Monday, November 22, 2010

20周年ベスト解説〜「さくら」カセットテープ


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20周年を記念した3枚組ベストアルバムをリリースすることになった。毎日、1曲ずつ紹介しています。1日限定で楽曲をアップしていきますので、よろしければお聴き下さい。(曲は毎日変わります。次の解説ブログがアップすると、このページの楽曲も新しいものに変わってしまいますのでご了承下さい。)

20. 「さくら」カセットテープ(2001年「PICT」(VA) KRCL-10018)
 爽やかで切ない歌。女子中学生のコーラスのような歌声がとてもいい。東北で活動していた彼女たちとの仕事をもっとしたいなと思っていたものの、積極的な活動に至らず、アルバムをリリースするというような話にも発展せず、センスのあるバンドが必ずしも強い意志を持って進んでいくのではないんだなあと実感した最初のケースだったかもしれない。バンド名があまりにも普遍的であるため、現在ネット検索をしたところで彼女たちに辿り着くことは出来ず、もはや思い出でしかない。もしも万一このベストを手に取ることがあったら、是非連絡をしてきて欲しいアーチストである。

Tuesday, November 16, 2010

20周年ベスト解説〜「あの頃、オレンジの靴」有刺鉄線


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19. 「あの頃、オレンジの靴」有刺鉄線(2010年「放課後のシンパシー」KRCL-143)
 現在のキラキラレコードでもっとも勢いがあるバンド有刺鉄線の1曲。彼らとは2007年に出会って、アルバムをリリースし、ワンマンライブも成功させて未来は明るかったのだが、2008年にメンバーの方向性の違いにより解散に。いつも元気で前向きのギタリスト山崎がそのことを報告しにきた時、まるで不治の病を宣告されたかのような沈痛な面持ちだった。その時点では「田舎に帰るか、またメンバーを探すかは判らない」という気持ちだったようだ。
しかし、情熱を失わなかったギターの彼は「同じ気持ちでバンドに打込める熱いヤツとやりたい」の一点にこだわってメンバーを探し、旧知の仲で同じように熱いメンバーに恵まれてなかったベースの武蔵と、モロッコ人ボーカルのユーセフが参加することになった。少年時代にブルハに惚れて日本に来ることを夢みていたユーセフは、どんな日本人にも負けないようなサムライ魂の持ち主で、熱い歌を叫ばせるととても絵になる男だ。
 そんな3人も「半年後に初ライブをやれれば」というノリで新たな有刺鉄線の活動を考えていたのだが、そんなところに突如NTTDocomoのCMをやらないかという話が舞い込んだ。無名のバンドがオリジナルアレンジでビートルズの「All you need is love」を歌うという一連のCMだった。しかし先方のディレクターは以前の有刺鉄線を念頭においていたわけで、「ボーカルが変わっているのならそのデモはないか」と言ってきた。当然デモなどはなく、急な話に対応することも出来ず、このチャンスは流れてしまった。その時に「いつくるか判らないチャンスに対応出来ないようではダメだ。常に臨戦態勢を整えておかないと後悔する」ということを思い知らされ、そこから急遽レコーディングを開始し、2009年1月のマキシシングルをリリースするという流れになった。このマキシシングルのビデオも、時間がない中急遽作ろうと、深夜のレコーディングが終了したスタジオの脇で、小さなビデオカメラを回して制作したのだった。チープだが、現在の有刺鉄線が快進撃を始める、そのスタートだったような気がする。


 その後は次々とライブを成功させ、2010年のアルバムリリース時にはRockinon Japanでのインタビューも実現、来週11月27日には渋谷屋根裏で彼ら企画のものすごいライブが開催される。今まさに見ておくべきバンドの勇士を是非とも多くの人に見ておいてもらいたいと思う。


 この曲は以前のメンバーでリリースしたアルバムにも入っていた名曲で、それをユーセフのボーカルで録り直したもの。オリジナルを超えたパワーを持ったなと、今は思う。

Friday, November 12, 2010

20周年ベスト解説〜「青春時代」ミラクルマン


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18. 「青春時代」ミラクルマン(1996年「ミラクルマン」KRCL-8)
 ビクターを退社してキラキラ一本で動き始め、まだレーベルだけで食える訳もない時代に出会い、一生懸命育てようとした思い出深いバンド、ミラクルマンの1曲。激しいステージパフォーマンスが当時の他のバンドたちを圧倒していて、成功することを信じて疑わなかった。彼らも、僕も。当時はCD製造の予算さえカツカツでやっていたというのに、頑張って彼らの宣伝用チラシをカラーで数種類作った。まだネットがない時代に、宣伝のために懸命だったなあと懐かしい。それだけカッコ良いバンドだったのである。ボーカルの戸松くんは今もミラクルマンを率いて頑張っている様子。他のメンバーはすっかり変わったようではあるけれども、彼の若々しさもすっかり変わったようではあるけれども、頑張ってくれているだけで、それでいいような気がする。

Thursday, November 11, 2010

20周年ベスト解説〜「水色メタリックの空」みみあて


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17. 「水色メタリックの空」みみあて(2007年「カンバス」KRCL-104)
 宇都宮で活動する青春ロックバンドみみあての1stアルバムより。宇都宮はなぜかキラキラレコードと縁が深い。2001年くらいにペパーミントキャンディーズというバンドの仕事で何度宇都宮に行っただろうか。その宇都宮から現れたバンドは同じように直球度ストライクロックバンドのみみあて。ストレートなロックを生むという点でもこの街は興味深いなと思う。彼らのリリース時にもレコーディング、写真撮影、レコ発ライブとやはり何度も宇都宮に行った。ジャケット撮影で行った時、早朝に待ち合わせたので夜中から車を飛ばして行ったなあ。彼らよりも僕の方がかなり早く着いてしまい、待つのが大変だった。午前中いっぱい撮影に費やしたのだが、当時のボーカルの髪型があと一歩でアフロくらいの勢いで、しかもモコモコと盛上がっていた。僕が「鉄カブトヘア」と呼んだらすごく凹まれた。自分ではかなりイケてると信じきっていたようだ。ライブでもキャプテン翼のユニフォームを頑に着続けていたりと、個性的な感性を持った彼が作る歌のすべてが、真っ正面からのストレートなロックばかりだったのが、なんか不思議だなあとずっと思っていた。

11年前の曲

 現在、キラキラレコード20周年記念ベストの最終作業をしている。その中でDVD-Rのオーサリング&動作チェックをやるわけだが、その過程で収録されている曲などを何度も聴くことに。その中の1曲を繰り返し聴くうちに、なんか懐かしいというかやるせないというか、とても不思議で複雑な気持ちになったのだ。

 その1曲というのは、オーケストラバレエというバンドの「太陽でさえも灼けるような恋をしよう」という曲。彼らはボーカルとキーボードとその友人のギタリストという3人構成のバンドだった。曲名からも伝わるかもしれないが、彼らはとても情熱的なポップスを奏でていた。当時のキャッチコピーは「平成の西城秀樹」。暑苦しいと思う人もいただろうが、僕はその情熱溢れるパフォーマンスとテンションが妙に好きだった。キラキラレコードからは1枚のアルバムをリリースしたのだが、この曲はその中でも特に前向きで明るく力強い1曲だ。

 ボーカル&リーダーはとても礼儀正しくて、そしてものすごく意欲に溢れていて、僕も何度か自由が丘のレコーディングスタジオに顔を出したりしたし、完成してからはPVを撮影したり、企画ライブに出てもらったりした。彼らの家が僕のアパートとも近かったということもあって、特に親しくさせてもらったりしていた。

 リリースから7年たった2006年の9月、彼らから電話が掛かってきた。ギターの子だった。「○○○さんが亡くなりました。通夜がありますので是非参列していただけませんか。」○○○さんはキーボードの女性である。ビックリした。僕よりも年下なのだ。そして彼女とボーカルは、夫婦である。単にメンバーが亡くなったというのとは訳が違う。奥さんを若くして失ったのだ。悲しみはいかばかりだろうか。通夜の会場は彼らの実家でもある茨城県水戸だったが、常磐線に乗って、僕は通夜に参列した。駅から20分くらい歩いたところにある斎場の末席に座り、うなだれるボーカルを遠くから眺めていた。喪主でもある彼とは最後に軽く会釈をするくらいしか出来なかった。ギタリストは丁寧に挨拶をして僕を見送ってくれた。

 それ以来、彼らとは会っていない。だが今回こうして音源を特典に収録し、動作チェックのために何度も何度も聴くことになり、ああ、このコーラスを入れている○○○さんはもうこの世にはいないんだなあとか思った。曲が明るくて前向きで情熱溢れる愛の歌だから、その歌を歌っている人がもういないという事実とのギャップが、なんともいえない堪らない感情となったのである。

 彼らのアルバムの中で、僕が個人的に1番好きだったのは「Kiss & kiss」という彼女がボーカルのバラード。普通のリスナーにはこの曲を聴いてもらいたいと最初は思った。だが、彼女の歌声をメインで聴くのは僕がやるせなくて悲しかったので、収録することをためらったのである。

Wednesday, November 10, 2010

20周年ベスト解説〜「君のメロディ」KAWAMURA BAND


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16. 「君のメロディ」KAWAMURA BAND(1993年「卵」KRCL-10001)
 キラキラレコード初のオムニバスCD制作の際に出会ったKAWAMURA BAND。これは当時テレビなどでサザンの桑田圭祐のモノマネをやっていた河村さんが結成したバンドで、バンド名はKUWATA BANDのパクリだった。実際に桑田さんにも会ったことがあるらしく、本人から「お前は似てる」と公認されたそうである。河村さんの実家は福岡では有名な家具屋さんで、テレビCMにこの曲を使ったところ、サザンのファンクラブには「何故福岡ローカルのCMなんかでサザンの未発表曲が流れているのか」という問い合わせが殺到したという。今回久しぶりに河村さんのことを調べてみると、家具屋さんのHPに懐かしい顔が登場していた。いいオッサンになっていた。KAWAMURA BANDとしてのライブ営業も精力的にやっているようである。

Monday, November 08, 2010

20周年ベスト解説〜「Rocket」童心スチャラカ


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15. 「Rocket」童心スチャラカ(1998年「GO-GUY!」KRCL-10003)
 童心スチャラカはキラキラレコードで2枚のアルバムをリリースした、初期から中期にかけての重要なバンドのひとつである。スカとラップという当時としては珍しいスタイルと、ホーンセクションを4人含めたメンバー構成は圧巻で、とにかくライブが楽しかった。メインボーカル2人を筆頭に女性メンバーが多いというのも特徴で、それ故のメンバー内での対立なども、バンド寿命を縮めた原因でもあった。腕に自信を持っているメンバーばかりで、後期には徐々にマニアックな曲構成に突き進んでいったように思う。この曲はアルバムデビュー前にオムニバスアルバムに提供した2曲のうちの1つ。僕個人的としては、この初期の頃の楽曲がもっともシンプルで、だからこそリスナーにも伝わりやすい力を持っていたんじゃないかなあと思う。ピュアでストレートで可愛い、大好きな曲だ。

Thursday, November 04, 2010

20周年ベスト解説〜「Time is come, you know there is valley」フランヂ


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14. 「Time is come, you know there is valley」フランヂ(2003年「WORLD WIDE WILD」KRCL-10026)
 フランヂは京都のバンドで、オムニバスに2曲収録しただけだ。僕自身会ったことは1度も無い。なのでエピソードとしてはほとんどまったくと言っていいほどないのだが、彼女たちが残した2曲はとてつもなく良く、いつまでも忘れることの出来ないバンドであるし、この曲もベストを作るのならばまず入れなきゃならない曲の筆頭格だった。今回ネットで検索してみたけれど、フランジというのはパイプの接続部品の名前らしく、そういうページが沢山出てくる中、2002年頃のライブレビューが2つほど出てきた。どんなライブだったんだろうとか、今となっては詮無い妄想を膨らませたりした。音楽はまさに出会いだなあと思わされる。

Wednesday, November 03, 2010

20周年ベスト解説〜「砂になったラクダ」天空快


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13. 「砂になったラクダ」天空快(2004年「KEMONO CRATCH」KRCL-63)
 2000年代中頃から後期にかけてのキラキラレコードを代表するアーチスト、天空快。最初にライブを見た時にぶったまげた。すごく地味な風貌だが、演奏している曲のセンスは図抜けていて、個人的に「静かな天才」と確信した。風貌は凡庸だ。ルックスで売れるタイプではない。もしもルックスで売れるような要素をかけらでも持っていたなら、きっとこんなにひねくれた曲を作ることは不可能なのだろう。ひねくれたと言っても世をすねて不満たらたらというのではない。視点がユニークなのだ。ユニークというか、絶望的で未来的。決して後ろを向いたりしない、それが超ポジティブな僕の心をとらえたのかもしれない。そして僕は決してメインストリームな考え方を持っているわけでもなく、そういうのも彼が一部で熱狂的な支持を集めながらもなかなか広がっていかなかった一因なのかもしれないなと、今は思う。
 2004年に1stアルバムをリリースするのだが、それも決して簡単なことではなかった。彼のリリースにはある一定の条件を出していた。元来アーティスティックな天空快は、作品作りに対する意識が強く、それを広めようという部分が弱かった。それではなかなか広がっていかないし、広がっていかなければいい作品も埋もれるだけである。彼の音楽は埋もれるべきではない。もちろんレーベルとしても努力したし、金額は言えないが、プロモーションに桁が違う投資をしたのは間違いない。その投資をするにあたって、最低限不可欠なものはやはり本人の強い気持ちである。それがあって初めて、投資は車の両輪として回っていく。最初に彼に提示した条件は、あとから思うとそんなに高いハードルでもなかった。だが最初にちょっとしたハードルを超えるということが、その後の活動や意識を支えると思ったから、そのハードルを超えることにこだわったし、彼もそれをクリアしてくれた。少々時間はかかったものの。
 そこから激しく活動を展開していって、アルバム3枚、シングル3枚をリリース。2007年には夏だけで39本の全国ツアーを決行した。九州に行った際には僕も福岡に帰り、実家に泊めてあげたりと、家族を巻き込んだ一蓮托生で頑張ったのも強く記憶に残っている。行く先々で評判はいいものの、なかなかCDセールスは伸びず、期待の高さと反比例する実情に、本人もレーベルもやきもきしながら過ごす日々が続いた。そんな中でもリリースだけじゃないアーチストとしての包括契約を結び、出来る限りバックアップしていきたいと思い続けたものの、なかなか結果が出ず、今年初旬にすべての契約が終了した。天才なのは間違いないと今も思っているが、それをもっと売り出すことが出来ず、後悔も大きかったアーチストだ。
 この曲は最初にライブを見てぶったまげた、まさにその曲。童話的で、叙情的。人間の想いは有り得ないストーリの中にも活き活きと表現されるんだということを実感させてくれる名曲。彼はこの歌で、地のストーリーとセリフの部分を声色を使い分けながら歌っている。他の曲を聴いても、こういう声色で歌っているのはこの1曲しかないのだけれど、天空快といえばこの声色が一番大きな印象として残っているし、他の曲も全部この声色を使っているんだと錯覚している人も多い。そのくらいインパクトを持った曲なのである。キラキラレコードからリリースしたCDには2つのバージョンがあって、これは1stアルバム「KEMONO CRATCH」に収録されたシンプルなもの。その後シングル「ディランのレコード」に収録されたバージョンではラクダと少年のセリフが左右から分かれて聞こえるようなミックスになっている。今から思えば、この余計な工夫をするような意識が、全体的に彼の作品をよりマニアックにしていったのではないかという気もする。シンプルなこのバージョンが、最初に彼と出会ったときのインパクトを一番現しているような、そんな気がする。

Tuesday, November 02, 2010

20周年ベスト解説〜「夢を見る間に抱きしめて」Myst.


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12. 「夢を見る間に抱きしめて」Myst.(2003年「一身上の都合により・・・」KRCL-61)

 侍の格好をして歌うという、ある種コスプレバンドとして活動しているMYST.。ボーカルの佳上くんのソロユニットで、彼自身が居合いをやっていることから、侍ファッションの展開を始めることになった。そもそも楽曲はハードロックを基調としながらの王道ポップで、それと侍パフォーマンスとのギャップ感が人の目を引いているけれど、そういう飛び道具がなくても十分に通用する歌唱力とポップセンスをもっている。もちろん実力だけで通用するほど甘い世界ではないのだが。普通のバンドがライブハウスのブッキングを中心に活動しているのとは違っていて、そのユニークな活動は僕にとっても参考になる。
 佳上くんはとても理論派で、ただやみくもに活動していても仕方ないと、自分の音楽性や年齢などを考慮した独自のマーケティングを考案、実践している。その内容は一種の企業秘密なのでここで公言するわけにはいかないし、きっと僕にも伝わっていない秘伝があるに違いない。そのマーケティング理論により、着実にお客さんが増えているし、大ヒットといかなくても収益はプラスになっている。しかもバンドメンバーはボランティアではなく、佳上くん以外のミュージシャンにはギャラを支払ってなお黒字というから恐れ入る。多くのバンドがそうであるような、ただ夢を見て活動し、玉砕覚悟の展開とはまったく一線を画している。
 この曲は1stアルバムに収録されたMYST.の代表作中の代表作。今もライブではアンコールなど重要なポイントで歌われている。ニュートラルな歌い方よりも少しだけクドいとも思われるような節回しが特徴でもあり、耳にするだけで「あ、佳上くんの歌だな」と判る。敬遠する人もいるだろうが、一度ハマると中毒的にまた聴きたくなる。そんな歌である。クセや特徴があるというのは、アーチストにとっては重要なことだ。
 そんなMYST.、新譜「在」が先月リリースされたばかり。その勢いはまったく衰えることなく続いている、頼もしい存在だ。

Monday, November 01, 2010

20周年ベスト解説〜「ウラギネス」ダイナマイトC


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11. 「ウラギネス」ダイナマイトC(2000年「二死満塁」KRCL-34)
 大阪からやってきた彼らも超個性的だった。ボーカルの上野くんはお客さんとコミュニケーションを取ることが好きで、毎回のように客席に降りては拍手を強要するというパフォーマンスをしつこく展開していた。そういうパフォーマンスは往々にして敬遠されてしまうのだが、彼らの場合は受け入れられていたというか、逆に求められるようになっていた。一種の売りといってもイイくらいだった。お化け屋敷に行ったら脅かしてもらわなきゃつまらないように、彼らのライブでは上野くんにしつこく迫られないとつまらないような雰囲気があった。度を超すと快感につながるということもあったのだろうし、何より彼らのキャラクターがそれを許していたように思う。
 上手いとかでは決してないのだけれど、なんか奥底には確実になにか魂を持っているようで、そういうのが僕はとても好きだった。僕自身も度を超した彼らの押しを快感に感じていたのかもしれない。熱意にほだされたのかどうか、アルバムを2枚、シングルを2枚、ビデオを1本リリースして、結果的には大赤字。なんとかして欲しい。彼らだって、不用意にワンマンライブを決行し、全国ツアーも決行し、絶対に普段は着ることのない衣装を特注し、大赤字だったのだろう。メンバーは1人抜け、1人抜け、やがてほぼ解散状態になり、仕舞いには女性ボーカルを加入させ、当初とはまったく違った形になってしまった。それでも続けていく以外になかったのだろう。転がる石のように、ライクアローリングストーンだなと思う。
 現在、ボーカルの上野(兄)くんは梅田のアムホールで、ドラムの上野(弟)くんは心斎橋RUIDOでそれぞれブッキングをやっていて、そちらの方で今もお世話になっている。徐々に恩返ししてもらっているような感じなのかもしれない。リリースが途切れるとどうしてもレーベルとアーチストは没交渉になってしまう宿命だけれど、彼らのように今でも関係があるというのは貴重だし、彼らの人間味とか魂のひとつの証しなんだと思う。
 ダイナマイトCの代表曲は「SOS」という曲で、大阪に行ってグリコのナンパ橋や大阪ドームでPVを撮影したりした。が、僕はこの「ウラギネス」の方が好き。上手くはないけど、聴いていて「そうだ、そうだ」って心の中でうなづいたり出来る、ある種心の名曲。