Wednesday, December 30, 2009

人生



 長嶋茂雄の著書『野球は人生そのものだ』を読む。おそらく今年最後の読了本。

 いやあ、名著。今年は小説などの他に有名人の書いた体験談のような自伝のような本も(主に新書で)沢山読んだが、それぞれに各界で成功を収めた人たちの言葉には重みがある。だがこの長嶋さんのこの本は中でも突出した傑作だと思う。傑作というのはちょっと語弊があるな。名著である。

 名著と思う点は沢山あるが、結局は長嶋さんがどういう姿勢で野球と向き合ってきたかということが感動的なのである。もちろん長嶋さんは野球のスーパースターだ。同時代のどんな選手にも負けない優れた運動能力を持っていた。そんな彼の選手としての技術なんかは普通の人には何の参考にもならない。だが、技術を育むのは肉体と精神だ。精神部分で彼がどのような姿勢でいたのかはとても参考になる。たとえ読者が学生であれ社会人であれ、フリーターであれ経営者であったとしてもだ。そういう意味で、この本はひとつの哲学書であり、人生論であり、戦術論でもあると思う。

 若い頃の長嶋さんはけっこうな跳ねっ返りだったように思う。それが肉体の衰えを感じ、リーダーとして結果を出せない日々を過ごし、長嶋なき巨人軍を率いることの地獄に苦しみ、12年の背広生活を耐え、受けるも地獄断るも地獄の監督再就任に立ち向かう。そしてあげくには日本代表と脳梗塞。リハビリ生活と、苦労の連続だ。スターとして脚光を浴びる中での栄光と苦悩は想像すべくもないが、そんな中で常に持ち続けたのがファンへの感謝だったというのが、いやしくもエンターテインメント業界の末席を濁している僕にとってもとても参考になる、そして改めてやってきたことが間違ってはいないということを再確認させてくれるものだった。

 興味のある人は読んでもらえればいいことだが、僕が一番いいなと思ったのは、落合博満とのエピソードだ。落合は長嶋の引退試合の日、会社を休んで観たのだそうだ。その落合がかかったドラフトが江川問題の渦中であり、それで巨人が落合を指名出来なかったという。その落合がFAで巨人に来る時に背番号6が篠塚とバッティングし、夫人に「我慢しなさい」といわれて60になったという話。清原入団に際して「清原とポジションを争って勝つ自信はあるが、どちらを起用するかで監督を悩ませたくない」という理由で移籍することになったという話。どれもこれも感動的だ。今でこそ中日の監督として憎々しい落合だが、そういえばあの10.8決戦の時に肉離れを起こしながら頑張ったんだったなということを思い出させる。現在の野球界でサムライと言われる数少ない存在の落合だが、長嶋さんとも重なる点がいろいろあるんだなということが判って興味深かった。

 この本は2006年にリハビリ中の長嶋さんが1ヶ月に渡って日経新聞「私の履歴書」欄に連載したものをベースにしている。このコーナーは今も掲載されていて、僕も毎日楽しみにしている。今年ではドトールコーヒーの鳥羽博道会長の連載と、ノーベル賞受賞者の物理学者益川敏英氏の連載が素晴らしかった。今は成功されている人たちも苦労を重ね、そして今があるということを知るだけでも勇気がわいてくる。まさに、経営は人生そのもの、研究は人生そのもの、野球は人生そのものなのだ。そして僕らはその人生を生きている。

Monday, December 28, 2009

振り返るには早すぎる?

 まだあと4日もあるのに今年を振り返っていていいのかという疑問はあるのだけれど、残りの4日間も慌ただしいのは判っているので今のうちに振り返っておきたい。古きを温ねて新しきを知るだ。意味は微妙に違うけれど。

 まず、キラキラレコードはいくつかの点で進展したと思う。2007年くらいから取り組んできたアーチストが、紆余曲折を経て育ってきたのが何よりも大きい。しかも複数組。彼らの成長も今年はまだまだせいぜい芽が出たとか、その程度ではあるかもしれない。だから、来年の更なる成長が期待できるというものである。

 僕のレーベルとしての役割は何かというと、アーチストに目標を設定することだろうと思っている。頑張りたくても何を目指せばいいのか、どうやって取り組めばいいのかが判らずに悶々とただライブをやるだけというバンドが非常に多い。それはキラキラであれ他であれ同じである。出来ることをやる。それが彼らの日課になっている。もちろん、出来ることしかやれないのであって、出来ないことを考えていても先には進めない。だが、僕がいう彼らの「出来ること」というのは、選択肢として考えられることという意味であって、やるべきことというものではない。選択肢は実は沢山ある。それを全部やっているだけで日常の時間は確実に経過する。そしてどれも中途半端に形だけ完成し、その先に進めないでいることがものすごく多い。具体的には、例えばホームページを作ること。形だけカッコいいサイトを作ることは出来るが、じゃあそれを誰が見に来るのだということには答えもないし、策もない。例えばライブ。毎週スタジオに入って練習をして、それを披露する。いい演奏が出来てはいるのだ。でもそれを誰が見にきている? そこにはやはり答えがなく、友達たちが来て、やがて来なくなり、さびれたライブを繰り返すだけ。例えばストリート。意気込んでアンプとかの機材を揃えたものの、2〜3度やって手応えを感じずにやがて止めてしまう。

 そんなことをやる前に、自分たちにとってのサクセスストーリーとは何かを考える必要があるし、そのために不可欠な活動は何だろうかという検討が必要である。だがそれを考えることは意外と難しいことらしく、それを最初から明確に持っているアーチストはほとんどいない。成功しない理由は音楽的に不足しているからではない。何をやるべきかを明確に持ち得ないから成功しないのである。だから、それを示すのがレーベルというか、僕の役割なのだろうと思っている。多くのアーチストと接して、その状況に応じていろいろとアドバイスするのだが、それをちゃんと実行できている者は意外に少ない。だから、今年のように複数組が芽を出そうとしている状況にまで来ているのがとても幸せなことだなあと思うのだ。だから、彼らが芽を出すところまでは頑張れているのだから、その先をどう進めばいいのかというアイディアを出していきたい。それが2010年の抱負ということになるように思っている。

 数年一緒にやってきたアーチストだけではない。今年は実に多くのアーチストと出会うことが出来たと思っている。それもまた素晴らしいことだ。彼らもまた様々で、玉石混淆というか、目指すところも現状もそれぞれ違っていて、まったく伸びを示してくれないケースもあるけれど、リリースを通じてキッチリ伸びてくれている場合はすごく嬉しい気持ちになる。伸びるというのはどういうことを指すのかというと、基本は売り上げだ。CDを売って勝負する以上、売り上げが大きなバロメーターになるのはいうまでもない。だが、それだけということでもないと思っている。それは例えばデモの段階で片鱗を感じさせてくれたものの完成度はイマイチで、だからレコーディングが上がるまでどうなるのかはまったくわからないというケースも少なくなく、そういうアーチストの音源がものすごくいいものに仕上がってきたときなども、僕は「成長したな」と感じるのである。もちろんそれだけで売れるということではないのだが、いい音源になるということは売れることに若干ではあるが確実に近づくのだと思う。それは、自分の作品が良ければ自信を持って勧められるし、逆に作品に不満が残るようでは売る時に後ろめたかったりするし、言い訳気味に売ることになってしまう。そういう意味で、やはりいい作品を作るということはとても大切なことであり、それを感じられれば、僕はレーベルの人として嬉しくなって来るのである。なにより、いい作品を作るためには向上心が必要である。今よりもちょっとずつ良くなっていきたい。それを実現させているというのは一緒に仕事をしていてとても嬉しいことなのである。

 もちろんどんなアーチストにも事情があるし、思うように活動できないケースもあるだろう。それはレーベルだって同じことであり、もっとこうだったらいいのにと思うことだって沢山ある。だが逆に活動していないことの理由を一生懸命探すようなことはしてはいけないし、僕もしないように心がけている。その心がけを持った中で、出来ることをきちんとやりさえすればいいと思う。年棒数億の投手が3勝では話にならないだろうが、2軍生活の選手が1軍に上がりヒットの1本も打てれば成長といえる。同じようにミュージシャンも、100万枚売れなくとも、昨日より今日が少しでも良くなるように、それを心がければいいのだと思う。

 ただし、どのくらい心がけるかも人によって異なる。一生懸命に1日8時間働いたというのが全力なのか、それとも朝は5時起き仕事終わりは夜の11時というのが全力なのか、週休2日でいいのか、元旦から仕事というのがいいのか。もっとも努力とは時間だけのことではないが、自分の基準をどこに置くのかは、なにも状況とは関係なく決めることが出来るわけで、そこの「頑張り」の基準を間違えると、100万のアーチストもやがて売れなくなり、無名のバンドは無名のままで終わってしまう。残念なことに今年リリースした新人たちの中にも、リリースしたことで満足してしまったのか、その後の活動に活発なものが見られなかったり、やるべきこととして事前に話をしていたようなことが全然出来ずに嘯いていたりする人もゼロではない。一度でも一緒に仕事をしたアーチストのことは常に気がかりだし、成長を心から願うものの、だからといってやる気のないアーチストに会社の資源を投入するのは非効率だし、もっとやる気のあって結果を出し続けているものたちにこそ集中していかないと会社としても間違ってしまう。彼らの再度の奮起を願いつつ、僕らは前に進まなければいけないのだろうと思ったりすることもしばしばだ。

 ともかくも、キラキラレコードは2010年12月14日の創立20周年を目指して、何らかの結果をたたき出していこうと心から願っている。願うだけじゃダメなのも十分判っている。頑張っていきたい。

Tuesday, December 15, 2009

20周年に向けて

 昨日はキラキラレコードの創業19周年記念日だった。淡々と仕事をするばかりで特にお祝いなどをするということでもなく過ごした。そして今日も同様に淡々と仕事をしている。

 だが、心の中では燃える気持ち満々なのだ。

 今年の初めくらいからアーチストの関係性やレーベル活動の重点などを見直して、もっとも結果につながるバランスを探してきていた。もちろんそんなものは時とともに移ろいゆくものだし、究極の完成などは無いのだが、現状のキラキラと音楽シーンなどを考えた時に見えてくる「これだ」というものを実現できているように思っている。現にリリースされてきたアーチストの顔ぶれなども徐々に充実してきて、勝負を賭けていけるようなラインナップになりつつあると自負している。まさに、キラキラレコード20周年を飾るに相応しい結果を出すためのチーム編成が固まりつつあるということなのである。

 そのバランスとは何か。細かいことまではいえないが、レーベル側の思いとアーチスト自身の思いを合わせていくということが基本である。これまでも、「こいつらはスゴイ」と勝手に評価して、それで一緒にやっていこうと手を携えたことも何度もあった。だが残念ながらそういうものが結果を出してきたとは言い難い。もちろんまずはキラキラの実力不足というものは否定出来ないしするつもりもない。だが、同時にアーチスト自身の思いというものは一体なんだったのかという疑問も残るのである。どういうことか? ミュージシャンは多くの場合自己満足を第一にしている。しかしCDやライブのチケットを買ってもらうということは、リスナーの満足を第一にしていく必要もあるのだ。だから少々の苦労も必要になってくるのだが、その苦労をするよりも自分たちにとって楽しいことを優先しがちである。だが、それでは伸びない。万が一の例外はあるだろうが、それを期待するのは宝くじで生活しようというのと同じで、戦略とは言えない。常時安定経営をしていかなければいけないのであり、超ラッキーではない状況やアーチストであっても戦っていく、そして勝っていくことを図っていかなければいけないのである。だとすれば、尋常ではない頑張りをアーチストがしていく覚悟を持っていなければいけない。そしてレーベルは何よりもそこを第一に見ていかなければいけないのではないかと思っているのである。多少なりともセンスのかけらを感じさせるようなバンドは、周囲からチヤホヤされたりしているから、そのことに胡座をかいていることが多い。だがそれではだめなのだ。小学校でトップだったとしても進学校に進んだら劣等生というのと同じで、ライブハウスのブッキングにしか出ていない程度の状況では、圧倒的に他のバンドに打ち勝っていかなければ、それをセンスとか才能とは言わないのである。それを勘違いして、いい音楽を作っているだけで売れるんだとか思っていたのでは結果など出せない。ましてや、アーチストよりは客観視が出来るレーベルの側が、50歩100歩のセンスや才能を過大評価してのめり込んでしまうのは有ってはならない過ちなのである。

 そのことに、今更ながら思いを致し、そして今年多少なりとも業績を回復させ、今に至っている。業績の回復はそれほどのタマがなかった1年前に比べ、そろそろ勝負をしていけるような状況に育ってきた数組と、そこまでに追い込んでいきたい数組が現れてきているというのも、今後に期待出来る理由の一つである。あとは、レーベルサイドの力が試されるのだろうと思っている。アーチストに努力を強いている以上、レーベルが更に努力をしなければいけないのは当然のことなのだ。そしてその努力などによって、この1年を充実させたものにして、来るべき20周年を文字通り記念すべきものにしていきたいと心から思うのである。

Monday, December 14, 2009

政治利用

 中国の要人と天皇陛下の面会が急にセットされた件で、これまでの「30日ルール」なるものを破られたといって宮内庁長官が怒りの会見をした。それに対して各方面から「それは政治利用だ」として批判が起こった。鳩山総理は政治利用ではないと反論し、小沢幹事長は怒りの会見を開いた。

 僕が思うのは、まず、天皇陛下の健康をそれほどに重視してきたのかということである。30日ルールが重要で絶対だとすれば、逆に言えば30日前に申請されればどの国の要人の訪問も断れないということになる。とすれば、天皇陛下の健康を配慮したルールでもなんでもなく、ただの手続き論だということになる。陛下の健康を考えるのであれば、先日の式典はいったいなんだったのか。即位20年を祝うイベントで、陛下のために歌い踊るエグザイルを陛下は寒空の中二重橋に立ってご覧になった。歌は15分もの長さだったという。最後まで中継してくれるチャンネルが無かったので確認したわけではないが、中継をみていて、陛下、風邪ひくぞと思って気がかりだった。周囲の人はもっと配慮すべきじゃないかと思った。もちろん参列していた各界の著名人の中には高齢の方々もいたし、その人たちは陛下がお出ましになるずっと前から直立不動で寒空にいたし、そちらの体調もおおいに気になるところだったが、それにもまして陛下を冬の夜7時前後に外に立たせることがどういうことなのかが不可解でならなかった。それを運営したのは宮内庁のはず。少なくとも宮内庁が全体の計画に関与し、了承していたのは間違いない。そんな宮内庁の長官が、中国の要人と急遽面会をセットすることになったことを「健康面への配慮で遺憾だ」というのはすごくおかしい。というかナンセンスだ。もしも彼が、戦前の軍部が天皇の権威を利用して戦争に引きずり込んでいったことを念頭において遺憾を述べるのであれば多少の理屈もあると思う。だが、真っ先に言うのが健康配慮とはおかしすぎる。自分たちの頭を超えて何かが決まることへの官僚的な不快感の方が大きかったんではないかと、僕は感じるのである。

 その会見を受けて各マスコミが大々的に報道し論評を述べる。それに乗っかるように自民党の政治家、谷垣総裁や安倍元首相たちが「民主党が政治的に天皇陛下を利用している」と非難していた。それをみて、政治的に利用しているのは自分じゃないかと感じた。今の自民党はとにかく民主党の足を引っ張りたい、その一点で動いている。細川政権の時にもNTT株の件で首相を追求することしかしなかったし、今回も首相の献金問題を徹底的に追及しようとしている。前回はそれがうまくいったけれども、どうも今回はそういうわけにもいかなそうになってきていて、それで非難すべきポイントがあればそれを非難のネタにしたい、その気持ちがああいう発言になっているのだろうと思うのだが、それを政治的に利用していると言わずしてなんというのだ。中国に対してそんなに強いことが言えるのだとすれば、安倍元首相はなぜ在任時に靖国に参拝しなかったのか? 彼が頭角を現した拉致問題の解決に中国の協力は絶対不可欠で、だとすれば今回のことをむしろ好機ととらえて首相経験者として中国に便宜を図り、そのことで彼らの協力を引き出すような動きに行った方がいいのに、そういうことには配慮無いのだろうな。次の中国を担う人物に自ら弓を引くような姿勢を取っていることの政治的バランス感覚のなさ。それはひとえに、彼にとっては日本の将来とか拉致被害者よりも自民党の方が大切ということを意味しているのではないかと、テレビのコメントをみていてガッカリした。少しは期待したこともあっただけに。

 もちろん、民主党にも多少の反省が必要ではある。普段出てこない小沢幹事長が怒気を発して会見に出てくるのは少々やり過ぎだ。頭を垂れながら粛々とすすめばいいし、つい先日の中国でのVIP訪問の様子のあとだけに、出来るだけ目立たないように動いていくことも、大義の前には大切なことであるように思う。渡辺周副大臣がマスコミに煽られてうかつな発言をしたのは論外だ。何をやっても言っても非難されるのが政権というものなのだから、沈黙は金だということをあらためて確認すべきだろう。もちろんまったく黙っていればいいということでもないけれども。