Monday, June 27, 2011

漂流感覚

 土曜から東京へ。今日で3日目。次の土曜日まで東京に滞在予定。26年間暮らしていた街なのに、すでによそ者感覚。

 この感覚は、海外旅行から帰って来たときの異邦人感に似ている。成田からスカイライナー経由で、山手線の車両に乗り込んだ瞬間に感じるあの感覚。自分が過ごした数日とは違う数日を暮らしていた人たちがここにいる。そこにまぎれて、自分はどんな風に見られているのだろうか。それが自分の勝手な思い込みであることは重々承知だ。ずっと東京にいたところで、山手線に同乗している人たちとは所詮別の暮らしなのだ。でも、感覚に嘘はつけない。ずっとこの街にいる人と、いなかった自分と。その違いは感覚の中で壁を作る。

 生まれ育った福岡に行く時もそうだ。福岡空港に降り立った瞬間に味わうよそ者感覚。僕の博多弁は、自分では今も通用すると思っているけれど、26年の東京暮らしで変容していることは間違いない。最近はそういうことも少なくなったが、学生時代に帰省した際、地元の友人たちから「うわー、標準語喋っとう、つやつけとう〜」とからかわれた。東京では方言丸出しだと半ば揶揄されているその似非標準語で。

 では、今僕はどこでならよそ者感覚を感じずにいられるのだろうか。住民票がある京都か。いや、違う。数年経てば地元感覚になれる可能性がないわけではないだろうが、それでももう僕に地元なんて場所はないんだろうと思う。自分にとっての居場所は、土地ではないんだろう。今いる場所、そこを自分の居場所として受け入れるしか無いのだろう。この瞬間なら、東京銀座のスタバ2階だ。ここでブログを書いている。書いて、アップしたらまたどこかに出かけていく。その瞬間に、ここは僕の居場所ではなくなる。

 居場所というのは何なのだろうか。東北で津波被害に遭った人たちが、一面瓦礫となったその土地で、また再起を誓っている。福島で父祖伝来の土地に放射能物質をまかれ、それでもそこに戻りたいという。何故と思うが、それが普通の感覚なのだろう。僕にしても「もう僕に地元なんて場所はないんだろうと思う」という表現を使うこと自体、地元というものへの憧れが根底にある、そのことを示しているのだ。無くなって良かったではなく、有る者への憧れのような気持ちで。

 だが、居場所というのがなんなのか。単一の意味ではないはずだという思いもある。不動産としての動かない地点という意味合いとは別に、安心できる場所という意味。それが居場所というのなら、今の僕には奥さんがそれなのだろう。今回の東京は2人してのケチケチ旅行。深夜の高速バスで移動し、友人宅の離れに身を寄せている。テレビも無く、毎晩銭湯に通うという、なんとも昭和な雰囲気の数日を過ごしている。だが、2人ならそれも悪くないと思う。そもそも京都に2人で移住し、周囲に友人も居ない中での暮らしだ。それでもやっていけているのは、2人でいるからだ。独身時代が長かった僕がこんなことをいうのを信じられないという旧友も多かろう。でも実際にそうなのだから仕方ない。仕方ないというか、それで良かったと思うのだ。



 いろいろ書こうと思ったが、そして実際に書いてみたけれど、止めた。結構消した。何か確定的なことを書くには、この漂流感覚はあまりにも安定していないからだ。これからもしばらくはこの人生が続くだろうが、その間に、またどこかで自分の居場所と思える場所が出来れば、それはそれでいいと思うし、出来なかったからといって落胆する必要も無いだろう。当面は奥さんと2人でいるという、自分が安らげるところを大切にしていければいいからだ。それは、福岡でも、京都でも、今週いっぱい過ごすこの東京でもないし、逆にいえばそのどこでもいいのだろう。

Thursday, June 16, 2011

トップと組織

 吉田所長の行為の是非について、報道された頃から賞賛の声が挙っているが、僕は基本的に組織論としてはあの行為は賞賛されたものではないと今でも思っている。

 福島原発の事件で、地震により冷却用の電源が喪失し、海水注入をしていたところ本店から一時中断の指示が出た。しかし吉田所長は自分の判断で中断をせずに注水を続けた。「現場では生きるか死ぬかの問題。一度中断してしまったら、いつ注水再開できるかわかったものじゃない」という判断だったそうだ。事実としてはこの判断によって事故が今の程度で済んでいるのだろうし、そういう意味では正しい判断をしたということになる。多くの国民が救われたという点では、素晴らしい人だと思うし、感謝してもしきれないとも思う。だが、それでも組織論としてはけっして正しい行為と手放しに賞賛するのには抵抗があるのだ。

 組織というのは、明確な指揮命令系統が存在しなければならない。トップの判断と、その判断を実行する現場。それが組織だ。もしトップの判断をサボタージュする箇所がどこかに存在したら、組織は成立しない。単なる烏合の衆である。善かれと思った行為だとしても、組織の一員である以上トップの命令には従わなければならない。逆らうなら、組織からは離脱すべきである。もちろんトップも間違うことはある。しかしそのトップをトップに選んで、その組織は動いているのである。結果的な失敗の責はトップが負うのであり、現場はトップの決断を実現するために全力を挙げるのが、組織のあるべき姿だと思う。

 最近大阪府の君が代問題も話題になった。公立学校の教師が行事で君が代斉唱する際に起立を義務づけるという条例を決めたという。個人の信条はいろいろあるだろう。有って当然だ。しかし、これは組織である。組織の行事である。君が代という歌が持つ意味について様々な考えがあるのは知っている。だがその是非をここで問うつもりは無い。これはひとつの問題に過ぎず、その他の問題についても、トップの決定に従えない現場は、既にその時点で組織の一員としての資格を失っている、というか放棄しているというべきだ。自分に強い信念があるなら、個人塾を開いてそこで考えを伝えていけばいい。私立学校を創立して、自分の理念に基づいた教育をすればいい。そこまでいかなくても、組織自体を替えるための動きをすればいい。それもせずに単なるサボタージュをするのなら、それは単なる甘えだし、我が侭にすぎない。

 では、単に上の顔色を見てそつなく動くだけでいいのだろうか。そういう問題は必ず起こる。自己の営利のみを追求する組織であればそれも良かろうが、公的な責任を負う組織の場合は単に組織のみで存在するのではなく、その行為の正否が組織外に対しても大きく影響を及ぼす。冒頭の吉田所長の件もそうだ。もしも彼が単なるイエスマンで、注水を中断してしまっていたら福島原発はもっと大きな爆発を起こしていたかもしれない。放射性物質は今の何倍も多く、そして遠くまでまき散らされていたかもしれない。そういう意味では、公的な組織の一員は時に組織を超えた判断が必要な時もある、という論理も成り立つのかもしれない。

 だが、しかし、やはりそれは組織論としては間違いなのだ。

 今の日本は、政治家ではなく官僚が動かしていると言われている。それは確かにそうだろう。特別に専門分野を持つことの無い政治家と違い、その道一筋に仕事をしてきた官僚はプロフェッショナルである。そういう人から見ると政治家は馬鹿にしか見えないだろう。どうせすぐに交代してしまう馬鹿政治家の思いつきになんて従っていられるかと、自分たち独自の政策を打ち出す。もちろん政治家を無視する訳ではない。しかし、自分たちの考えと違う政治家の指示には動かないという方法で実現を阻止するし、政治家がアイディアを求めれば自分たちの考えに沿ったアイディアのみを提示するし、結果として、自分たちの思うような政策を推し進めるためにしか動かない。これではいくら民主主義で国民が国の在り様に関心を持っても、その思いは反映されない。民主主義を阻害するのは、公僕であるはずの官僚なのだ。それは組織としてやはり間違いだと言わざるを得ない。たとえプロフェッショナルな官僚の知見が高かろうと、民主主義を是とする限りは、主権者は国民であり、国民は自らの考えを実現させるために投票を行ない、投票によって選ばれた政治家の合議によって国の方針が決まり、その方針を実現するために滅私奉公の精神で官僚が働く、そういうことでなければならない。それがイヤなら、独裁政治を良しとしなければいけない。優秀な官僚が愚劣な政治家に逆らうことは、やはり民主主義という大きな組織論の中では絶対に許されることではないのだ。たとえ経済的な危機などの可能性を目の前にしたとしてもだ。

 もう1つ。赤十字に集められた義援金が全体の15%しか被災者のために使われていないという問題がある。もう3ヶ月も経つというのに、多くの人たちの善意はこの処理の遅さによって完全に無駄になってしまっている。なぜこんなことになっているのか。これにも組織論が絡んでいる。善意による貴重な金だ。だから疎かにはできない。公平に支出しなければいけない。だから「公平」さを期すために証明書を基本にするというのだ。もちろん偏りがあってはいけない。だが、それを重視するあまりに困窮している人の首を絞めるようになってしまったら元も子もないのだ。いつになるのか判らない公平さの追求を待つより、赤十字のスタッフが東北の避難所に行って一律の金一封をバラまいてくればいいじゃないか。全部とは言わない。しかし義援金の50%くらいはそうやって配ってみれば、「公平じゃない」というクレームが起こるだろう。その時にそういうクレームを見ながら、残った50%を改めて配分していく際に公平さを追求すればいいだろう。義援金を出した個人の思いというのは、テレビに映る悲惨な状況を見て、居ても立ってもいられずになけなしの金を募金箱に入れたのだ。公平を求めて逡巡するのなら、最初からそんな組織に募金なんてしない。

 では、赤十字の職員が勝手に金庫を開けて、自分でクルマに積んで東北の各地を回ってバラまいたとしたらどうだろうか。それは必ず糾弾されるだろう。その方が募金した個人の気持ちに沿っていたとしても、いくら善意から出発した行為だったとしても、そんな行為が許される訳は無い。なぜなら、その集められた義援金を一職員が自由に扱う権限など無いからである。もしもやったら確実に横領の罪に問われるだろう。権限の無いお金を勝手に使うことは犯罪である。それは、権限の無い勝手な行為をトップの支持に逆らってする(あるいはサボタージュする)ことと同じことだ。組織論としては、権限の無い行為は全て許されるものではないのである。

 でも、そういう善意の個人の行動は多くの人に支持されたりする。なぜか。それは組織の決定や行動が間違っているからである。東電のトップが行なった「注水を一時中止」という決定には誤りがあった。現場というものを知らない甘い判断だった。だから、それに逆らった吉田所長のとっさの判断に賞賛が集まる。赤十字の問題もそうだ。もしもトップが覚悟を持って記者会見をし、義援金配分について「多少の不公平は生じるかもしれない。しかし躊躇しているヒマなどないのです。集まった義援金の半分をまず100台の車で東北の避難所を回って配ってきます。問題が起きたら全て私が責任を負います」と宣言すれば、多くの賞賛を得られただろうし、助けられた避難者も多かっただろう。

 組織の一員が逸脱した行為を行なうとき、それを安易に賞賛するのは危険なことだ。しかしそれは、その組織の決定に対しても言えることで、トップの決定が全て正しいという前提に無批判に拠って立つことも愚かなことだと思う。トップの決定はとても重く、組織の一員が軽々しくそれに逆らうなんてことが出来ないのは、結局はその決定にトップ自身が一人で責任を負う覚悟があって初めて成立するルールなのだ。

 そう考えた時、僕は前述の官僚への批判はどういうものであるべきかということを考えてみるのだ。国家の主権者は国民である。民主主義はそう規定したシステムなのだ。ということは、責任を負うべきトップとは、内閣総理大臣なんかではなく、国民一人一人ということになる。官僚がそのトップの決定(投票行為)に逆らって独自に政策を立案推進することは、トップたる国民に対する重大な犯罪といえるだろう。だが、それを批判するためには、国民一人一人が自分の責任を一度考える必要があるだろう。現在の政権をどういう気持ちで選んだのか。自民党と民主党の政策をちゃんと較べたのか。その上で選ばれた民主党はその後国民との約束をどうしたのか。菅直人の演説をちゃんと聞いたのか。小沢一郎の演説をちゃんと聞いたのか。その上で、菅直人が素晴らしいと思ったのであれば、その責任は国民が負うべきだろう。どんなに国が誤った方向に向かったとしてもそれを受け入れるべきだろう。

 しかし、民主党の現在の執行部は国民との約束を次々と反古にしていった。民主党が参議院で過半数を取った選挙では小沢一郎が代表だった。衆議院で大勝した選挙では鳩山代表で小沢幹事長だった。いずれも国民の生活が第一という主義を掲げた。しかしその後内乱のように現在の執行部が民主党を乗っ取り、選挙で支持された約束を反古にし、先の参議院選挙でその方針が主権者である国民に否定されたにも関わらず、責任も取らずに今も権力の座にある。これこそ、民主主義の否定であり、主権者である国民が自分の選択に責任を持てない社会状況を生み出している元凶なのだと思う。

 今、菅総理に退陣を要求している声のほとんどは、震災対応のマズさを理由にしているようだ。しかし、本当の問題はそこではない。彼及び現執行部は国民が支持した政策を否定し、国民が支持しなかった政策を遂行しようとしているのである。その反民主主義的な思い上がりが、社会を揺るがす大きな問題であり、その点を指摘しない退陣要求には何の意味も無いのである。そんなことでいいのだったら、まさに「誰がやっても同じ」だろうし、国民と政治の乖離は底なしに広がっていくことだろう。

 僕ら国民は一度冷静になって、自らの「トップ」としての責任を自覚すべきだろう。そうでなければ、東電のトップが「注水作業一時中断」といった愚かな決定を下したように、また赤十字のトップが無責任にも早急配布のための決断をなんら下さずに事態を悪化させているように、僕ら自身が愚かなことを繰り返してしまうのだろう。そして日本という大きく貴重な組織をクズへと変えてしまう。僕らのその責任はとても重いのだ。

Tuesday, June 14, 2011

名刺

 新しい名刺が出来てきた。おいおい、引越してから1ヶ月以上経つのにそれまで名刺無かったのかっていうツッコミはやめてください。いろいろやってて、手続きとかも後手後手に回って、結局電話が通じたのが先週の初め。まあ携帯とメールでほとんどのやり取りは可能になってしまっているから、固定の電話の優先順位がどんどん後ろになってしまっていた。でも固定電話がないのに名刺作るわけにもいかない(一応ちゃんとした会社だから)ので、名刺もようやく今日届いたという始末。まあのんびりした会社だ、まったく。

 同じ印刷会社にほぼ同じデザインで発注したから、見栄えは「どこが違うの?」というくらいに代わり映えがしない。でも、やはり郵便番号が1から始まらない。電話番号は03から始まらない。僕らは京都に移ってきたんだなとあらためて実感した。京からこの名刺を配り始めることになる。折よく今夜はライブを見に行くことになっているし、そのバンドマンに渡すことになる。ライブハウスの人にも挨拶するかもしれない。やっと今日からリスタートなんだなという、ワクワクする気持ちと少しだけ戸惑う気持ちが入り交じっている。

 形になるということは、要するにそういうことなんだろうと実感した。なんでもそうだろう。バイトが正社員になる、恋人同士が結婚をする。ライブだけだったバンドマンがCDをリリースする。今までと実質的に何か変わるのかというと、きっと変わらないのだ。しかし、今までとは違う「形」を手にした時に、意識が変わる。やっていることが変わらなくても、意識が変わることで、その内容も意味合いもグンと違ってくることはよくある。そういう変化は人生に緊張とか張りとかやりがいをもたらす。

 以前、僕が大学を卒業し、ビクターレコードの営業所に配属された時のこと。セールスマンになる前に会社に慣れろということでまず企画部というセクションに配属された。そこで会社の動きを学ぶことになったのだが、そこで生まれた初めての名刺をいただいた。すると同じ企画部の女子社員たちが「いいわねえ」と言う。何の気無しにその女子社員たちに名刺を渡した。当然彼女たちの名刺も交換にもらえるものだと思っていたら、もらえなかった。別に嫌われていたわけではない。彼女たちには名刺がなかったのだ。どうせずっと内勤なので、名刺を誰かに渡す機会も必要もないという理由で。

 当時の僕は業務日誌を上司に提出することが日課だった。なのでその名刺の件を日誌に書いた。「自分は名刺をもらって嬉しかったし、俄然やる気が出た。しかし内勤の女子社員は名刺がない。これでは同じスタッフとしての誇りもやる気も生まれて来ないのではないだろうか」と。生意気だった。でも、正直な気持ちだった。

 ほどなくして、内勤の女子社員が嬉しそうな顔でやってきて、名刺を僕にくれた。僕の生意気な業務日誌がきっかけで、内勤で配る機会も必要もない社員にも名刺を作ることになったらしい。僕も正直嬉しかった。

 名刺は、ある意味社会人としての証みたいなものである。飲み会の席で名刺交換をする。実質的には紙の無駄なのかもしれない。だが、逆にそこで交換する自分の名刺がなかったら、少しバツの悪い思いをしながら名刺を持っていない理由を説明しなければいけない。それで愛社精神が沸くものか。まあ愛社精神まで起こらなくてもいい。しかし普通に仕事をしていて「自分はここに必要な存在なのか」という疑問が起きるかもしれない。そういった諸々のことを考えても、名刺くらいは全社員にあった方が、いいんじゃないかって普通に思ったのである。

 話が逸れたな。ともかくも、京都の住所が入った名刺がようやく出来たのだ。ここが新たなスタート地点だ。頑張っていきたい。

Sunday, June 12, 2011

集中と分散

 京都で暮らしてて驚くことは、カフェとラーメン屋のレベルが高いということだ。本当に驚くくらいに。

 今日(土曜)も市内を結構歩いて、腹が減ったので京大近くのラーメン屋にふらりと入った。特別目立つこともないありふれた古い店。カウンターと厨房を仕切る台の端に水道の蛇口が後付けされていて、それがどう見ても素人工事。だって補強がビニールテープだもの。

 だが、出てきたラーメンはとても美味かった。鳥を煮込んだあっさりスープと書いてあったけど、コラーゲンがたっぷり煮出されたかなりの濃厚スープ。麺は細麺、それなりの固麺。福岡出身の僕が博多ラーメンかと思うくらい。先日食べた有名店の天天有のラーメンもたしかそうだった。スープを作るのにどれだけ煮込んだんだよと言いたくなる。有名店なら意地とメンツが仕込みに現れてても不思議はないが、今日のお店はそんな感じではない。店名は「来々飯店」。ラーメン専門店でさえないのだ。それでも出てくるラーメンに手抜きはない。華美なトッピングなんてないけれど、肝心のラーメンそのものが完璧だ。それでいて、一杯550円という値段。やはりラーメンはそういう食べ物なんだと思う。牛丼が200円台で提供される時代にラーメンが800円してしまうとどうしても「?」という気分になる。それはサラダ付きの定食の値段じゃないかと。

 他にも京都でいくつかのお店でラーメンを食べた。どれもどれもが美味くて、どこもどこもが個性的だった。僕は、16年前に札幌に行った時のことを思い出した。当時ウチからCDをリリースしていた金谷ヒデユキのイベントだったのだが、ライブ翌日、空港に行く前にぜひとも札幌ラーメンを食べようということになり、タクシーに乗り込み運転手さんに「おいしいラーメン屋さんに連れてってくれ」と頼んだ。するとラーメン横丁なんかではない住宅街に入っていって、ファミレスのような雰囲気のお店で下ろされたのだった。2人で「ここが?」と訝しがったのだが、食べてみたらこれが美味い。福岡出身の僕は当時基本的に博多ラーメン以外のラーメンを認めていなかったのだが、その札幌ラーメンを食べた時から、「ああ、これは同じ名前でラーメンと呼んでいるけれど、別の食べ物なんだ」ということを理解するようになったのだ。店内を見渡すと家族連れがかなりの割合。子供も美味しそうに食べていた。そこにはこじゃれた雰囲気を出そうなんて色気はまったくない。純粋に味で勝負している、地元に愛されているラーメン屋だった。

 東京では多くのラーメン屋さんが雰囲気を大事にしている。照明や内装。その割にお客は窮屈さを感じている。カウンター席の椅子は固定されている。時には座る席も指定される。トッピングがこれでもかと工夫されたメニューを前に、シンプルにラーメンを頼むのが申し訳ない気分にさせられる。下手をするとラーメン1杯に1000円を超えることもある。26年暮らしていて、それも仕方ないことかと思っていたけれども、それは東京に限った特殊事情だったのかもしれないと、今はそう思ったりするのだ。東京はテナントの家賃が高い。それをまかなうためには客単価を上げ、回転率を上げる必要が過剰にある。人件費も出来るだけ削りたいし、深夜まで営業したい。そういう事情が、お客さんへのサービスを低下させてしまうんじゃないだろうか。


 カフェも京都はすごい。スタバなどのチェーン店ももちろんあるが、京都だけの、その1店舗だけのカフェが沢山ある。それらのクオリティがいずれも高いのだ。例えば六角通のTRACTION book cafe。広くてゆったりしてるし、オシャレだし、ドリンクも美味しい。二条高倉の月と六ペンス。会話を許さない独特の読書カフェで、こだわりのコーヒーを飲ませてくれる。有名どころでもフランソワ喫茶室、ソワレ、スマートコーヒー、みんないい雰囲気。パン屋の進々堂喫茶コーナーでは売ってるパンを買ってその場で食べられる。地元のマダムたちが毎日のように集っている。

 で、僕がすごいと思っている一番のポイントはというと、空間の使い方である。京都のカフェはそのほとんどがゆったりと作られている。だから隣の席の人を気にしなくてもいい。別に貸し切りのようにゆったりする必要なんてなくて、おそらくほんの5センチとか10センチの話なんだろう。しかし、その数センチの空間が決定的に雰囲気を変えてしまう。これは京都独自の店だけではない。スタバなんかも東京とはちょっと違う。ゆったりしている。池袋ジュンク堂横のスタバの1階席にあるウインドウ寄りのスツール席なんて、あれで同じ値段取っちゃいけないよねというくらいにぎゅうぎゅう詰めだ。それで全部が埋まって、奥に座ると出る時に「すみませんすみません」を連呼しなければいけなくなる。当時はそれを当たり前と思っていたけれど、あれは当たり前じゃなかったんだと、今になって痛感しているのだ。

 それに慣れてしまっているからか、京都のカフェの空間の贅沢さに呆れるほどの驚きを感じている。席と席の距離に加えて、空間演出も楽しい。三条大橋にあるスタバでは夏に床席が出る。六角通にあるスタバは六角堂の隣にあって、全面ガラスの壁からお寺のお堂が眺められる。寺町通の上島珈琲ではお店の真ん中に坪庭がある。実に京都っぽいし、奥のソファ席は別に席料を取られるんじゃないかというくらいに個室感たっぷりだ。もちろん席料なんて発生しない。今日行った元田中駅前のweekendersは元ダンスホールだったそうで、実に広いフロアに僅かな席しかない。街の中心でもないせいか土曜の夕暮れ時に客は僕を含めてたった3人。申し訳ないような気さえした。


 思うに、東京は人が集まりすぎている。かく言う僕も20歳の時に憧れて東京に移った口だ。大都会東京の魅力は心の底から理解している。だから日本全国から人が集まり、土地の値段が上がり、個人が店を営むには難しい環境になっている。大手はセントラルキッチン方式で食材を供給して効率を図れるからいいが、個人の店にはそれは無理だ。内装も本社のデザイナーの方針に従って同じような店が次々と出来る。どんどんコストをカット出来るチェーンに対抗するのは実際にはほとんど難しい。結果として、売上げのほとんどをテナント料と人件費に持っていかれるし、食材のコストを削って、結果的に味を落として自らの首を絞めている。

 そんな街に住んで26年。ある意味、僕の感覚は麻痺していたのかもしれないと思う。僕の実家は福岡市中央区で、京都にも負けないくらいに十分な都会だ。そのことは奥さんから指摘される。奥さんの実家は三重県松阪市で、彼女は子供の頃に都会に憧れていたそうだ。欲しい本が置いてある本屋にいける街。見たい映画をやっている街。そういう文化に触れたいという欲求が、やはり彼女を東京に向かわせた。その気持ちはよく判る。僕も東京に憧れたのだから。だが奥さんに言わせると、福岡くらいの都会に暮らしていたら東京に行く必要なんてないらしいが。

 その言葉を、東京にいる頃は「そんなことはない」と思っていた。しかし、今こうして京都に暮らすようになってみて、ある意味その言葉は正しかったなと実感している。東京は確かに魅力的な街だ。しかしそこまでじゃなくてもいい。人間が集中することにより、東京はある意味画一的で土地に人が支配される場所になっているような気がする。マンションの家賃も高かった。オフィスもそれなりに高かった。駐車場まで含めると、京都に来てほぼ半額で済むようになった。僕らはその金額を支払うために、夜遅くまで働いていたのかもしれないと思う。高田馬場のマンションから見えるビルのオフィスは毎日夜中まで電気が点いていた。それが当たり前の光景だった。でも、京都ではみんなとても早く仕事を終える。キラキラレコードが入っているビルなんて、ヘタをすると6時前で他のオフィスが全部閉まる。うちがまだ働いているというのにビル入り口のドアが閉まったりして、この間もヤマト運輸の人が入れなくて困ったことがあった。それはちょっと極端かもしれないけれど、四条と河原町の一部を除けば、京都の街自体終わるのが早い。でもそれが普通なのかもしれないと思うようになってきた。残業して働いて稼いだお金は、家賃や高い家のローンに消えていくだけなのだから、東京を離れた生き方をしさえすれば、そんなに働かなくてもいいのかもしれない。

 昔は、実際に東京にいなければ出来ない仕事が沢山あったと思う。直接会わなければいけない仕事も沢山あったはずだ。しかし今、インターネットの発達によって、どこにいてもコミュニケーションを取ることが容易になってきた。そういう環境の変化は、もう人を土地に縛る理由を薄めてきていると思う。もちろん今いる職場がドラスティックに変化することはそれほど期待すべきではないだろう。しかし、徐々に人の働き方は変化していくはずだし、そのことが東京の一極集中を緩和していくのだと思う。そうやって、地方都市ももっと活気を持つようになり、経済的にも潤い、東京ももっと緩やかな空間を取り戻せればいいなと思う。人々が高い土地代のために働く必要が薄まれば、文化的なことや美味しい食事にもっとお金を使えるようになるだろう。いつまでも土地のために人生を費やす時代など続かない方がいい。

 そんなことを考えながら、僕は京都に移住したことを一生懸命正当化しようとしている。でも心の底から、ラーメンが美味いと思うし、カフェはくつろげると思うし、ここでの暮らしが楽しいと思える毎日を送っているのである。

Saturday, June 11, 2011

居場所探し

 もともと好きでよく訪れていたとはいえ、見知らぬ街、京都に引越して1ヶ月以上が過ぎた。ここが当座の僕の居場所だ。

 でも、本当はここはまだ居場所ではない。

 居場所って何だろう。自分が心安らかに居られる場所。それがここでいう居場所だ。引越した新居は東京で住んでいたマンションとほとんど同じサイズに同じ間取りだった。だから慣れるのにさほど時間はかからない。荷物はまだ片付けられてはいないけれど、それでもこの家でどこにいればいいのかはすぐにわかった。押し入れのある4畳半がもっともくつろげる場所だ。高い棚も置かず、だから多少揺れたところで何かの下敷きになる心配も無い。だが、それで心安らかになれるというものではない。そんなに単純なものではない。

 僕は福岡で生まれ育った。今でも帰省すれば見知った街並の中で10代の気持ちに戻ることが出来る。だが、そこも僕にとっての居場所ではない。10代の終わりに僕はその街を出ることを決めた。具体的には大学に進学するためだが、卒業したって福岡に戻るつもりなどさらさらなかった。その通り、東京で就職し、そして独立して東京で20年間会社を経営してきた。人生の半分以上はここで生きてきたのだ。友人のほとんどもこの街に暮らしている。僕は東京で働き、暮らし、一生を終えるものだと思っていた。だから、僕にとって東京という街は居場所だったのだ。

 しかし、3月の地震を機に東京を離れることになった。人生とは何が起きるかわからないものだ。津波に襲われて家や町を失った人、さらには命を落とした人。そういう人と較べれば実にちっぽけな変化かもしれないが、ずっと暮らすつもりだった場所を離れるというのもそれほど些細なことではない。ずっと過ごす場所を離れることで僕はある意味漂流者になったのだ。京都が僕の居場所になるのか、それはまったくわからない。今のところはかなり気に入っているし、ここ以外の選択肢は他にない。だが、20年暮らした福岡、26年暮らした東京と同じレベルで実感出来るような材料はまだ無いのが本当のところだ。暮らせば知り合いも出来るだろう。しかし、学生の頃に出会ったような友に出会うことは、この歳になって、東京だろうが京都だろうが難しいことだ。

 人生は一寸先は闇である。しかし、薄ぼんやりとした光がずっと遠くまで見えているよりも、一寸先が闇の方がステキだと思う。なぜなら、その闇の先には今以上に明るい光が待っているかもしれないからだ。漂流したところで、落ち込んでしまう必要などは無い。この新しい場所が自分にとっての居場所となり、これまでには見えなかった可能性に触れるチャンスでもあると思う。前向きに、この新しい街で頑張っていきたい。そうやって頑張ることで、もっともっとこの街を好きになれるのではないだろうか。

 
 土地ということだけが居場所なのか。そうではないと思う。今回奥さんと2人で見知らぬ街にやってきて、お互い頼れるものは2人だけになった。フリーライターをやっている奥さんは、東京では自宅で仕事をしていた。キラキラレコードのオフィスまで歩いていける距離だが、会社にきて仕事をすることなどなかった。それは当たり前のことだった。彼女はキラキラレコードの仕事をするわけではないし、自宅で自由に自分の仕事をすればよかったのだから。僕から見て多少不健康なくらいにずっと家にこもって仕事をしていた。そのくらい、家にいることが好きだった。

 しかし、今回京都に移り、彼女はほぼ毎日会社に来ている。多少キラキラレコードの仕事を手伝ってくれたりもするが、基本は彼女自身の仕事をしている。電車賃を使って会社に来る必要は別に無いけれど、会社に来るのだ。それは、彼女にとってまだ自宅マンションが彼女の居場所になっていないということなのだろう。結果、僕ら夫婦は四六時中一緒にいる。それを嫌がっているというのではない。むしろ僕の方も、見知らぬ街で常によそ者意識を持って暮らしている中で、彼女と一緒にいることで安心を得られているというのが正直なところだ。京都で生涯暮らしていくという確信はまだ無いが、彼女と生涯暮らしていくという確信はあるわけで、そういう意味では2人のいる場所が今のところは僕らの居場所ということになるのかもしれない。

 今後京都で生活をして、仕事上でも多くの人たちと出会っていくだろう。そうすることで僕らにはそれぞれの時間が生まれてくるだろう。それはそれで悪いことではない。だが今は、お互いを頼りながら暮らしていけばいいのだし、頼れる相手がいるということを再確認できたというだけでも、知らない街に引越すことも悪くないことだなと思うのである。


 追伸:京都には魅力的なお店が沢山ある。そしてどこも割と敷居が高い雰囲気を発している。そういう時も一人じゃないということが大きなプラスだ。彼女が会社に通ってきてなかったら、僕のランチ事情は随分と寂しいものになっていただろう。やはり、2人でこの街を開拓していって、徐々に好きになっていけるんじゃないかと期待している。生涯住むかどうかは別として、住む以上は楽しく暮らしたいじゃないか。

 追伸2:会社の隣にある家の屋根が、窓のすぐ外に広がっている。このところその屋根に1匹のネコがやってくるようになった。広い屋根の中で、なぜか窓のすぐ近くでひなたぼっこして、時にはずっと会社の中を覗いている。毎日夕方近くにやってくるそのネコが、僕らにとって京都で最初の友達になった。

Friday, June 10, 2011

応援するということ

 AKBの総選挙の話題がワイドショーをさらっている。もちろんCD買ったことは無いし、誰が1位になろうとどうでもいい。だが、それに熱狂する人が沢山いて、武道館に入り切れない程の人が会場に駆けつけているという事実には目を背けるべきではないと思う。そして、この騒動のおかげで徐々にメンバーの顔と名前が一致し始めているということもすごいなあと思う。

 一部の人たちが「投票をするために一人で何枚も買うなんて本末転倒だ。それで100万枚売れても意味が無い」と言っているが、僕はそうじゃないと思う。投票するということであれなんであれ、それが好きなアーチスト(アイドル、タレント、メンバー、この際呼び方はどうでもいいです)を応援することになるとわかっているから、彼らは買うのだ。総選挙なるもので順位が上がればテレビに沢山出るし、下がればテレビから消えてしまう。ある意味切羽詰まっているのだ。CDシングルを買うのに1500円くらい(詳しい金額は知りません)かかる。100枚買えば15万円だ。500枚買ったという人も結構いるらしい。500枚だったら75万円か。500票でどのくらい順位が変わるのだろう。1位が13万票を集めた選挙で500票というのは誤差のような気もするが、40位の人が4698票だというから、500票だったら1割以上だ。そういう熱烈なファンが10人いるだけで表彰の舞台に上がれるわけだろう。5000票で750万なのだから簡単なことではないが、その後の芸能活動を考えたらとても重要な得票である。

 で、AKBの順位はどうでもいい。僕が言いたいのは、AKBに熱を上げて同じCDを何枚も買っている人を、どうしてバカに出来るのだろうかということである。

 僕の仕事はインディーズレーベルの運営だ。言うまでもなく、ほとんど売れていない無名のミュージシャンたちと活動している。彼らは経済的にギリギリのところで頑張っていることがほとんどだ。そして売れないと最終的には解散したり音楽から離れたりすることになってしまう。もう何組のバンドの解散を見てきただろうか。彼らが解散を決め、ラストライブをやったりすると、その時がバンド史上最高の動員になったりする。来場したお客さんたちは「惜しいよね、もったいない」「もっと続けてよ」「ずっと見ていたかった」などと口々に言う。しかし、彼らのほとんどは普通のライブなどにほとんど足を運ばなかった連中だ。彼らがもっとまめに会場に来てくれれば、解散する必要など無かったかもしれないのだ。CDもそう。売れない無名バンドのCDは数百枚が売れるかというラインで戦っている。まあ数百枚くらい自力で売れないようでは未来はつかめないわけだが、その数百枚だってけっして簡単ではない。1回ライブをやって5枚売れるかどうかという状態ではなかなか先は見えてこない。

 売れないバンドは消えていって当然だ。誰からも認められず、要するに価値が無い存在なのだから。それなのに解散ということになると多くの人が惜しむ。惜しむなら、買えよと言いたい。解散して「せいせいしたよ、黙って消え去ってくれ」というのならそれもいい。だが、惜しむのなら、メンバーにやる気が残っているうちに買わなきゃダメだ。

 インディーズだけじゃない。世の中に多くのバンドがいるけれど、それなりに有名であってもセールスは結構厳しい。彼らも知らないうちに解散したりする。それはもうしょっちゅうする。無論メンバー同士の仲違いという理由もあるが、ほとんどが経済的な行き詰まりだ。なぜ行き詰まるのか。買ってもらえてないからだ。買ってもらえれば上に行ける。ライブハウスから渋谷AXへ、渋谷公会堂へ、武道館へとステップアップした活動が出来る。

 みなさんは、何かを応援したりしたことがあるだろうか。

 応援するというのは、支えるということだ。そして一緒に大きな舞台を目指すということだ。プロ野球チームのファンなら応援して日本シリーズ制覇を夢みるだろう。バンドのファンなら、ライブハウスレベルのバンドがいつの日か武道館に立つことを夢みるだろう。もちろんいい時ばかりではない。贔屓のチームが連敗すれば罵声も浴びせたくなる。ライブハウスがガラガラなら「こいつらももうダメか」と冷めてしまう。それでも優勝や成功を信じて辛い時もグッと堪える。それが本当のファンだろう。

 話が取り留めなくなってきたので結論に行こう。インディーズで活動しているミュージシャンたちは、それぞれの思いを持って活動している。なにも明日武道館にとかいっているのではない。そんな彼らを応援するとき、まずはライブに行ったり、CDを買ったりしてみてほしい。それで「いいな」と思ったら、それ以上の応援をしてみようと思ってもらえればと思う。例えばライブに友人を誘って行く。CDを5枚買って友人にプレゼントしてみる。別にボランティアなんかではない。現在のファンがそれをやってくれればたちまち売り上げ5倍だ。ミュージシャンの活動の舞台は1ステップ上がる。そうなると、普通に応援しているだけでは見ることが出来ない何かを見ることが出来るようになる。結局は自分が得をするのだ。

 誰もが普通に1枚買って応援している気になってしまう。いや、それを否定するつもりはまったくない。1枚買ってくれるだけでありがたいことは間違いない。しかし、それはやはり普通のことであって、普通のことをしているだけでは成功など遠いのである。成功をするために、その成功を支えるために、ファンだって普通とちょっと違うことをやることはあっていいのではないだろうか。そしてそれがなければ、普通のバンドとして解散に向かってしまうのである。

 そういうことを日々考えながら過ごしているから、僕はAKBのCDを何百枚も買ったというファンのことをそんなにバカに出来ないなと思うのである。むしろエラいよとさえ思う。もちろん売る側の戦略や商業主義のことは別の問題としてあるのだろうが。

Thursday, June 09, 2011

たまには

 たまにはブログ書かないといけないね。いけないことはないけれど、やっぱりちょっといかんと思う。

 書かなきゃと思うことは沢山あったのだ。兄が剣道で6段になったこと、前野健太のライブを見たこと、内閣不信任案のドタバタ、等々、などなどだ。しかし、タイミングを逃すと話題は陳腐になる。内閣不信任案のことなど、3度書いては納得出来ずということを繰り返しているうちに、否決だけじゃなくて次々と展開していって、もはや今さらという感じになってしまった。

 いかんと思うのですよ。文章はちゃんと書き続けないと力が無くなる。だから、無駄に冗長になって、まとまらなくなって結局ブログの更新さえ出来なくなってしまう。一方Twitterは140字の限界があるし、歩きながら簡単にアップ出来たりするので全然楽だ。だから毎日つぶやいてしまう。そちらで書いているからまあいいかということになる。89000人がフォローしてくれているし、一方このブログはどのくらいの人が見てくれているのかと思うと、どうしてもそちらに気持ちが流れてしまう。

 しかし、だからこそこのブログが重要なんだろうと思う。昔、ブログなんてものが無かった頃からキラキラレコードサイトの中で日記を公開していた。その頃はほぼ毎日書いていた。その頃と同じことが出来るとは思わないけれど、また少しずつ、ブログを更新していけるようになりたい。

 そんなことを書いてはさぼり、さぼっては反省し、また書くということの繰り返しをずっとやっているような気がする。またしばらく経ってそんなことになったりしたら、しようがないヤツだなと文句のひとつもメールしていただくか、見限るなりしてくださいね。