Wednesday, September 21, 2011

出会い

 面識のない人が、僕のつぶやきを見て、こいつがここまでいうのならと思ってくれたのだろうか。キラキラレコード20周年ベストを買ってくれたりする。そして聴いた感想をつぶやき返してくれる。個人的ヘビーローテーションだとまで言ってくれる。そりゃあそうだろう、内容はとてもイイもの。自信作だよ。なにせ20年間レーベルをやってきて、2700曲から56曲を選んだのだ。悪いはずがない。だけど、だからといって面識のない人がこれを選んで買わなきゃいけない理由なんてない。見ず知らずなんだよ。それでも買ってくれる。そして喜んでくれる。喜ぶべきなのはこっちの方だ。申し訳ないったらありゃしない。

 そもそもなんでこういうことになるのか。それは、出会ったからだ。Twitterで僕がフォローする。フォローされた人の何割かはフォローを返してくれる。大抵はそこで終わりだ。フォローしあっているという事実が残るだけで、交流が発生することばかりではない。だが、そんな中でお互いがお互いの発言に触発されたりして、僕の知らないことを教えてくれる人がいて、僕の何らかの発言で何かを知る人がいて、それが本当の出会いにつながっていくのだと思う。

 ほとんどの人は学校に通った経験があると思うが、年度の始めに40人前後が1つのクラスに放り込まれる。向こう1年間同じ場所で勉強をする。便宜上1つにまとめられただけのただの集団。その段階ではそこに集う必然はない。同じような地域に暮らし、生まれたのが近いというだけの集団だ。しかしその中から友情は生まれる。1年間同じクラスにいながらもほとんど口をきかずに終わるヤツもいれば、一生の親友になる場合もある。Twitterも同じだろう。たまたまフォローしあったことに必然はない。フォローしあっただけで終わることもあれば、なんらかのつながりを持つこともある。僕も実際に2年間やっている中でたくさんCDを買っていただいたし、Twitterが縁で直接お会いさせていただいたり、その方の仕事上の商品を買わせていただいたりもした。facebookで知り合ったイギリスの友人とは、会ったこともないのにプレゼント交換などさせてもらったりもした。そこで知り合った剣道好きのイスラエル人に、剣道六段の兄を紹介した。兄にとっては初めての外国人のお友達だったらしく、2人が時々英語で交流しているのをみて、なんか僕まで嬉しくなってくる。

 人間関係はすべて出会いから生まれる。いい人間関係は人生を彩る。その出会いがどういうものなのかは関係ないと思う。クラスで出会ったリアルな友達も、ネット上で知り合った面識のない友人も、みんな自分を高めてくれると思う。クラスで一緒だった全員と友達になるのが難しいように、ネットで知り合った全員と友達になるのも同様に難しい。それは逆にいうと、クラスで一緒だった数人と一生の親友になれるのなら、ネットで知り合った数人と一生の親友になることも可能ということだ。

 大人になるとクラスに所属するということがほぼ不可能になる。だから学生時代の友人関係よりも和が広がることなど稀だった。しかし、今はネットでいろいろな人と知り合うことが出来る。嫌みな人もいるし、常識はずれでKYな人もいる。だからネットはイヤなんだという人も多い。昔掲示板を荒らされてネット不信になった友人もいた。僕はそういうのをナンセンスだと思うのだ。それは学校のクラスに嫌なヤツがいるから登校拒否になるようなもの。その登校拒否によって、親友に出会う喜びも自ら捨てているのだから。

 僕は、積極的にネットというクラスに飛び込むよ。そして親友と呼べる人との出会いを願うよ。小学校のクラスはせいぜい40人程度だったかもしれないが、ネットのクラスに定員は無い。大きなクラスに所属すれば、それだけ多くの親友に出会えるチャンスがあるんだと信じて疑わない。

 僕のTwitterアカウントは昨日フォロワー数が10万人を超えました。ありがとう。数だけがすべてではないし、10万人と本当に交流できているのかというとそうではないだろう。しかし、この10万人のフォロワーがあるからこそ、今実際に交流できている親友たちとの出会いがあったんだと思う。そういう意味で、フォローしてくれた10万のみなさんに等しく感謝したいし、これからももっと多くの出会いにワクワクしたいのだ。もちろん、人にワクワクしてもらえるような自分であることがその前提なのだろうし、広がりが増える分だけ、もっともっと自分を磨かなきゃとも、本当に思う。