Saturday, September 17, 2011

可能性

 昨日、夕方からライブを観に行った。少し仕事の話をしているミュージシャンのライブで、会社から徒歩10分ちょっとの会場。京都のライブハウスをまだまだあまり知らないので、できる限り観に行きたいと思っていて、だから今は積極的にいろいろなライブに出向いている。出向いているというのは大げさで横柄な印象だな。誘ってもらって、ゲストで呼んでいただいている。そんな感じです。
 
 で、そのライブはよかった。まだ契約しているわけではないので具体的な名前を挙げたりはできないが、ザ・ミュージシャンという感じだった。まだ無名でライブハウスにも家族や友人が集うという感じだったわけだけれども、こういうのを観る機会があるというのがこの仕事の役得なところだ。本人にやる気があって、途中で迷ったりさえしなければ、将来きっと確実に世の中に出ていくだろう。レーベルとしてはこういう逸材のCDを出したいと思うけれども、それもこちらの一方的な思いだけで実現する話ではないし、実現したところで単にリリースしたというだけに終わることだってある。だからまあ今後の展開に僕自身期待と不安という感じなのだ。今後契約したら、今日撮影したビデオも公開して、大々的に(?)お知らせしていきたい。

 いつもは目的のライブだけ見て帰るのだが、今日は次のミーティングが9時から入っていて、時間が結構空くので次の出演者も見ることにした。男性と女性のデュオ。うーんという感じ。伝えたいことが何なのかもハッキリしないし、演奏がものすごいわけでもない。それなりの大人の2人で、それでこれかという感じだった。でも2人はものすごく楽しそうで、その分だけこちらの楽しさがしぼんでいく。そんな感じだったのだ。

 だが、僕はその2人の活動を否定したりしない。音楽と人との関わりというのはどんな形も許されるからだ。趣味で音楽をやるのも、本気でプロを目指すのも勝手だ。音楽をゴルフに置き換えればよく判るはず。ゴルフをやる人が全員プロを目指す必要なんて無いし、打ちっぱなしの練習場で何回空振りを繰り返したところで、誰かになにか言われる筋合いではない。音楽だって自分のやりたいことを自由にやっていいのだ。人がつまらないと判断すれば次のライブには来ないし、CDも売れない。結局は自分たちの首を絞めるだけのことだ。それでもその人たちが楽しいのであればそれでいいだろう。アマチュアゴルファーがゴルフ場代を自腹で払うのと同じことである。

 今日の2人の音楽、僕は正直好きになれない。自己顕示欲が強い2人の趣味の域を出ていないなあと思うだけである。だが、僕の評価が日本人1億2千万人の意見と合致するわけではない。世界の全64億人と合致するわけでもないのだ。「いや、あれはすごく良いよ、大島さんわかってないなあ」という人もきっといるに違いない。そういう人が2000人いれば、ビジネスは十分に成立する。だとすれば、今日のデュオもそういう2000人を探す旅に出ることを覚悟すれば、自分のやりたいことを貫いたって構わないのだ。多くの人に否定されようとも貫けるほどに自分たちのスタイルを信じきれるかがカギになる。逆にいうと、自分でそのくらいに信じきれないようでは、第三者のリスナーに「気に入ってくれ」もクソもないということである。

 なんか話がズレてきたな。見るつもりもなかったデュオの音楽。それは僕にとってどうでもいいモノでしかなかったのである。そんなどうでもよくて、誰が支持しているのかさえわからないような音楽の存在を、僕は尊重したいと思うのである。なぜなら、いいものが出てくるには層の厚さというものが絶対的に必要であり、つまり逆にいうと、僕らが素晴らしい音楽に接することが出来るのは、どうでもいいモノたちが裾野として広がって存在しているからなのだ。僕から見てたいした価値の無い音楽も、他の人から見るとものすごい価値であるという可能性もある。ものすごい価値が誰にも感じられないものだったとしても、その存在自身が、素晴らしい音楽を醸成するための一翼を担っているという意味からも、尊重する意味も価値もある存在なのだ。

 ちょっとダメなものをダメだと断じるのは簡単なことだ。しかし続けることで1年後には大きく化ける可能性は絶対にある。若くなくても、生きている限り成長の可能性は等しくある。だからこそ、僕は何ということのないミュージシャンの音楽を尊重したい。

 そんなことを思いながら、僕は次のミーティングの場所へと移動したのだった。2人の演奏を見たのはちょっとだけ時間の無駄だったなと思いながら。尊重はしたいが、僕の時間も無限ではないのだ。