Friday, May 28, 2010

罷免

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 福島さんが頑だ。テレビでは罷免確実とか言っている。ブログを書いている途中か、アップの最中に罷免のニュースが流れるかもしれないが、そうなったとしても今の雰囲気で書く。書くのにどのくらい時間がかかるかもよくわからないし、ブログの着地点もあまり見えていない中、非常に流動的な文章になるかもな。書いていてちょっと面白い。

 福島さんが頑なのか、社民党の中の強硬派の人たちが頑なのか。それもよくわからないのだが、僕には福島さんは板挟みになっているのだと見える。そもそも途中から社民党に入って来て、知らないうちに持ち上げられてしまったお神輿なのだ。そもそもテレビに出る弁護士の走りのような人だし、目立つことが大好きだ。マドンナブームの記憶から離れられない土井たか子から一本釣りされて、そして何となく今に至る。現実路線と理想論。それが食い違うのは当たり前で、どこで妥協線を探るのか。世界は常にそれの繰り返しで、探れない場合に衝突が起こる。政治の争い、ビジネスの争い、場合によってはテロとか国家間の戦争も例外ではない。

 人はなぜ妥協が出来ないのか。それは命よりも大切と思える何かを持っているからである。札束を積み上げればOKしてもらえるのなら簡単だ。だが何でも金で解決出来る人たちばかりではない。心で接するといっても限界がある。権力者が反対する人をことごとく呼びつけ、拷問をして意見を変えさせる。洗脳をする、ロボトミー手術をする。一生獄に幽閉する。最悪処刑する。それは最悪だ。だが命よりも大切な何かを持っている人に対して、最後の説得はそういうことになってしまう。

 だから、物別れになるのだ。それは仕方ないではないか。罷免やむなしだ。どちらかが妥協するよりもよほどサムライだ。福島さんは女性だけれど。

 しかしこれが選挙との絡みということになるから事情はそう簡単ではなくなる。小沢さんのトラウマは間違いなくそこにある。細川羽田の連立政権が下野したのは、社会党を仲間はずれにしたことが原因だ。そもそも違う思想の基にあるのだから、しょっちゅう揉めるのは当然だ。だからといって、そこで決裂したのでは子供のケンカである。小沢さんは15年前に子供のケンカをやったのだ。そして、窮鼠が猫を噛んだ。当時の社会党と現在の社民党とでは影響力はまったく違う。数合わせの点でも既に重要度はほとんどない。だが、小沢さんは学んだのだ。表層的に相手を舐めると大変なことになるということを。だから多くの閣僚が罷免やむなしと言いはじめている今、それではいけないと主張しているのだ。

 非常に皮肉な話だが、この日が来るのはある程度判っていた。だからこそ、盤石な政治的基盤を作り上げるため、次の参議院選挙が重要なのである。もしも民主党が大敗して、参議院が非常に不安定な状況になり、衆参ねじれが起きてしまったらどうなるのだろう。答えは簡単だ。この国が停滞するのである。船頭多くして船進まずである。課題を山積みし、変化が求められているこの時代に、確実に停滞をしてしまうのである。それは何よりも明らかな自滅へのシナリオだ。つまり、サッカーで3点ほど負けたまま後半の25分を迎えているのが現在の日本だと、僕は認識している。そこで監督の作戦にコーチが3人くらいで反対を始めているような状態が、今の日本だ。そして選手たちはどういう戦術で戦えばいいのか迷っている。少なくとも今の戦術を続けるしかないだろう。それで3点のビハインドになっているのは明確なのだが。

 だから、ディフェンダーも敵陣に上がっていくくらいのチャレンジをしていく必要がある。それは異論もたくさんあるだろう。点差を広げるだけだと言われたりもするだろう。だが、このままでは負けるのだとしたら、ギャンブルをしてでも勝ちにいく戦術を明確にする必要があるだろう。だが、それには監督の強いリーダーシップが不可欠なのだ。それは民主党でなくともいいのだけれど、現時点ではそのポジションを担える立場にあるのは民主党しかありえない。なぜなら衆議院で圧倒的な議席を持っているからだ。自民党やみんなの党、たちあがれなんとか、その辺がまとめて参議院の議席を押さえたところで、すぐに力を持つ訳ではない。小沢一郎ほどの力を持った政治家が17年かけてようやく完成させようとしている政権交代であって、その詰めでグチャグチャにするのは、国を停滞させようとする動きそのものでしかない。それこそ権力あって国家無し、国民無しになってしまうのである。

 だがどんな人も、政治家も国民もマスメディアも、それぞれの立場と主張があり、おいそれと口をつぐむことなんて出来ない。それは主義主張だったり、自己保身だったり、いろいろだろうが、立場を賭けて叫ぶのだ。そしてその叫びを止めるための弾圧を、この国は選択しない。それを選択しないというのも一種命がけの姿勢である。世界の多くの国でその弾圧を採用している社会が存在する中、それをこの国は採用しない。僕はそのことがとても大切なことだと思っている。何が起きても守らなければいけないことのひとつである。それは国民一人一人に尊厳を与える大きな要素になっているからだ。僕らは口をつぐむ必要がない。だから自由でいられるのである。たとえ反対の意見を持っている人であっても、相手からそれを理由に攻撃されたりする必要はない。素晴らしい社会だと思う。

 だからこそ、それを守るためには一種の節度が必要なのだ。節度とは、権利と義務の相互関係を守る上での重要なカギである。それを忘れて個々が勝手なことばかり言っていたのでは、結局混乱が起きるだけで、その混乱の中大きな停滞を余儀なくされるか、我々の自由な環境が失われながら前進するか、どちらかを選ばざるを得なくなってしまう。それは悲劇だ。だから、節度を個々が持って、権利主張だけではない義務遂行していくことが大切なのである。それが今出来ていないから、混乱の中停滞するという、実に不都合な状況に巻き込まれてしまっているのだと、切実に感じる。

 昨日の全国知事会なんかもまったくそんな感じだった。狂犬の橋元知事だけが基地問題の一部負担を口にした。それをパフォーマンスとか、関空の大赤字と関連している卑しい発言だとか、批判する人はものすごくいた。だが、たとえ打算でもパフォーマンスでも、なんらかの節度を持った発言をした知事がいただろうか。もっともらしいことは言っていた。国の安全保障についての説明がなされていない。だから負担受け入れも何も決められないとか。じゃあ説明したら受け入れるのか。そもそも受け入れたくないことを正当化するための逃げ口上なんじゃないのか。ちゃんちゃらおかしい。だったらまず沖縄に行ってみればいい。そして「俺たちは一切受け入れないぞ」と宣言すればいい。鳩山さんはとりあえず行った。戦略もなく行ったと揶揄されているが、それでも行った。2回も行った。それだけでも、全国の知事は反論なんて出来るはずもないと思うのだが、それは間違った見方なのだろうか。

 福島さんの罷免が先ほど報じられた。官邸から出てくる福島さんの表情はさっぱりとしたものだった。これで大臣ではなくなる。でもたかが大臣じゃなくなるだけで、別に殺される訳ではないのだ。政治家を引退した細川護煕も今はすべてが他人事のようなさっぱりした表情を見せている。僕はそれでいいと思う。政治家の前に人である。主張をして、ぶつかって、結果が出るだけのことである。これで社民党は窮地に陥るだろう。どんなバランスになったところで、社民党に連立を組もうと提案する政党は無くなるだろう。しかし、そもそもそれが社民党だったじゃないか。正々堂々と主張をし、それがダメなら野に下る。それはもともと社民党がいた故郷のような場所に過ぎない。思っているほど居心地が悪い場所ではないだろう。あっぱれだとエールを送りたい。

 これで政治のバランスはちょっとだけ前提が変わることになる。メディアもいろいろ言うだろう。谷垣総裁は相変わらず「解散して民意を問え」とオウムのように繰り返しているようだ。参議院選まであと1ヶ月とちょっと。日本がどうなるのか。きっと低投票率に終わってしまうだろうその選挙で、いくらかの方向性は見えてくるはずだし、僕も自分の権利を行使したいと思う。