Monday, December 24, 2012

おもてなしについて

 先週の土曜日、15日に僕ら家族はある京料理屋に行った。

 その店は僕にとって大切なお店である。今から18年前に父が他界し、翌年僕は母と兄と3人で関西に親子旅をした。その旅は、父を想う旅だった。福岡で父を火葬したとき、骨壺に入れられる骨は僅かで、残りの骨がどうなってしまうのか、母は気にかけ、兄は係の人に尋ねた。すると、そういった骨を集めて供養するお寺が淡路島にあるという話だった。それで、落ち着いたらそのお寺にお参りしたいと、母が言い出したのである。

 95年の5月、僕らは関空に集合し、2泊3日の旅をした。初日は大阪に、2日目は京都に宿泊した。せっかくの京都だから、おいしい料理を食べたかったのだが、どこに行けばいいのか、慣れない旅行者には難しい問題だった。それでホテルのコンシェルジェに、リーズナブルで京都っぽいお店はないかと聞いて、紹介してもらったのがそのお店だった。

 特別仰々しい店構えでもなく、ホテルから予約をしてもらっていた僕らはカウンター席に通された。そんなに構える必要のない料理がいくつか出てきた。美味しかった。忘れられない一品は若竹煮だ。それまで筍が嫌いだった僕が、一夜にして筍好きになったのはここの若竹煮が美味しかったからだ。

 カウンターにいたその店の大将が、僕らに京都の観光ガイドブックをくれた。お店の情報が載っているんだと大将は誇らしげだった。だが、なぜ大将は僕らにガイドブックをくれたのだろうか。それは今もよくわからない。よほど京都に迷った家族と思われたのか。でもその時は嬉しかった。メニューにもなく代金にも含まれないサービスを受けたような気がした。そういうちょっとした思いは、なかなか頭から消えることがない。

 以後、何度かそのお店に行った。一人で京都に行った時にお手頃なランチを一人で食べたりした。奥さんと結婚前に始めて京都旅行した時も、夜ご飯はそこで食べた。そんなに京都に詳しいわけもない僕に、女性に喜んでもらえそうな選択肢はそうそうない中、ここがベストだと思った。彼女にも喜んでもらえた。最終の新幹線に乗るために大将はタクシーを呼んでくれ、玄関を出て車に乗れる通りまで約50mほど出てきて、呼んだタクシーが確実に来たことを確認し、見送ってくれた。おいおい店にはまだお客さんいるだろうに。この瞬間に他のお客さんがお帰りになってたらどうするんだ。まあそんなことを考えていたら、お見送りなんて出来ないんだろう。その不器用ながらもストレートな人柄が、僕らを嬉しくさせるのだろう。

 やがて婚約をし、両家の親の顔合わせにもここを予約した。京都に越し、奥さんが妊娠し、子供が生まれる直前最後のお出かけでもここにランチを食べにいった。そして先週末、生後半年の長男を連れてランチに。

 仰々しいお店ではない。ランチメニューは申し訳ないくらいな値段でしかない。なのに、お店の人は心からのサービスをしてくれる。食事が終わって帰る時には玄関まで出てきて見送ってくれる。もしかしたらそういうお店は他にもたくさんあるのかもしれない。だが僕が知っているのはそこだけで、そこではそういうおもてなしをしてくれて、そこと自分との歴史もあって、なんかいいなと思っている。そういうお店をひとつだけでも持てて、幸せだなと思う。



 変わって今日、僕はある友人のホームパーティーに家族で出かけた。

 彼とはFacebookで偶然に知り合った。京都に住む映画監督「R」で、スイス人だった。2009年に彼が作る映画が東京のライブハウスでも上映すると聞き、足を運んだ。その後Facebook上でちょくちょくやりとりをし、僕が京都に移住して、直接再会した。その彼が先月京都の郊外に引越して、今日は新居披露パーティーということだった。

 面識あるのは彼だけで、どんな人が集まるのかもわからない。パーティーというのはそういうものだろうが、何人集まるのかもわからず、料理などは持ち寄り制というのに、どのくらいの量の食材を持っていけば良いのかもよくわからず、まあとにかく行こうということで車を走らせた。一般道で約1時間半。京都市内とはかなり違う雰囲気の町に着き、家に上がった。

 楽しかった。まったく知らない人たちの輪の中に入れてもらったわけだが、彼らもまた「R」に招待されてやってきたわけで、きっと知らない人たちの中に入った状態だったのだろう。話をして、食べて飲んで、とても和やかな時が過ぎた。

 和やかな時を過ごせたのは、きっと「R」の人柄なんだろうと思う。知らない人でも、みな彼の人柄に引き寄せられた人たちだから、きっと話しやすい人だったんだろうと思う。みんなを彼と奥さんがもてなし、場が作られる。食べ物は各自が持ち寄ったが、僕らは彼にもてなされたと感じた。




 目的はお店に料理を食べにいく、あるいは友達のパーティーに参加する、ただそれだけだ。でも、料理が食べられたら満足なんだろうか。パーティーに顔を出せれば満足なんだろうか。満足とはそういった目的の向こうにあるものだと思う。牛丼屋で満足することもあれば、高級レストランでイヤな思いをすることもある。それはきっと、メニューでも料金でもなく、人なんじゃないかと思うのだ。気持ちのいい人と一緒に時間を過ごすことが出来れば、それで嬉しい。



 僕は、おもてなしをしてくれる幾人かの人と出会うことができて幸せだと思う。僕が幸せである以上、相手にもそういう気持ちになってもらいたいと思う。そういうおもてなしが出来る人間なんだろうか、自分は。そんなことを考えながら、家路の1時間半、車を走らせた。

Monday, December 17, 2012

小さな声

 今回の選挙は、いろいろな意味で興奮もしたし、警戒もしたし、失望もした。  僕の住む京都2区からは、民主党逆風の中で前原誠司が当選を果たした。TwitterのTLでは「枝野や前原や野田を当選させる地域のヤツらは何を考えているんだ」という言葉も沢山目にした。そう。僕がその地域のヤツらである。地域のヤツらにもいろいろいる。だが、僕の小さな1票では前原誠司を落選させることは出来なかった。前原誠司が72170票、自民が42017票、共産が24633票、社民が7416票。2位以下を全部足せばかろうじて前原誠司1人の得票を上回る程度という圧勝状況。それでどうすればいいんだ?日頃から街を歩けばそこら中に前原のどアップのポスターが貼られている。ここは前原が将軍さまの独裁国家かと思うくらいの勢いで貼られている。そんな中で、国民の1票なんて小さいなあと無力感を感じさせられた。  自分の選挙区の問題もさることながら、全体の政党の当選者数もとんでもない感じに終わった。選挙前から「自民の圧勝」的な世論調査が繰り返され、それでマッチポンプ的な雰囲気が強調されていったという側面もあるだろう。が、結局は反自民の勢力がまとまれなかったのが敗因だと思う。  思えば、1993年の政権交替以来、政治は結局自民対反自民の構図がずっと続いてきたと言える。最初の政権交替では中選挙区制で勝ち抜いてきた8党派による連立政権だった。それが自民党によるスキャンダル攻撃と、村山富市率いる社会党の離脱によって政権が再び自民に戻ることになった。続く2009年の政権交替は、旧民主党と自由党の合併によって生まれた民主党が大きな反自民の対抗馬として選挙に勝利したのである。その後小沢一郎への司法的な攻撃と、マニフェストと真逆の政策を次々に進めた菅&野田首相への不信感が、民主党に逆風を吹かせ、離党者を続出させてふたたび自民に政権が戻ることになった。  別の党による選挙後の連立という手法と、反自民が1つの党になるという手法とで、とりあえず2度の自民下野は実現した。だがいずれも自民の巧みな攻撃によって、反自民勢力は権力を明け渡す時にはバラバラに崩されてしまう。そこから再び対抗馬になるまでに、実に15年のサイクルが必要だということになる。  そうなると、次のチャンスは2027年だ。その時には小沢一郎も85歳。政治家として第一線で勝負するということは難しいだろう。今回のように少数野党になっても、それはかつての自由党のようなものであって、だからこれで終わったという条件になるとは思わない。だが、復活するのに15年かかったとしたら、それは政治生命としてかなり難しい状況になると言わざるを得ないだろう。  そうなると、もう自民による政治に甘んじるという選択か、もしくは小沢一郎に代わる新たな政権交代実行能力を持った政治家が育つことに賭けるという選択しかなくなってくる。だがそれは両方とも難しい。そもそも自民は今回の選挙でも実質過半数の支持を得ているわけではない。それに甘んじて納得できる国民ばかりのはずはない。  また、小沢一郎は希有な才能を持った政治家であり戦略家である。それと同等以上の政治家の成長は容易ではない。小沢一郎と同等ではダメなのだ。それ以上でなければならない。それが15年で出来ると考える方が能天気だ。一方で自民党は着々と世代交替を行なっている。1期や2期浪人を強いられても生活には困らないという態勢で二世三世という世襲政治家を登場させ、なおかつ小泉進次郎という才のある四世までも登場させている。それに勝つために、政党としても野党集団としても崩された中から新たな才を見いだし育てなければならないのである。これはもう難事業中の難事業と言わざるを得ないだろう。  普通なら、諦めるところだ。でもそれではいけないと思う。じゃあどうするのかという具体的な工程表などはまったくない。次の参院選でどう巻き返すのかさえ五里霧中だ。でも、諦めたりしてはいけない。例え今回の選挙中に巷間噂されていたように国防軍ができ、徴兵制が実施され、戦争に突入したとしても、諦めるなんてことは許されない。原発が次々と再稼働されたところで原発事故が再び起こったとしても、諦めたりしてはいけないのだと思う。  ここまで書いてきて、では何にそんなに対抗すべきなのかという疑問は当然湧く。自民がそんなに悪の権化なのかと。そうではない。55年体制が始まって以降93年の政権交替まで、自民党は下野の心配がないから慢心してきた。政治のプロではあっても、慢心がそこにあるが故に社会が歪んだ。それを監視チェックすることが大切なのだと思っている。そのためには、常に下野の危険性を感じさせる必要があると思うのである。そうでなければ、政治は国民の方を向かない。自分に関係のある業界や官僚や外国を向く。それで善政がされるならまだいいが、そうだとしても、それは民主主義に非ず、単なる殿様による世襲政治である。世襲の支配層によるおこぼれ善政に過ぎない。今の自民のように二世三世が跋扈する政党が政権を長期間占めるならばなおさらだ。  ああ、なんかここまで書いてきて、そんな大きな問題のことまでじゃなくて、もっと卑近な矮小なつまらない部分での失望だったんだと思う。それは、60%を切る投票率だ。4割以上の有権者が、権利など要らないと行動で示しているのである。そんなところに民主主義も何もないだろう。311という未曾有の災害を経て、その後の国の対応の異常さと不公平さを見てきてなお、権利など要らないと投票を棄権しているのだ。選挙制度がどうだとか、マスコミの情報操作とか、二世三世の世襲とか、そんな問題以前の、国民の意識の低さが問題なのだ。民衆の意識が低いなら民主政治もまた低くならざるを得ない。だったら、このまま谷底に真っ逆さま以外に道はないのかもしれないと、そんな感じの失望だったんだと、今は感じている。  じいさんたちによる政党「立ち上がれ日本」は消滅したが、いまこそ立ち上がれ日本人なんだろうと思う。そうでなければ、この国に明るい未来などはない。あるのは、ご主人様によって生かされる奴隷の一生ではないのだろうか。

Thursday, December 13, 2012

風は吹いているか

 作業をしながらCDをたくさん聴いていた。今日はCOVERSも聴いた。RCサクセションの1988年のアルバムだ。

 このアルバムは当時発売中止になったいわくつきのアルバムだ。原発反対を歌っていたから、原発メーカーである東芝の子会社東芝EMIが発売を中止にしたのだ。しかしその後KITTYレコードから発売された。発売が決まらずお蔵入りかと思われていた時期にはファンの間で非公式のテープ(カセット)が出回っていると噂だった。夏の野音のチケットを取るために日本放送のプレイガイド(当時っぽい)に徹夜で並んでいた時も、先頭付近のファンたちはその話で持ち切りだった。

 ま、それはともかく。1988年のこのアルバムをこの時期に聴いた。311以降は反原発の人たちが清志郎がタイマーズ名義で出した曲のいくつかと、このカバーズの数曲を取り上げて自分たちの主張に利用した。僕個人は原発反対だが、だからといってそうやって清志郎の曲を使うことはどうかと思っていた。なんといっても清志郎は故人だ。その使い方が清志郎の意思に沿っているのかどうかわからない。そういう使い方は故人に失礼だ。

 で、今日のカバーズだ。

 1曲目は「明日なき世界」、バリー・マクガイアのEve of Destructionのカバー。「おまえは殺しの出来る年齢/でも選挙権もまだ持たされちゃいねえ」とくる。

 2曲目は「風に吹かれて」、ボブディランのblowin' in the windのカバーである。「どれだけ遠くまで歩けば 大人になれるの?/どれだけ金を払えば 満足できるの?/どれだけミサイルが飛んだら 戦争が終わるの?/その答は風のなかさ 風が知ってるだけさ」だ。

 3曲目は「バラバラ」、レインボウズのBalla Ballaのカバー。「世界中バラバラ 人々はバラバラ/考えがバラバラ やることもバラバラ」

 通して聴いていると、清志郎なりの警告だったような気がする。当時の僕は若くて、というか幼くて、ガキで、世界は平和で、単にRCの曲が聴きたいというだけだった。発売が中止になった理由に社会的な問題があって、そんなのどうでもいいから作った曲は聴かせろよと思っていた。今聴いて、それはまったくバカだったなと思わずにいられない。それは、今の社会の状況がまさにこのカバーズの警告にピッタシだからだ。

 僕は2曲目の「風に吹かれて」の「その答は風のなかさ 風が知ってるだけさ」が妙に頭に残った。この単純な言葉にはいろいろな意味があるだろうし、いろいろな解釈もされている。僕なんかが今さらだが、聴いていて思った。風とは、社会の雰囲気なんじゃないかと。選挙などではよく「風が吹く」といわれる。郵政選挙の時には「小泉旋風」が吹き荒れた。つまり、風とは、国民の意思なんじゃないかと思ったのだ。そう考えると、世の中にあるあらゆる問題は、国民の意思によってしか決まらないし、その意思が、ひとつの方向に向けて強まった時に風は起きる。311以降初めての総選挙で、僕ら国民の意思というのはひとつの風となって吹くのだろうか?そのことが問われるんだろうなあと思ったのだ。

 その直後に「世界中バラバラ 人々はバラバラ」と来るものだから、頭が痛い。その曲の最後の歌詞は「爆弾がバラバラ 身体までバラバラ WOO!バラバラ」である。そう簡単に、理想など現実にはならない。そもそも人々がみんなバラバラのことを考えていては、風など吹かないのである。それが自由というものの実体なのかもしれないし、それによるメリットも、デメリットも同時に存在しているのかもしれない。

 いずれにせよ、もうすぐ選挙だ。正しい方向に風が吹かないと本当にマズいところに来ていると僕は思う。老いも若きも、正しい日本の、そして世界の在り様を真剣に考えて、自分なりの風を吹かせていかなければいけない。

Sunday, December 09, 2012

自分の意思を表明するということ

 2009年の2月、イスラエルの文学賞であるエルサレム賞を受賞した村上春樹はスピーチでこう語った。「ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。
 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。
 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?」

 当時はオバマ政権誕生直前で、政権移行期の空白期にイスラエルがパレスチナ自治区ガザを空爆。多数の死者も出ていた中の授賞式に村上氏が出席することへの批判も高まっていた。スピーチの中で村上氏自身が「出席するな」と言われたと明かしている。だが村上氏は敢えて出席し、スピーチで意思を表明した。

 日本での総選挙を来週に控え、僕はそんなことを思い出したのだ。

 今回の選挙は実に重要だと感じている。僕らの選択が国の在り様を大きく左右するという実感があるからだ。これまでの政治の在り様、それにまつわる利権の存在、それらに振り回される小さな人々。それが昨年311の震災とそれに続く原発事故でより如実に迫ってきている。なのに社会はそれを解決する方向には進まない。復興という言葉に対する理想型が国民の中で一致せずにむしろ対立しているようにも見える。では心からの理想を復興に投影しているのかというと、そうではなく自らの利益のために復興を利用している人たちの姿も透けて見える。

 僕は、それが「高くて、固い壁」なのではないかと思うのだ。

 僕らは目の前に横たわっている原発事故の収束という大きな課題を解決できずにいるのに、政治は別の命題を表に出して行こうとしているようにも見える。国防軍問題や改憲問題を殊更にこのタイミングで言う人がいる。徴兵制を口にする人もいる。人権を制限しようとする動きも見える。

 第二次世界大戦で日本は敗戦をした。同じ敗戦国家であるドイツでは、国を戦争に導いたナチスをタブーとし、ナチス関係者の罪をけっして許さず、見つけたら墓を暴いて断罪するほどだった。それは国の平和に関するトラウマだったのだろう。絶対にナチスを許してはならない。それがドイツの姿勢だった。日本ではどうだろうか。トラウマがあるとするならば、それは核であり、軍国主義だったのだと僕は思う。だから非核三原則を愚直に堅持し、憲法第九条の戦争放棄を金科玉条のように大切にしてきた。

 それが、今別の風向きに曝されようとしている。

 改憲論自体はあっていいと思う。時代が変わればルールも変わる必要がある。だが、変われば必ず良くなるとは限らない。そして今おこなわれている改憲論のベクトルは、日本を再び軍事大国へと向かわせようとしている。そしてそのベクトルを善しとしている人が増えつつあることも現実で、空恐ろしい。

 世界的な不況の現代である。不況は常に需要を欲する。不況によって醸成された自暴自棄なムードと厭世観が、戦争に寄って生み出される軍需需要を欲しやすくなるのは歴史が証明している。八方手詰まりの政治がそこに向かう可能性はけっして否定出来ない。だからこそ、現在の改憲ベクトルがとても危険で、忌むべきものだと僕は思うのだ。

 
 48歳の僕は、非常にいい時代を生きてきたと思っている。高度成長の中で両親の仕事もそれなりに順調で、特に不自由なく育った。私立の大学にも通わせてもらった。卒業の頃はまだバブルで就職も比較的簡単だった。それは親の世代が戦争を体験し、平和を大切に思いながらこの国を作ってきたからだと思う。政治家だけではなく、普通の人たちがかなり頑張って日本を豊かにし、僕らの世代は恩恵を受けているのだと思う。

 だからこそ、子供の世代にも平和で豊かな日本を受け継がせていく責任が、僕ら世代にはあるのだと考えている。仮に豊かな日本が難しくなったとしても、せめて平和な日本だけは死守しなければならないんだと強く思う。

 埼玉に94歳の男性が無所属で立候補したという。「葬式代としてためていた年金を選挙資金に充てた」と覚悟を口にする。「右傾化する安倍(晋三・自民党総裁)や石原(慎太郎・日本維新の会代表)から『軍』なんていう言葉が普通に出る。橋下(徹・同党代表代行)もムチャクチャ。無条件降伏したのに。日本はどうなっちゃったんだ、という不安がありました」「オレは戦争で死なず、散々いい思いをした。このままじゃ死んでいった仲間に申し訳ない」と。この人が当選するかどうかは判らないし、仮にこの人が1人当選したところで国会を左右できるとは思わない。だが、この人にとっては居ても立ってもいられない想いが突き動かし、今回の立候補になったのだろうと思う。世代は違えどもそれは僕の中にもあるやりきれない想いだ。本当なら僕も立候補したいくらいの気持ちがあるが、現実がそれを許さない。そういう意味でこの94歳男性の行動はあっぱれだと思うし、ある意味、そうしたいけれども出来ずにいる人たちの代弁者であるように感じている。

 この人のように立候補までしなくとも、僕らには1票を投じるという権利はある。それは無料だ。20歳以上の日本人なら誰だって出来ることだ。だからそれをやればいいんだと思う。投票を出来るということは、とても素晴らしい権利なのだ。

 村上春樹のスピーチにあった「壁と卵」の例えは、ガザ地区を包囲している壁のことを指していることは間違いないだろう。ガザ地区を包囲する高い壁はパレスチナ人をその一画に押しとどめている。パレスチナにも言い分はあるだろう。イスラエルにも言い分はあるだろう。だから問題は解決せずに今も国際問題としてそこに横たわっている。その現実は壁によって遮られ、パレスチナ人は自由を欲し、壁に挑む。人々はイスラエル兵に投石を行ない、やがて火炎瓶を投げるという攻撃につながっていく。その投げ手は女性や子供を含んでいた。

 なぜか?そういう手段しかないからである。合法的な方法など無く、だから石を投げることしかできない。自爆テロも行なわれた。それしか方法がないからである。

 村上氏は常にぶつかって壊れる卵の側に立つと言った。僕はその姿勢は正しいと思う。だが、出来れば卵を投げて壊れてしまう前に行動を起こしたいとも思うのだ。

 それは今なら選挙だ。卵を投げる前に1票を投じたい。そのくらいのことを今しておかなければ、子供の世代には本当に卵を、石を、火炎瓶を投げなければいけないことになってしまうんじゃないかという強い危惧を感じている。

 では選挙でどういう票を投じるべきなのだろうか。僕の住む京都左京区は、京都府2区という選挙区である。ここには佐藤大(社民党)、原 俊史(共産党)、前原誠司(民主党)、上中 康司(自民党)の4氏が立候補をしている。これまでは、この中の特定の候補を落選させたいという思いがとても強かった。その人を落選させるために最大の効果を発揮する投票行動は、1位2位を争う対立候補に投票するということがもっとも効果的だと言える。ではそのやり方で投票したとしたらどうなるのだろうか?それは、改憲論を主張する党首を持つ政党の力になるということに他ならない。当初の目的を達成するために最大の努力を払うということは、結局はそういうことになってしまう。

 だが、それでいいのか。もし仮にこの国が軍国主義に傾斜していったとして、今回の投票行動で改憲論を主張する政党に票を投じていたとしたら、後日子供に言い訳できるのか。そう考えていくと、やはり投票というのは単なる戦術などではなく、自分の意思の表明以外のなにものでもないということに突き当たる。

 僕は思うのだ。民主主義というのは多くの人たちの想いに基づいて意思表明がなされる仕組みなのだと。小さな人たちの意思が票という形で表出し、この国の未来を作っていく。僕の想いは小さいが、同じように小さい想いが積み上げられて、大きなベクトルとなっていく。その小さな想いは、小賢しい戦略であってはならない。純粋に自分がこの国が将来どうあってほしいのかという意見であるべきである。そう考えると、嘘つきの党の中心人物や、この国を軍国主義への第一歩に引きずる可能性のある党の候補には絶対に投票など出来ないと思う。他人はどうか知らないが、僕個人はそう思う。だから、その想いに忠実に意思を表明すればいいのだと思う。割と単純なことだ。

 この京都府2区では、以前から応援したいと思っている人の関係者が立候補してくれてはいない。もしそういう人が立候補していれば簡単な選択だったと思う。だがいろいろな事情があるのだろう。今回はそういう簡単な選択が出来る状況ではない。しかし、そのことでいろいろと考える機会になったわけで、ある意味良かったなとも思っている。投票の結果どんな勢力分布になっていくのかが重要なのではなく、自分がどういう人に政治を託したい、あるいはどういう人に政治を託したくないかという、そういう気持ちを大切にして、子供にも胸を張って自分の選択を説明できるような、そんな票を投じればいいのだ。少なくとも今はそう思っている。