Thursday, November 19, 2009

4代目の無邪気な質問



 まあ自民党に手が無いのは判るが、それにしても小泉進次郎に質問させるとは。かつて三回生以下は参加できない総務会で全ての決断を下し、当時まだ若手の岡田克也が総務会開催を阻止しようと人間バリケードを張り亀井静香とバトルしていたような出来事があったなんて信じられない変わりようだ。これを良い方向への変化というべきか、それとも落ちぶれたというべきか、どうなんだろう。

 まあそれでも質問の機会を与えられたことは小泉のせいではないし、その場でいろいろと発言するのは悪いことではない。しかし、よくもまあそんな質問が出来たものだなあとあきれてしまった。まあいくつか質問があったけれども、注目したのは次の2つ。「子育て支援などをやろうとしている民主党は消費税アップをお考えか」というのと「郵政会社の斉藤新社長は天下りではないのか」という質問。そもそも消費税を絶対にやらないと言い張ったのは誰だ?オヤジさんの小泉純一郎その人ではなかったか。彼こそ財政健全化を訴え、地方交付金を含め公共事業の抑制などの政策を協力に推し進めながらも在任中は消費税は上げないと断言した人物である。それは現在の民主党が無駄を削減して子育て支援などを充実させていき、消費税の論議はそのあとだと言っているのと重なると思う。やろうとしている政策の是非はともかく、進次郎氏はその質問をぜひ父親にぶつけ、その回答を国民の前に示すべきだろう。それもしないで民主党に「消費税は上げないのか」と質問するのは順番が違うだろうと思う。

 また、郵政会社の新社長天下り問題。これは天下りであるかないかという点でいえば天下りではないと個人的には思う。その判断はともかく、郵政の西川前社長を指名したのが父親であって、それを辞任に追い込んだ民主党政権、というか亀井静香の行為を小泉進次郎が指摘するのは単なる私怨ととられかねない。それに天下りがどうこうという問題は政治家の世襲とも似た問題である。小泉進次郎が4代に渡る地盤を世襲した行為は様々な形で批判され、それに対して進次郎氏自身がいろいろと説明というか弁解というか、回答拒否で受け流して来た。それは14年民間にいた斎藤次郎が社長になるという行為とさほど変わらないわけで、それを斎藤氏が記者会見で説明というか弁解をしてきたことと、納得度の点でいえばたいして変わらない。目くそ鼻くそといったレベルだ。だから小泉進次郎が敢えてここで郵政人事に付いて天下りだと批判するのなら、自らの世襲についてもう一度説明をしてからでなければならないと思うが、そんなことはしていない。

 まあまだ28歳のボンボンのすることだから多くを期待しても仕方ないし、だからこそそういう新人に質問させた自民党が情けないというか、ダメダメだなあと思う訳だが、それをなんか「若々しくていい」とか言ってもてはやしているマスコミも軽いし情けないし、そのボンボンに近寄って「なかなかいい質問だった」とか言ってしまう菅直人も焼きが回ったなあと思う。無邪気だからいいということではないだろう。そこに日本の将来がかかっているということを、政治家もマスコミもちゃんと理解してほしいなあと、結構情けなく思った。

Friday, November 06, 2009

日本シリーズ


 昨日、一昨日と僕は東京ドームへ行った。巨人対日ハムの日本シリーズを観に行ったのだ。一昨日球場に向かう時は、第5戦で原監督の胴上げが見られると思っていた。疑いはなかった。だが、負けた。第3戦の覇気がなかった。巨人には勢いがなかった。序盤1番坂本2番松本が好調だった。第3戦で小笠原が決勝打を打つための伏線は明らかに彼ら2人だった。粘りの打席。2アウトから坂本がフォアボールを選ぶ粘りが、この第4戦でも活きていた。だが、彼らの出塁を活かすべき3番小笠原と4番ラミレスが不調だった。後半大差をつけられてからラミレスに3ランが出たものの、それはもう遅いよという感じだったのだ。座った席は3塁側のS席で、日ハムファンもそれなりにいて、彼らが声援を上げるたびにこちらの気持ちは萎えていった。そして敗戦。しかも小笠原が1塁を回ったところで一度躊躇して、そのせいで2塁でタッチアウト。巧みな牽制に離塁してしまって刺された木村拓也を非難する声も多かったが、僕は塁間で躊躇した小笠原の方が問題だったと感じた。

 そして第5戦。ゴンザレスはよく投げた。2回の失点も2つのエラーによるものだ。脇谷と小笠原。彼らも一生懸命やっているわけで、それを責めるつもりはない。だがとても嫌な雰囲気を生み出したことは事実で、このまま致命傷にならなければいいなと思いながら見続けていた。回を重ねて8回。チャンスらしいチャンスは殆ど無く、主軸が次々と凡退していく。亀井などはバットを折られ、悔しさでそのバットをグラウンドに叩き付けた。スタンドの気持ちも沈み始めた。僕の席はライトスタンドにほど近い内野で、その辺りは巨人ファンの巣窟といってもいい感じの場所で、だから声援は止まることがなかったのだが、それでもひとつひとつの凡退にざわめきのような悔しさが漂い始めていたのだ。

 8回裏に1点を何とか返したものの、9回表にホームランを打たれる。これでざわめきは絶望感にも似た気持ちに変わってしまった。それでも9回裏に亀井と阿部のホームランで逆転サヨナラ。試合を通してとてもストレスフルな3時間だったわけで、それをたった4球で勝ったからいいじゃないかというのはちょっと納得いかない気もするのだが、それもまあ勝ったから言えることである。勝利が決まった直後の喜びは、ずっと負けていたウップンがあるからこそのものだったのかもしれない。

 8回裏の、スンヨプのデッドボール、鈴木の盗塁、大道の粘りのヒット。僕はこの3つを大きく讃えたい。出場機会の少ない控え選手たちが一生懸命頑張ったことで、この勝利への流れが生まれたのだと思う。原野球は全員野球である。山口や松本やオビスポのように、育成選手から這い上がってきたプレイヤーに日が当たるこのチームが好きだ。今朝のワイドショーではいまだに金満体質のチームが勝って当たり前だとか言っている人もいたが、そんなことはもう過去のことでしかない。あと1勝がとても重くて遠いのも知っている。昨年も第5戦で王手をかけながらも、目の前でライオンズの胴上げを見せつけられたのだから、そう簡単ではないのなんて判っている。だからこそこの勝利を喜びたいし、喜びに浸りたいと思うのである。

 海の向こうでは松井のヤンキースがワールドシリーズを制し、松井がMVPとなった。それも嬉しい出来事だった。ずっと願いが叶わなかった男の、最後の勝負に幸があって良かった。もちろんその陰に多くの敗者がいて、そういうことが、野球というスポーツなのだろうと思う。それは僕らが暮らす普通の社会とまったく変わらないとも思う。

THIS IS IT



 マイケル、すごかった。29日に観に行った。この人にだけ重力が働いていないように感じた。世界中のダンサーがオーディションに集まり、技術もセンスもあるのは当たり前で華がなければ採用されないという熾烈な競争に勝ち抜いた若手たちを従えてマイケルが踊るのだが、呼吸一つ乱していないマイケルの後ろで、肩で激しく呼吸するおにいちゃんの姿がとても印象的だった。マイケルは違う次元にいると思った。一説にはもうあの時点でマイケルは死んでいて、リハをやっているのは別人だと言っている人もいるようだが、もしもそうだとしたら、その別人は独立した方がいいし、自分名義で世に出たらたちまちスターになれるだろう。だがそんなことがないということが、やはりマイケル本人だったということを証明しているのだろう。

 マイケルのすごいのは、ダンスはもちろんのこと、サウンドからショー全体までの細部を全部把握して、イメージできていて、それをスタッフや演者たちに伝えようとしていたことだ。僕はチャックベリーのドキュメント「ヘイルヘイルロックンロール」を思い出した。その映画の中ではチャックベリーのステージをサポートするために駆けつけたキースリチャーズをつかまえて「お前今こんな風に弾いただろう、ダメダメだ、こうやるんだ」と叱る。キースはいうまでもないがストーンズのギタリストだ。それをダメだと一言で片付ける。まあ伝説のチャックベリーだから格上ではあるのだが、それでも初めて見た時には衝撃を受けた。だがそれもステージを自分の理想に近づけるためには当然のことだったのかもしれない。マイケルもプレイヤーたちに演奏の指示を細かく加える。それでプレイヤーたちは安心し、成長する。マイケルのプレイヤーたちはさほど有名ということではなかっただろうが、それはチャックベリーに取ってのキースリチャーズとあまり変わらないことだったのだろうとか、思った。

 スターのショウは規模も大きく、チームで初めて成立するビックプロジェクトだ。監督であっても細部は担当のスタッフに任せてというのが当然で、スター自身はそのプロジェクトに神輿として担がれるということになる。それしかできないのだ、普通は。でもマイケルは細部を自分で作ろうとしている。だからこれはマイケルのショウになるのであり、一つの価値として美しくなりうるのである。僕の仕事でもあるインディーズの世界では、ライブハウスで5曲程度を演奏しているライブが、なんとなく出たとこ勝負でおこなわれているケースが多い。もちろんビジネス規模も違うし、別の仕事をしたりしながらライブの日を休みにするのがやっとという状況だったりするので一概に比較するのはどうかと思うが、だがそれでも、自分たちで決められる部分が相当多いにも関わらずそこに気持ちを傾けることが少ないステージを見たりすると歯がゆい思いをする。そういう意味でも、売れないミュージシャンには特に見てもらいたい映画だなと思った。モノを作るということのエッセンスを感じることの出来る貴重な資料だ。