夏至
今日は夏至らしい。
日中が一番長いのか。
このところは比較的涼しいけどね。
それに、京都は朝から小雨で湿っている。
水無月という言葉は、水が無い月という意味ではないらしい。
「無」は「の」にあたる連体助詞「な」であって、
だから「水の月」という意味なのだと。
いやはや、日本語は難しい。
と言うわけで、水無月に雨が古都を濡らしている。
東京にいる時は街の和菓子屋などには目がいかなかったが、
京都ではそこかしこに和菓子屋があって、
どれもこれも老舗だとかなんとかで、必然的に和菓子情報に接することになる。
6月には、水無月というお菓子が出回ることになる。
6月30日にはその水無月というお菓子を食べるのが習慣だとか。
面白いね、古都の暮らしは。
水の月なのに、水無月という漢字になっている。
まだまだ夏本番な雰囲気ではないのに、夏至は構わずやってくる。
世の中は、不思議だ。
4年前に僕が結婚したことにたいそう驚いた人も多かろう。
早いタイミングで伝えたかった友が1ヶ月ほど海外に行ってて、
直接話してあげたかったけれどもそいつの帰りを待ってたら他に言えなくなるので、
メールで伝えたら、本当にたいそう驚いたらしく、
その真偽を確かめるために、別の共通の親友に国際電話して30分も話し込んだそうだ。
身近な友であればあるほど、たいそう驚いたとか。
そりゃそうだ。僕自身が驚いたのだから。
で、おととい長男が誕生したよ。
僕も驚いたし、奥さんも驚いた。
妊娠の日々を二人で過ごしてきたというのに、
やっぱり子供に対面したら、驚いたよ。
泣いているのに、抱っこしたら泣き止んですやすや寝てくれたし。
なんでだろうね。やっぱり驚きだ。
人生は驚きに満ちている。
今世情は苦しみに満ちている雰囲気が蔓延しているけれども、
たった20数年前はこの世の花を謳歌していたじゃないか。
あと20年後、世界はまた変わるだろう。
今何もわからずに、でも僕が親だとわかっているのか、抱っこされて眠っている子供が、
成人した時に、明るい世界になっていることを僕は願うよ。
それはまるで一年の間に夏至も冬至もあるようなことだと思う。
良いときも、悪いときもそりゃあるさ。
夏の暑さを苦にして、また冬の寒さも苦にするという生き方もある。
でも考え方で、苦は楽しくもなるんだと思う。
雨が降る季節は、苔が美しいお寺に行くといい。
そして水無月が美味しい季節を心待ちにするといい。
どんなときも、楽しいことはいっぱいあるんだ。
それを、京都の街に教えてもらったような気がしている。
我が子には、そんなことを教えていければ十分だと思っている。