Wednesday, September 14, 2011

子供は誰の宝か

 福島の子供をなぜ国は助けようとしないのだ。そういう声は今も強い。避難地域を限定的にしたため、多くの国民が被曝をした。それは福島に限らないだろう。宮城も栃木も群馬も茨城も、そして東京だって例外ではないだろう。

 大人はまだいいんだという説もある。とはいいながら限度を超えたら大人だってヤバいし、軽々に大丈夫なんて言っていられないと思う。ただ、ここでは大人のことは置いて先に進めたい。大人よりも子供の方が影響を受けるというのは一般的な常識だし、子供を守ることが先決だからだ。

 で、子供を誰が守るのか。どう守るのか。基本的には放射線量が高い地域から離れるということになる。そして汚染が高い食品を極力割けるということになる。それも結構大変だ。移住するのにもお金がかかる。本来なら、事故を起こした東電に責任がある訳で、何をおいても東電が費用負担をすべきなのだが、なかなかそうも行かないというのがどうやら現実らしい。それでも東電に文句言ったり一時金を請求したり、するだろうしするのが当然だが、その間動かずにいたら被曝は進む。それでいいというのなら別に第三者がとやかく言うことではないだろう。安心というのなら堂々と悠然と住んでいれば良いし、不安があるのなら、一刻も早く避難した方が良い。その際の費用をどうするのか。自前で持っていればいいけれど、ない場合がほとんどだし、避難するにあたって仕事はどうなるという問題も当然出てくる。だから、国よなんとかしてくれと、思うのが普通だろう。

 だが、ちょっと待って欲しい。なぜ国民は子供の健康についての費用を国に求めようとするのか。その点のコンセンサスは得られているのか?子供って、国のものなの?それとも家族単位の宝物なの?

 今は一人っ子政策の中国も、昔は子沢山の家庭ばかりで、全員に教育を受けさせることも出来ず、1人だけに絞って高等教育を施し、将来その子が出世することで家族全員を養うと、そういう構図だった。これは、子供は家の宝だということが哲学としてあるのだ。だから自分の家族の幸せのために子供は勉強をするし、その他の子供は勉強する兄弟のための家事サポートをする。家族全員で家を支えているのだ。

 日本はどうか。子供を国で支えようという考え方は薄いように思う。こども手当に対する世論が象徴的だ。選挙の時は支持されたけれど、その後はバラマキだと批判された。子供が勉強ができるようになったら親はその子供を頼れると思っているのだろうか。他の家庭の子供が勉強できるようになったら、相対的に自分の子供の成績が下がることになる。子供への教育は家族としての投資であり、その投資から生まれた利益は家族に戻ってくる。要するに株式投資とあまり変わらない位置づけにされているのだ。その証拠に、各大学の親の平均年収を比較すると、ダントツで東大の学生の家族の収入が高い。続いて早稲田だといわれている。金をかければ子供の教育はある程度良くなる。自分たちが稼いだ金で子供に教育を施して、それで良い大学に行ったら将来も安定するし、家族としては万々歳だと、まあこういうことなのだろう。

 一方、北欧などではこども手当は当たり前だし、学校の授業料なんて無いらしい。教育は国の宝である子供を育てる大切なことであり、だから国家としてサポートするという考えなのだそうだ。

 僕はその考えが正しいと思う。特に日本のように資源が無い国では、どうあがいたところで海外から資源を買う必要がある。だから、人間の知力で外貨を稼ぐ必要が絶対的にあるのだ。だとしたら国民の平均的な賢さが要求されるし、その底上げを図るの資金は、個人の資産ではなく国家の戦略的な投資ということがごく当たり前な考えであるべきだ。こども手当はその一環であり、日本の将来展望の根幹を為す政策だったと思う。これをバラマキという人は、国家の未来をどう考えているのか。自分さえ良ければ他人なんて知ったことじゃないとでも思っているのか。そもそも、子供を誰の宝だと考えているのか?

 いくつかの選挙を経て、国の方針としてはこども手当を廃止するという流れになってきているようだ。それはつまり、国家の意思としては、子供は各家庭の宝に過ぎず、それに投資する家庭は投資すれば良いし、教育なんて無用とか、お金が無いから教育は無理だねと思っている家庭は投資しないで低レベル教育でいいということに他ならない。

 だとしたら、放射能で汚染されている地域の子供を、国家が救うはずがない。家庭で教育費に投資できないならバカで良いといってる訳だから、家庭で健康に対する投資ができないなら■■■でいいという理屈になるのは火を見るより明らか。「■■■」に入る言葉は皆さんが勝手に想像すれば良いことだ。僕は「早死に」や「不健康」という言葉を入れるよ。それでいいと言っているのは、政府であり、野党であり、官僚であり、大多数の国民なのだ。

 だから、国に保障をしてもらおうというのは、現時点では根本的に間違っているということになる。それは隣の家に教育費を出してもらおうと期待するのとほとんど変わらないことだ。何度も繰り返すが、国は子供を国の宝だとは考えていないのだ。その国の意思というのは、1億2千万の日本国民の総意だと思って間違いない。自分の家庭の子供の教育は自分の家庭でなんとかするのがベストという以上、自分の家庭の子供の健康も自分の家庭でなんとかする以外に方法はないだろう。

 僕には僕の家族を守る責任があると思うし、だからとりあえず京都に移住した。誰かに保障してもらえるかどうかなんて考えもしなかった。東京が本当に危険かどうかも判らないし、京都だと絶対に安全とも限らない。だが自分で出来ることには限りがあるし、その中で自分に出来ることをやって、その範囲の中で最も安心できる選択をする以外に方法はない。その安心の形は家庭によって、個人個人で違っていて当然だ。だから自分の理屈でそれぞれが行動するしかないのだ。なぜなら、子供を国の宝だとまったく思っていない国に、家族を守ってもらうというのは幻想に過ぎないのだから。