような制度を今から設計して運用するのは絵に描いた餅に過ぎない。だからどこかでドラスティックな改革が求められるのだろうが、そんなルール変更というのは、やはり難しいし、現実的ではない。

 今回の時効問題について、僕は個人的には中途半端だと感じる。制度的には、これから発生する事件についてこの新しいルールを適用していくというのが筋である。なぜなら、新しいルールを知って、それでも人を殺しますかという、そういう問いかけであるべきなのである。それがルールだ。打席に入るまでは3ストライクでアウトだったのに、1ストライクをとった辺りから突然「2ストライクでアウトですよ」と言われるようなことは、あってはならない。そうでなければ、過去に既に時効を迎えている事件に付いてもその時効が無効だとするようなやり方をすべきであろう。なぜなら、この制度改正は「殺人を犯しながら一定期間過ぎれば免責になるのはおかしいだろう」という考え方から来ているのである。だとすれば、現時点で免責になっていること自体おかしいとするべきなのである。だが、そのどちらにもならず、結局は即日施行で、時効成立ギリギリの事件の犯人を逃がさないということを優先させた。中途半端な結論に至ったのは本来的には残念な気がしてならない。

 だが、それでも僕はこれでいいのだと思う。どんな問題や決定に対しても100人いれば100人の意見があり、百家争鳴することで結論が先延ばしになっていくことを避けると言うのも必要なことだ。だとすれば、法改正の精神が最低限ギリギリ活きるような決着を見たのは、とてもいいことだったように思うのである。つまり殺人という卑劣な犯罪を絶対に許さないという一つの意思を示すことができたわけだし、ルールは絶対に正しいということではなく、その奥には常に社会が良くなっていってほしいという普通の願いが、改正によって少しでも実現に近付いたような気がするのである。