Wednesday, August 24, 2011

自分の頭で考える

 民主党の代表選がとてもいびつなことになってきている。元代表のくせに自分の立候補もろくに決められない男が大本命だと。その男が1週間前まで「この人を推します」と言ってきた男はその元代表の心変わりのおかげで窮地に立たされた。まあ自分の軽々しくも迂闊な発言が窮地の最大の原因ではあるが。それでもそいつを応援していたのなら、窮地のときこそバックアップするのが仲間であるはず。しかし、決断の遅い元代表は、仲間だとしていた舌禍男をあっさりと裏切り、「自ら火中の栗を拾う」などとカッコいい言葉を口走る。しかし、「八ツ場ダムは中止にします。選挙のマニフェストで約束してることですから」とカッコいいことを言ったことを、僕は忘れたりしていないよ。そして約束していたはずの八ツ場ダムを中止など出来ずに逃げちゃったことも忘れてはいないよ。しかもつい先日「鳩山内閣に入ったとき、最初から自分は面従腹背でした」と語ったことも知ってるよ。つまり、この元代表前原誠司という男は、一から十まで全部口先だけなのだ。

 そして、なんとしても8月末の延長国会会期中に首班使命をしたいらしく、聞くところによると8月26日告示、8月28日投票というスケジュールで選挙を行うという。それでどんな議論が出来ると?情報も無く投票しろと?どうせ民主党所属国会議員だけの投票だからそんなものでいいだろうとでも?国民不在が現執行部のポリシーらしい。「国民の生活第一」という理念のもとに作られたマニフェストをあっさりと放棄し、放射能に汚染された情報を隠しながら「安全です、直ちに健康に影響はありません」と言い続け、汚染の基準値を20倍にし、国民不在の代表選挙(事実上の総理大臣選挙)を開催して問題無いとしている。舐めとるのか、まったく。

 で、そんな状況を見て、僕はとても無力を感じる。だが、国民のレベルを超えた政治なんて、民主主義の社会ではありえないのだ。良くも悪くも国民の代表なのである。そういう政治家が当選することを許した有権者。そういう政治家が当選するシステムを許してきた有権者。そんな政治が展開していることにほとんど関心を持たずにやってきた有権者。すべて悪いのは有権者たる我々なのだ。そのことを、僕は悲しいと思う。僕らは日本という国に生まれ、日本政府というものに政治を託すわけで、その意味では1億2千万人がひとつのチームなのである。誰かが誰かを蔑むとかいうのは許されない。チームとして劣っているのなら、チームの一員一員すべてが、無力であり愚かであり、そして責任を負わなければならないのだと思う。

 だから、ツイッターでそういうことをつぶやいた。もっともっと賢くならなければと。

 すると数人から「じゃあ、今とりあえずどうすればいいんですか」という質問を受けた。それに対して「そういうことを他人に聞けば答えてもらえるなんて思うのではなく、自分の頭で考えるようにすればいいのです。」と答えた。別にバカにして言っているわけではない。本当に、今大切なことは自分の頭で考えることであり、メディアを含めた他人の説明を鵜呑みにしないことだと思っているのである。

 もちろん人間はただ政治のことにばかり関心を寄せて時間を割くということは出来ない。だから当然生活の中でバランスを考えればいい。政治のことをどのくらい重要なことだと考えるのか。それが大切なことだ。

 例えば、AKBの総選挙というものがあった。僕は音楽の仕事をしているので普通の同世代よりは詳しいと思うが、かといってシングルを買うわけでもなく、劇場まで見に行くでもない。なぜなら、AKBのことは僕にとって優先順位がかなり低いからだ。低いから、個々のメンバーの顔と名前が一致しなくてもいいし、選挙で誰が1位になろうとどうでもいい。どんな結果になろうと自分の人生にたいして影響など無いのだ。一方で国政のこと。僕は国政は自分の人生に影響があると考えるから、結構調べるし、結構詳しい。だが、国政のことなんてどうでもいい、自分の人生には関係がないと、まるで僕がAKBの総選挙に対して思っている程度に考えている人が相当数いるのが現在の日本だろうと思う。投票率を見ればそれは明らかだ。大切な権利さえ行使せず、日曜日はレジャー第一と考えている人が多いのだろう。

 それでは国政は一部の人たちの恣意によって動かされてしまうよ。

 投票に行く人だって、どのくらいちゃんと政治のこと、政治家のことを理解して投票しているのか。まともに国の将来を考えたらそんな結果になるわけないだろうと思うような結果が出ることも多い。テレビの世論調査などを鵜呑みにしているんだろうし、でたらめな解説者の話を鵜呑みにしているのだろう。メディアの報道はかなりネジ曲がっている。もちろん枠があり、政治家の話を全部流すなんてことが不可能なことくらいは判っている。だから話の一部をチョイスして流すわけだが、その編集過程に悪意が介在したら、世論操作なんて簡単なことだ。

 僕は基本的に小沢一郎を支持していて、昨年夏の代表選の時、新宿西口まで奥さんと一緒に2人の候補の演説を見に行った。その話を聞けば、どちらに中身があるのかは誰が考えても判るだろうと思う。もちろんその演説を全国民が聞けるわけではない。だからそれを伝えるのがメディアの本来の役目なのだが、やはり報道は歪んでいた。奥さんにその話をしたら、「私は別に小沢さんのことをそんなに知らないし、そんなに支持しているわけでもないけれど、後でテレビを見て、事実と報道があまりにも違っているのにビックリしたし、それからテレビのことを素直に信用できないなって思った。だって、テレビでは「小沢陣営はサクラを動員していて、だから小沢コールが起こったんだ」って言ってたけれども、あれは違う。自分の隣にいたおじさんは犬を抱きかかえていて、ビラで犬の日よけを作ってた。動員された人は犬を連れてきたりなんかしない。あのおじさんはたまたま犬の散歩で通りがかって、演説やっていたからそこを動けなくなって、でも犬は演説なんて関係ないし、暑い日だったからもう弱ってて、おじさんも犬が可哀想なのを判ってるんだけれどもそこを離れられなくなって、演説を聞こうとして、だからビラを犬の日よけにしてあげてた。そんなおじさんが、小沢コールをやっていたの。それを見てるから、テレビの「小沢陣営がサクラを動員」というのは絶対に違うと思った」と答えた。僕では絶対に判らない視点だなあと感心した。実際の現場を生で見て、彼女は彼女なりにいろいろなことを感じて、これからいろいろなことを判断する指針を得たのだと思う。

 自分で考えるというのはそういうことだ。「誰かがこう言っていた」ではなく、「自分はこう思う」なのだ。読みが深い浅い、知識が多い少ないといった違いで、間違った結論を出すかもしれない。しかし自分で間違ったなと思ったら反省もし、次は間違えないようにしようと調べたりするだろう。だが、「あの人がこう言っていた」に乗っかるだけだと、「あいつが悪い」にしかならないし、だから自分でもっと調べようということにはならない。それだと、愚かなままでしかないのだ。AKBについて無知で愚かなのはいい。だが政治について無知で愚かだと、僕らの生活そのものが脅かされる。世界はのんびりとはしていない。経済も牙剥き出しで僕らを襲う。そんな中で、誰かの恣意的な思惑に任せていいというなら別だが、ちゃんと考えておかないと危険だ。だから、考えた方がいいと思うのだ。

 みんながそれぞれに真剣に考えた末に出た結果なら、みんなが納得もできるだろう。人には哲学がある。哲学の違いによって同じ情報から出す答えも違ってくる。それが民主主義というものだ。だが、哲学の違いではなく情報量の違いや情報を理解して判断する能力、さらには自分で答えを出そうという意思の有無によって出て来る結果などに、少なくとも僕は納得など出来ない。納得出来る人はいるのか? いたとすればその人はとてつもない愚か者か、亡国の徒でしかないのではないだろうか。