Wednesday, September 28, 2011

Facebookの距離感

 Facebookはおせっかいだ。僕が誰と友達になろうと勝手だろう。昔同じ学校に通っていたというだけで「こいつと友達になれよ」なんて言ってくる。一方で知らない誰かに友達リクエストを送ると「お前はこいつを知ってるのか?いいか、実生活で知らないヤツにリクエスト送るなよ」なんて言ってくる。余計なお世話だ。たくさんの人と友達になるきっかけを作ろうとしてるとアクセス制限なんてしやがる。おまけに、「こいつと友達になれよ」というおせっかいに従ってみたら、その人はすでに5000人のフレンドがいるからリクエストを受け付けられないと。5000人の制限枠に到達している人をなんで「こいつと友達になれよ」ってリストに入れるかね?実にイライラする。

 友達というのは難しいよ。他人なのか友達なのかという境界線はどこなのだろうといつも思う。例えば昔同じ高校に通っていただけで、確かに当時交流はあったけれども、その後25年以上会話さえない相手は、友達なのか。交流が途絶えるのにはそれなりに理由がある。別々の仕事や暮らしを選んでいく中で疎遠になる。それで友情が途絶えるというのも悲しい話だが、だからといって、同じ高校に通っていたというだけで友情だと断言するのもおこがましいような気がするのも事実だ。そこにはそれぞれの人の感覚というものがあるだろう。どこまでが友達で、どこからが他人なのか。希望としてあいつとは友達だと思いたくとも、あいつはオレのことを友達と思ってくれているのだろうか。その確信がないと、うっかり「おう久しぶり」というのも憚られる。片思いの女子に告白して玉砕というのは、青春時代ならアリかも知れないけれど、不惑の年齢を過ぎてそれはないだろう。まあ友情関係のことさえ見極められずに不惑というのもおかしな話だが。

 で、Facebookだ。大学となると同じ学年でも知らないヤツがたくさんいるが、高校だとほぼ全員を認識できる。最近高校の同級生から友達リクエストをもらうことが多くなった。僕自身は2年前からfacebookをやっていて、主に外国人との交流の輪を広げようという目的で続けているのだが、この半年ほどで急速に日本でも浸透してきて、しかもmixiなどと違って年配のビジネスマンにも普及しているようで、だから高校の同級生たちも始めたのか、それで僕を発見してくれたのか、友達リクエストをしてくれるのだと思う。リクエストが来て、そいつと自分は今も友達なのだろうかという疑問は常に頭をよぎるのだが、「承認しますかどうしますか」と言われて「承認しません」という意思表示をするほどの確信もないから、ほぼ自動的に承認をすることになるわけだ。それで友達の一丁上がりである。外国人との交流を目的にした僕の拙い英語での近況に対してもガンガンコメントをくれるし、「イイネ」ボタンを押してくれる。なにやら友情の復活なのかなんなのか、ちょっとしたカオス状態。

 で、高校の同級生が友達の中に増えてくると、Facebookからの「こいつと友達になれよ」攻撃の中にその高校の同級生たちがどんどんと顔を出してくる。場合によっては同級生が「こいつとも友達になれよ」という推薦をするらしく、うっかり友達リクエストが来たのなら承認しなきゃなとボタンを押して、実はそのボタンはまだ友達リクエストを送ってくれていない元同級生に自分から友達リクエストを送るためのボタンだったということに後から気付くはめになる。僕はそいつと友達なのか、それとも昔同じ高校に通っていたというだけの共通点を持った他人なのか、判断をすることも無く友達リクエストを送信してしまったことにがっくりしてしまう。それってヘンか?

 以前mixiで連続で足跡を残した人がいて、どうやらその人は大学の同級生のようだったのだが、その時点で15年以上の交流ブランクがある相手は果たして友達なのか、それも判らないなと思った。足跡があって、日記を見ているのであれば何らかの関心があるのだろうが、それで友達と言えるほどのことなのか。だから日記で「友達と思ってくれるのであれば名乗り出てマイミク申請してくれればいいし、そうでなければそっとしておきますよ」と書いた。ほどなくしてマイミク申請してもらったので、こちらもそう認識して対処すればいいんだなと判ったものの、足跡機能がなければ、そういう確認も出来なかったんだろうと思う。

 だが、Facebookには足跡機能はない。その環境で、昔の高校の同級生をFacebookに「友達になれよ」と言われても、正直困るのだ。おそらく相手にも僕のことが「大島ってヤツと同級生だろう、友達になってやれよ」というおせっかいがされているんだろうと思う。それで、相手も友達リクエストを送ってこないのだから、そこには距離があるんだと、僕の方でも認識すべきなのではないだろうかという気がする。

 とはいえ、友達リクエストを送ってくれた高校の同級生たちには多少の感謝も感じているのだ。僕が持っている距離感など感じずに、「高校の同級生なんだから、それはもう友達だろう」って思ってくれて、ばんばんリクエストを送ってくれて、そのおかげで「ああ、オレもあの高校の一員だったんだな」と感じることができている。毎日のお昼ごはんの写真なんかに「イイネ」って。赤面しそうなくらいだ。

 昔からの友達。なんかいいモノだ。なんかイイけれど、親しき仲の礼儀というものもきっとあるんだろうと思う。その礼儀は、日本の社会での礼儀と、他国での礼儀は違う。バーチャルの、Facebookの中での礼儀というものもきっと独特なものが存在するんだろう。新しい文化でもあるFacebookの礼儀というのは、まだ完成されていなくて、だからそれぞれが戸惑いながら距離感を図っているんだろうと感じている。僕の礼儀は控えめなものだ。だが、別の人がもっと積極的な礼儀を信じていたとしても不思議ではない。そこで僕の行動とは違う行動でアプローチしてくれて、控えめな礼儀の僕は多少の戸惑いを覚えながらも、ちょっとした嬉しさも感じている。その中で僕の中での礼儀の在り方も変化するだろうし、それはもしかすると僕自身の変化なのかもしれない。そう思うと、この海の中にもっとどっぷりと浸かることが、僕自身が変わっていくチャンスになるのかもしれないとさえ思う。



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