Monday, January 30, 2012

前へ

ネットでこういう画像を見た。



 「右でも左でもなく、前を選ぶ。」

 素敵なコピーだ。本当に素敵か?だが、心に引っかかったのは事実だ。今度の日曜日が京都市長選挙だ。京都は伝統的に革新が強い地域で、現在も市議会の第2勢力は共産党だ。昔は、京都の人たちはそんなに共産党に票を投じるなんてバカじゃないのかと思っていた。まだ自民党が最強だった時代のことである。

 しかし今、自民も民主もこの体たらくという現実を目の前にして、京都に越して来て始めての選挙で僕はどうすればいいのか正直戸惑っている。今回の選挙ではいずれも無所属といいながら、自民・民主などの推薦を受けた候補と共産の推薦を受けた候補の一騎打ちとなっている。僕の中には共産へのアレルギーがある。冷戦時代に青春時代を送った世代には結構共通する感情なのではないだろうか。まあ他人のことはさておき、僕自身にはそういうものがある。紛れも無い事実だ。そんな僕が、自民民主推薦の候補と共産推薦の候補が出ている選挙で、なぜ悩まなければいけないのか。そのことに強い憤りを覚えてもいる。なんでだ。なんでなんだ。

 そんなところに「右でも左でもなく、前を選ぶ」である。これには正直ガツンとやられた思いだった。

 門川氏という人と、中村氏という人と、その人物のことなどはほとんど知らない。知っているのはどこが推薦しているのかということだけだ。それで選ぶということは、冷戦以前のイデオロギーを選ぶということに他ならない。ベルリンの壁が崩壊して20年以上が過ぎているというのに、それなのに僕らの多くは東西冷戦のイデオロギーを軸にして何かを決めようとしている。本物の壁はとうに崩壊しているというのに、僕らの心の中にはまだ固くてしぶとい壁が立っているのではないだろうか。恐ろしいことだ。だが、三つ子の魂百までだ。なかなか変わらない。そう簡単なことではないのだ。だから悩む。20年以上前の価値観と、現実の目の前の出来事。それが交錯する時に、なにを選ぶべきなのか、何を捨て去るべきなのか。簡単なことではない。口では守旧派とか既得権益打破とか言っているくせに、心の中の価値観はそう簡単に変わるものではないのだ。

 そんなところに「右でも左でもなく、前を選ぶ」である。このポスターは京建労左京支部というところが作ったものである。ここのHPを見ればわかる通り、この団体は中村氏を支持しているようだ。このポスターには誰に入れろとか書いていないし、そもそもどこが作ったポスターなのかも書いていない。投票へ行こうU45プロジェクトとだけある。現在多くの選挙で、年寄りはほとんど投票して若者はほとんど投票しないという傾向が強い。そういう傾向によってどの党が有利とかどの候補者が有利とか、そういう傾向も分析によって顕著に出る。だから中村氏を応援する勢力にとっては、若者の投票率が上がることが有利に働くという分析結果が(僕には正確なところはわからないけれど)あるのだろうと思うし、だからこのようなポスターやキャッチコピーが展開されているんだろうと思う。

 以前なら、姑息だなと思ったりもしただろう。しかし、今回ばかりはそれを姑息などと思わない、思えないのだ。なぜか。それは国民が投票に行くのは至極当然のことだし、理想としては全有権者の投票によって出た結論が民意であるし、だから一人でも多くの人の投票を呼びかけるのはまったく正しいことだからだ。そして、20年遅れの右対左というイデオロギーを軸に未来を語ることもまったくのナンセンスなのだ。そのことを呼び起こしてくれるこのポスターは、実に清々しい気持ちにさえさせてくれるものだったのだ。

 前回の衆議院選挙では、僕は東京1区の有権者だった。民主・海江田万里vs自民・与謝野馨の選挙区だ。結果としては海江田万里が当選し、与謝野馨は比例で復活した。しかしその後与謝野は自民を離党し少数政党に参加し、あろうことかそこも離脱して菅内閣で大臣になった。海江田も与謝野も大臣だ。では東京1区の有権者は何を選んだのだろうか?選択権など無かったも同然ではないか。そんな姑息な政治行動をたくさん見てきた。その結果こういう時代の絶望的な状況が広がっている。

 冷戦イデオロギー時代に盛んに言われてきたのは、共産党や社会党に政権を渡したらソ連のような社会主義国家になる、全体主義国家になるというものだった。それは恐ろしいなと思った。秘密警察にシベリア送り。ソルジェニーツィンの本を読んだだろう。自由なんて無い社会になったらおしまいだと思った。だが、ソ連は崩壊した。で、日本は世界でもっとも成功した社会主義国家と揶揄されるようになった。あれだけ左翼批判していた自民党が社会党党首を総理大臣に担いだ。秘密警察なんかではない、日本の司法制度が決して公平公正ではないということも周知の状況になった。鈴木宗男も収監された。ホリエモンは今も塀の中だ。小沢一郎起訴され係争中である。僕らは何のために共産党を恐れ、アレルギーを抱えていたのだろうか。その代わりに選んできた政治は何を僕らに与えてくれたのだろうか。何のためだったんだろうか。

 ちょっと前の大阪市長選。橋本市長が当選したわけだが、橋下氏が優れているのかどうかはまだ判らない。だが、前に行こうとしているのはよくわかる。激しい非難やスキャンダルまで登場して彼の当選を阻止しようとしている勢力があるのも知っている。僕が思うに、彼らは前に行ってもらっては困ると思っているんだと思う。前に進むというのは、未知の世界に進むということである。それは誰もが恐い。先日の朝まで生テレビで橋本市長と対決していた人たちの話を聞いていると反吐が出た。要約すると「大阪は東京と競争なんてしたら疲れるから止めておこう」である。なんだそれは。そうして停滞すればいいと思っているのか。それでは確実に日本は沈む。そんなことでいいわけがない。今の悪い何かを改善していかなければ、多少の痛みを伴ってでもそうしなければ、この社会は腐るのだ。もちろん一歩前に何があるのかなど誰にもわからない。橋下氏の描く未来が誰にとってもバラ色であるわけが無い。それでも進まなければ仕方ないのだ。民主は小沢氏の動きを封じて官僚の言いなりになりこれまでの社会を維持しようとしている。自民は単に民主の反対をしているだけで何のビジョンも示さない。もうそんなのにはうんざりなのだ。そこに出てきたのは前に進もうというタレント弁護士だ。タレント議員に将来を賭けるのが不安でないはずがない。それでも、前に進むという選択肢を僕らに突きつけているのは彼しかいないのだ。だから彼を選ぶしかないというのは必然でもある。それを本当に危惧する人は、彼の足を引っ張ることではなく、彼を超える明快なビジョンをもって対抗する以外にはない。だが、政治のプロフェッショナルである人たちが軒並み対立候補の陣営を押した。徒党を組んで反対に回り、これまでのやり方を踏襲するのがいいと言った。これでは闘えないよ。仮にその結果がファシズムになったとしても(絶対にそうはならないと確信するけど)、ファシズムに導いているのは単に橋下氏の維新の会だけなのではない。それへの明確な対抗軸となる「前へ」向かったビジョンを示せない既存政党にもその責任の一端はあるのだ。

 来週の京都市長選に戻るが、過去の歴史でも10年を超える革新系市長がいた街で、今回対決する右対左。そこに維新が候補を出していたら間違いなく雪崩を打っただろう。しかし現実はそうではないのだ。やはり右対左が対立する今回の選挙で、僕はいくつかの公約を見ながら、自分なりの答えを出そうと思う。今、いくつかの論点において後出しでそのことを言い出したとかいう感じの論戦になっているようだ。先に言った後から言ったという問題は確かにある。だが先に言ったからといってそこに実行力があるのか、それが問題になる前からの持論だったのかなど、単純に言葉だけで信じられるわけではない。マニフェストとやらがいかに簡単に反古にされるのかはこれまでの経験で嫌という程思い知らされてきている。だから簡単に言葉の上っ面で選ぶということではないよ。簡単じゃないね。でも、それでも僕らは何かを選ばなければいけないのだ。選ぶということで、次の発言権をようやく得られるんだと思う。そうじゃなければ、この街が、この国が、どのようになったって文句など言えない。白紙委任した人に発言権なんてあるわけがないのだ。

 だから、僕は何かを選ぶよ。それは古くさいイデオロギーなんかを振り払った現代の価値観で、右でも左でもなく、前を選ぶということだ。100%の前進でなくても、ちょっとだけでも前に進みそうな何かを。このポスターを作った団体の思惑に載せられることも無く、でもこのポスターにあるキャッチコピーの精神だけは尊重しながら。

Friday, January 27, 2012

土地に縛られるということについて

僕はこのテーマについてこの半月ほどいろいろ考えて、何度か文章を書いては途中で違うなと感じ、自分の文章力の無さに、そして自分の考えを整理する力の無さに、ほとほと愛想が尽きかけている。だがきっとそんなに簡単に納得できる文章になるとは思えないし、それにばかり拘泥していても前に進めないので、とりあえず書き終えてみたいと思っている。だから、いい加減で中途半端なことになってしまうだろうが、それは仕方のないことなのだ。そのことを予め断っておきたい。反論やツッコミは多いに結構。ただ、突っ込まれたところでちゃんと返す自信などさっぱりないんだということは、断っておきたい。


 さて、どういうことかというと、福島での放射能汚染のことだ。僕ははっきりいってあの場所で生活をするのは危険だと思っている。その福島の人たちには同情の念を持つものの、じゃあ何が出来るのかというと何も出来やしない。自分のことで精一杯だというのが正直なところだ。このことを言っておかないと、何を言っても空言のように自分で感じて、それで文章は止まっていたんだと思う。

 で、福島が危険だと思いながらもそこに住んでいる人たちというのは沢山いるんじゃないだろうかと想像する。その人たちはいろいろな理由で移動できずにいるのだろう。仕事の問題、経済の問題ももちろんあるだろう。それ以外に、土地というものの魔力もあるんじゃないかなと、僕は感じている。

 福島以外の人たちが、福島の人を支援したいと言っている。その支援の仕方は様々だ。作物を食べて応援、産物を買って応援、除染で応援、寄付で応援、いろいろだ。本当にいろいろだ。僕なんかが把握していない方法もきっと沢山あるだろう。だが、福島の人が他所に移り住んだとした時に、その場所は彼らを受け入れるのだろうか。いや、それはかなり難しいのではないだろうかという気がするのだ。

 受け入れるというのは、単に住ませてくれるかどうかではない。そこで生きていくための、コミュニティに参加させていくかということである。知らない土地にいけば、土地勘もないし、言葉も違う。基本的な生活をするための基本知識が決定的に欠けている。友人だっていない。そういう人が自分の街にやってきた時に、孤独を感じさせず、疎外感を感じさせず、スムーズに社会に溶け込んでいくための配慮ができるのかということだ。「軒先に住みな、その先は勝手に努力しなよ」というのでは、生きるための条件にハンデがある。

 これは結婚なんかにも似ていると思う。子供が結婚した時に、親はどういう態度を取るべきなのか。娘に旦那がやってきた時に、その旦那を「娘の旦那」と捉えるか、「自分の息子」と受け入れるか、それによって親子関係はまったく変わってくるだろう。娘の旦那と思っている間は、まだまだ受け入れていないのだと思う。自分の子供なら、多少の欠点どころか大きな問題を抱えていても自分の問題として一緒に悩めるだろう。しかし娘の旦那と思っている間は、大切な娘を幸せにしてくれる完璧な存在でなければ許せない。その差は紙一重のようで、実際は宇宙の果てくらいに遠い距離だ。もちろん娘の旦那としては欠点のない完璧な旦那になれるように努力すべきだが、いくら努力しても人間は完璧になどなれない。その僅かな瑕疵を批判されるようでは、やはり親子関係はうまくいくはずなどない。土地が他所者を受け入れるというのは、東京のように街全体が無関心の街になるか、そうでなければ他所者をその街で生まれた人と同じとして受け入れるかどちらかだ。大都会東京でなければ前者になることは不可能だ。だとすれば、後者以外には有り得ない。それは実はとても難しいことなのだと思うし、今僕らが絆なんて言葉を簡単に使うのであれば、その難しいことを覚悟していくより他にはないのだと思う。

 平時であったら好きなところに移住するのは個々人の勝手であるから、慣れない土地に順応する努力は各自が行なうべきである。しかし、今は平時ではない。では数百万という人たちが福島を離れてきたとして、自分の街にやってきたとしたら、その時に自分たちは街を挙げて受け入れることが出来るのか、その覚悟があるのか。それは、どの街にもきっとないのだろうと思う。食べて応援は、今居る場所でこれからも作物を育ててねということである。産物を買って応援は、今居る場所でこれからもものを作り続けてねということである。汚染されたその場所でこれからも暮らしなさいである。異論が沢山あるのは承知だ。僕もそれほどに原理的にこのことを言っているのではない。しかし、根本的にはそういうことがあるのではないかということは、実際に思っている。火事が起きている家の人に消化器を送ったりするのは、それで消せよということであって、逃げろではない。燃えている工場の従業員に「製品を買うから頑張って」というのもやはり「逃げずに物を作り続けろ」である。安全な場所に避難しろではけっしてない。

 火事が起きている家の人には、とにかく今は逃げろというべきだと思っている。その家には思い出がたくさん詰まっているだろう。子供の身長が刻まれた柱があるだろう。先祖の仏壇があるだろう。記念写真も沢山あるだろう。それらがすべて燃えたとしても、人の命が優先だ。それを取りに炎の中に飛び込もうとする人がいたら、羽交い締めにして静止するのが誠意だ。大津波で仏壇の位牌を取りに行った人がどうなったか、僕らはみんな知っているはず。だが、放射能汚染についてはなかなかそういう世論にはならない。むしろ火の中でも暮らせるように防火の服を送りますよっていう印象だ。

 なぜか。それは僕らが今燃えている家の住民を自分の家に避難させる覚悟など持ち合わせていないからだ。

 あくまで、放射能汚染は福島だけのことだと思って、あちらの火事、こちらは燃えていないと理解している人がいる。その一方で、汚染は福島に留まっているのではない、すでに今この場所も燃えているのだと理解している人もいる。そういう理解の違いが、人々に対立を生んでいるように思うのだ。

 先日、僕は知り合いに自分の食べようとしているものを勧めたことがある。僕自身はかなり食べ物にも気をつけている方だと思っている。だから自分の食べているものはかなりの確度で安全だと思っている。しかし、その人は怪訝な顔をした。安全だとは思っていなかったのだ。その時に、僕はかなりハッとした。これが、理解の違いなのだ。

 僕の基準では、それは安全な食べ物だった。しかし、その人にとっては不安な食べ物だったのだ。僕はその怪訝な顔を見て、一瞬ムッとした。自分自身が信用されていないような気分になった。しかしすぐにそれは違うんだと思った。なぜなら、安心を感じる基準や情報というものは人によって全部違うからだ。僕が食べない食品を食べている人もいる。その人は僕の態度にムッとするのだろう。なんてやつだと思うのだろう。思われたからといって、自分がそれを食べるつもりもないし、義務もない。自分は自分で考えて行動するしかない。強制される謂れなどはまったくない。だとしたら、別の誰かが自分が食べているものを食べようとしないからといって、そこに対してムッとするのは完全に間違いだ。だがそういう体験を身近な人との間でしないとそのことがわからない。わからないと、結果的に間違った行動や態度を取ってしまう。取った後もまだそのことが間違いであることにさえ気付かずにいる。それが、覚悟のない状態なのだと僕は思う。いろいろな人の多様な価値観を認めるというのは、ともすれば自分の価値観を否定することにもつながるような錯覚を覚える。だから難しいのだと思う。

 絆は、いい。だがそれが多様な価値観の存在を互いに認め、それぞれが尊重し合っていくということをすべて取っ払って、たったひとつの価値観をすべての人に強制するようなことであったなら、それはやっぱり間違いなのだと思う。もちろん情報の不足によって誤った判断をしてしまうことは誰にもあるし、それは価値観ではないから話し合うことで共通理解を深めればいい。黒いものは黒いもの、白いものは白いものでいいのだ。しかし、最後の最後で個々が価値観によって判断すべきことというのは絶対にある。この犬が可愛いか可愛くないのかは判断である。ジェットコースターが恐いのか恐くないのかは判断である。安全とは別の恐怖というものがあって、恐怖するかどうかは個々の自由だ。それをも強制するのは、もはや文明社会のやるべきことではない。絶対に違う。

 
 結局、何が何だか判らなくなってきた。この半月ほどこういうことの繰り返しである。でも続けよう。そしてそろそろまとめよう。次に進むためだ。


 先日、あるつぶやきが目に入った。「「福島と東北だけ勝手に滅んでください」にアカウント名を変えたらどうですか。」というものだ。それなりに著名な編集者のツイートだ。瓦礫の処理を全国の自治体が受け入れていることに懸念を持っている人の「日本国土全体、日本人全体に放射能のリスクを均等に被れということでしょうか?乱暴では?」という言葉に反応したものだった。

 どうしてこんな対立が生まれているのだろう。僕はそのことが気がかりなのである。

 処理すべき瓦礫は福島のものだけではない。むしろ岩手や仙台の海岸近くでの瓦礫が問題になっていて、多くは放射能汚染されているわけではない。だから安心だと多くの人がいう。それはその通りだと思う。しかし、では100%安全なのかというと、その保証はどこにもない。だから多くの人が反対しているのだ。処理場で燃やすと濃縮され、放射性廃棄物になるという。関東の処理場でもそういう廃棄物が溜まって、どこにも持って行くことが出来なくなって、今後処理を続けることも難しくなっている施設があるという。そういうニュースを見るにつけ、関東でそれなら、瓦礫がそうじゃないと誰がいえるんだという不安は当然のことだろう。燃やして、廃棄物はどうするんだとか、煙となって漏れるんじゃないかとか、不安は多い。

 それでも瓦礫はどうにかしなければいけないのだろうし、だから全国の自治体が処理を引き受けるということなのだろう。それを拒否する人に対して、件の「「福島と東北だけ勝手に滅んでください」にアカウント名を変えたらどうですか。」という発言につながるんだろうと思う。要するに、その編集者は「瓦礫を福島と東北に押し付けるな」ということなのだろうと思う。だが瓦礫を懸念している人たちは「瓦礫を全国に押し付けるな」ということで懸念しているのである。要するにどちらも同じ。どちらかが正しくてどちらかが間違いなのではない。事実認定ではなく、価値観でもなく、それ以前の、堂々巡りに過ぎない。それが起きているのは、福島という土地を福島の人だけのもので、福島の人は福島という土地にしか住んではいけないという固定観念があるからなのではないだろうかと、僕は思うのだ。

 ある家が火事で燃えたら、そこの住民を隣の家の人が助けてもいいだろう。地震で多くの家が倒壊したら、地域の体育館に避難して、自治体がサポートするだろう。では県単位で被災したら、そしてその被災は簡単に元に戻る種類のものではなかったら、その人たちはどこでサポートするべきなのか。僕は、それは日本全体で引き受けるべきだと思うのだ。瓦礫を受け入れて全国的に汚染を広げるのではなく、今福島やその他の汚染が深刻な地域にいる人たちを、安心してくらせる場所に受け入れるということ。それが簡単じゃないのはもちろんだ。残りたいと本気で思っている人たちは当然残ればいいと思う。しかし、その人たちが残るために一定規模の人が生活してものが流通することが必要だからといって、不安な人をそこに留めるのは間違いだ。そして、移り住んだ先でもそれまでとあまり変わりなく生きていける環境を、全国の人たちがどうやって作っていけるのか、そのことが問われているんじゃないかと思うのだ。それはとても難しいことで、実現困難なくらいに妄想に近い理想に過ぎないから、結局ほとんどの人が放射能のことから意識を逸らしてそれまでの暮らしを続けるしかない現実があるのだ。だから瓦礫も全国に広がって、多少の別はあれ、汚染も全国に広まってしまうのだと思う。

 そういう現実とは、自分が別の立場になった場合はどうなんだろうかということについての想像力が欠如しているという、そのことの現れなのではないだろうか。

京都、カフェの旅

僕は京都が好きだ。一昨年までは年に5回ずつくらい旅行で訪れていた。それが昨年から京都に引越すことになった。引越はけっしてすべて理想的なことではないし、引越しなくて済むのならそれに越したことはなかったと今でも思う。だが、その結果いま京都で暮らせているというのは、とても幸せなことだ。

 旅行で来る時には、どうしても寺社仏閣などの観光地を巡ることになる。何度来てもすべてを回ることなど不可能だ。そのくらいに京都は広い。いや、街としてはそんなに広いところではない。しかしその中に見るべきものが沢山あり過ぎて、そしてそのどれもが季節によって表情を変えて、だから同じ場所を何度訪れても初めてのような気分になる。それは尽きることもないし、飽きることもないね。

 しかし、京都の魅力は神社仏閣だけにあるのではない。本当にいろいろだ。そんな言葉でまとめるのはどうかと思うが、要するにこの街の文化が魅力なのだ。一乗寺にある恵文社という本屋さんは日本中にファンがいるらしいし、世界の魅力的な書店ランキングベストテンにも入るそうだ。実際に行くと、それまで行っていた本屋って一体なんだったんだろうと目からウロコになる。そこは特に有名なのだが、他にも魅力的な本屋は沢山ある。映画だってそうだ。マイナーな作品をやってくれる映画館もいくつかある。東京と較べたら数は少ないが、人口比で考えたら、破格の多さだと思う。中古レコード屋も思いのほか多いし、ライブハウスも沢山ある。街の中でそういう文化的な場所がとても多く、それは京都の人の中にある文化の幅がそういう状況を生んでいるのだろうし、そういう場所の多さが、今度はまた京都の人の心を育んでいくのかもしれない。昨日今日ここにやってきた他所者がこんなことを言うのはエラそうで申し訳ないが、他所者だから感じられることというのもあると思うし、そういうものだと読んでもらえれば幸いだ。

 で、そんな文化を象徴しているものに、カフェがある。

 旅行で来る時には、カフェは休憩に立ち寄るところであり、一部の有名店を除けば目的の場所ではない。目的にもしていないお店になんとなくブラリという感じにはなかなかならないし、そういう場所で時間を忘れて本を読んだりということもしない。だって旅行中は時間が貴重なのだ。いろいろなところを見て回りたいのだ。カフェで本を読むなんて、家に帰ればいくらでも出来るのに、なんで交通費と宿泊費を使ってやってきた場所で本を読まなければならないのだ。そういう雰囲気が旅行にはある。何も考えずにゆっくり過ごす旅もしたいが、まだまだそんな余裕を持てるには時間がかかりそうだ。

 しかし、京都に引越してきてから、状況は変わる。僕には時間があるのだ。いや、もちろん仕事をしなきゃいけないから、限られているといえば限られた時間だけれど、旅行中のようなスケジュールに追われているわけではない。一日の仕事の終わりにカフェに寄って息をつく時間くらいはある。昼食をとりにカフェに行くこともできる。そうして今、僕は京都でカフェを巡っている。

 京都のカフェは実に多様だ。東京にいた頃には、カフェといえばスタバにドトールにタリーズだった。チェーン店的な展開をしなければやっていけないんだと思う。それほどに、東京は家賃が高い。そもそも客単価が低いビジネスで、家賃が占める比重というのはかなりのものだ。自分でもカフェを4年ほど経営したことがあるのでそれはよくわかる。ビルのオーナーに家賃を払うために日々苦労していたような気がしている。カフェをやるのは楽しいことだったが、それでも利益がなければやっていけない。

 京都の家賃がどのくらいなのか正確なところは知らないが、オフィスの賃料などを考えても、かなり安いという実感がある。それが京都のカフェにゆとりを与えているんじゃないかという気がする。なにより驚いたのは、空間の使われ方がかなり贅沢だということ。東京で5席作るところに3席程度しか配置されていない。それでやっていけるのだ。とても興味深かった。僕ももし京都でキラキラカフェをやっていたなら、もっと長く続けられたのかもと今は思っているくらいだ。

 そして、カフェのスタイルも幅が広い。出てくる料理もいろいろだし、ドリンクだっていろいろだ。それが街の中にたくさんある。毎日新しいところを発掘してもまだまだ行ききれない。だから毎日が発見だ。こんなカフェがあるのか、あんなカフェもあるのか、神社仏閣の多さどころじゃないくらいにいろんなお店がある。どれも個性的。面白い。

 僕はこういう日々を、新たな旅だと感じている。たまに訪れる観光旅行ではカフェを極めるなんて考えることさえ不可能だ。でも、住むことになったので、なんとかできるんじゃないかって気になっている。神社仏閣で御朱印を集めるように、いろいろなカフェに行っては発見をする。とても贅沢なことだと思う。

 そんな中で僕が今お気に入りのお茶スポットを2ヶ所だけ紹介したい。ひとつは、寺町御池の上島珈琲。UCCの上島珈琲だ。なんだチェーン店かよって思われるだろうが、ここが実に心地良い。真ん中に壺庭が在っていかにも京都的だ。京都の古い町家を使ったカフェも沢山あるけれど、それ以上に京都的な気がするのだ。壁にはジャズのLPが飾ってあったりして、古い京都と文化的でモダンな京都が混在しているようなのだ。チェーン店でもそういうテイストを普通に持っているんだなという驚きをくれたということで、僕はこの店が大好きなのだ。会社のすぐ近くでもあるし。

 もう1つのお茶スポットは、東福寺開山堂の庭だ。ここはカフェではない。紅葉で有名な東福寺の、そして重森三玲のモダンな庭で有名な東福寺の、ここはどちらでもない奥の建物の庭なのだが、だから訪れる人も少なく、ここの縁側に座って本を読むのが僕の至福の時なのだ。ペットボトルのお茶を持参して、ときどき飲む。飲食禁止なのか? それはよくわからないけれど、誰にも怒られたことないし、まあいいか。

 もちろん京都にしかなくて、京都っぽくて、有名なところなんかも沢山ある。三丘園、月と六ペンス、KAFE工船、ラ・ヴァチュール、トラクションブックカフェ、いろいろある。スマートコーヒーにフランソワにソワレに、あとなんだっけ、とにかく沢山ある。栖園のようなお菓子屋さんのお茶どころもあるし、青蓮院門跡などのお寺で庭を眺めて抹茶をいただくのもいい。時間もお金もいくらあったって足りやしない。旅行で立ち寄るくらいではカフェを巡るなんて絶対に無理だとあらためて思う。

 そんな中で、僕はあのイノダコーヒーには立ち寄らなくなってきた。京都を初めて旅してた頃、ガイドブックには必ず載っているイノダコーヒー。確かに京都カフェの中心的存在なのだろう。何度か行って、独特のコーヒーに面食らったことがある。でも今はそこには行かない。目の前を通っても通り過ぎるだけだ。だって、他に沢山あるのだから。行っても行っても尽きないカフェの中で、なぜまたイノダなのだという感じなのだ。

 しかし、前を通り過ぎる度に目に入ってくるのは、そこで新聞を読みながら過ごしているおじさんたちの姿だ。フルーツサンドなんかを食べながらイノダで過ごしている。他のカフェなんて目にも入らないのだろう。自分はイノダだと決まっているのだろう。そういうのに、なんか憧れる気持ちもちょっとあるのだ。完全に地元に溶け込んで、自分のお気に入りの場所を見つけて、そこ一筋で通っている。そういうのはなんかいいと思う。浮気もせずに奥さん一筋みたいで、カッコいいじゃないか。僕もいずれは、イノダに通うようなジイさんになりたいと思う。それは別にイノダコーヒーでなくてもいいのだ。自分だけの「イノダコーヒー」的などこかを見つけて、もうずっとそこばかりという感じの。それまでにはたくさんのカフェに行って、本当に好きになれるところを見つける日々が必要なのだろう。

 そんな、京都カフェの旅。実に楽しくて、幸せな日々だ。

Monday, January 09, 2012

東京の空

昨日から今日にかけて、東京に行ってきた。正味27時間の東京行き。

 毎年やっている新年会に出るためだった。この新年会はここ数年僕が幹事で続けているもの。大学の語学クラスの友人数人で集まる身内の会。仕事でモスクワに赴任している友人が帰ってきているのでそのタイミングに合わせる。今年はfacebookなどで連絡が取れるようになった旧友も数人追加して、7人が集合。そのfacebook上でなぜかその語学クラスのグループページが出来て、そちらで別の旧友が同窓会を2月にやるよと言うことになった。基本的にそういう流れになるのはいいことだと思う。旧交があたたまるのは悪いことではない。だが、それは2月の開催で、僕が企画し続けているのは1月。モスクワから一時帰国する友人に会おうというのがひとつの趣旨なので、合同のものにするわけにもいかない。かといって、あちらが2月でこちらが1月になると、参加者は分散してしまう可能性もあるだろう。結果的に2月の会の足を引っ張るようなことはしたくないのだ。ちょっと困ったなという感じだった。

 で、僕はいつも新年会に来ている面子と、2月の会のことを知らない時期に声をかけていた面子だけを誘うことにした。かといってある程度連絡を取ろうと思えば取れる相手にまったく知らせずに一部だけで集まっていると思われるのもイヤなので、会の前日に、場所を明記しない形で参加を呼びかけてみた。まあそれは僕の言い訳のような呼びかけだった。幹事というのはけっこう気を遣って、みんなの都合も考えるし、会場をどうしようかということも考える。だけどそれは幹事が過剰に思っているだけで、実際はみんなそれぞれ自分の都合で生きていて、参加も不参加も自分の都合だ。それを非難しているのではない。それが当たり前で、幹事の思いというのは大抵いつも余計なお世話、取り越し苦労に過ぎない。それに2月の話も絡んできて、ああなんか面倒くさいなあ、新年会で会ったら2月の時に再開の感動も薄れたり、新年会で集まったヤツとそうでないヤツでなんか溝が出来たりしないかなあとか、まあ自分勝手な妄想で気苦労をした。面倒な性格だよ、オレ。

 結果、当初の面子だけの集まりで新年会は行われた。僕の気苦労なんてまったくどうでもいいくらいに、みんな普通に楽しんでいた。それでいいよ。楽しかったね。2月にまた東京に来ることは出来ないけれど、皆さん楽しんでやってください。会の最中に写メとか送ってくれたら嬉しいよ。


 明けて今日。バンドとのミーティングなどをした後に別の友人に会いに行った。それは大学時代よりもはるかに昔からの、もう40年になる付き合いの友達。会いに行った先は国立病院の救急病棟だ。

 大晦日に彼は倒れたらしい。正確には激しい頭痛を感じ、かかりつけの病院に行き、そのまま大学病院に搬送されて入院。くも膜下出血だった。僕はそのことを初詣先の神社で知らされた。共通の友人との電話で、7日には東京に行くことを告げると、是非その時に一緒にお見舞いに行こうと誘われた。彼は元旦から入院先の病院で、倒れた友人と、その家族のケアをしているという。金曜と土曜は仕事でどうしても都合が付かないけれども、それ以外は毎日見舞いにいっているらしい。

 その彼の車に乗って、入院先の病院に。くも膜下という言葉の響きから想像するのは即命に関わる重症ということ。でも、ベッドの上の友人はケロッとした顔つきで、言葉によどみがある感じも一切なかった。僕が来たことを喜んでくれて、1時間半くらい話し続けた。話す内容は実にくだらないこと。身体に何本もの管がつなげられていなければ、ここが病院だなどと感じることは一切ないくらいの、そんなたわいない話。

 そんな話の中で、12日の手術で、最悪もう戻って来ないかもしれないから、その時は盛大な会で送ってくれなどと言う。そういうことを笑って喋る。僕はどう答えればいいのだろうか。僕は、自分の手術の時の話で切り返した。その手術は手首の骨折を元に戻すためのもので、命に関わるようなものではなかった。しかし全身麻酔をすることになっていて、その麻酔にミスがあれば、最悪そのまま意識が戻って来ない可能性があると言われ、同意書にサインを求められた。そんなミスはほとんど無いのだろうが、それでも最悪のケースを予測して、そうなったとしても文句を言いませんという書類にサインをするのはけっこうヘビーなことだ。だから、「わかるよ、俺もサインするのイヤだった」とかなんとか話した。でも友人の手術はくも膜下だ。脳の手術だ。手首の手術とは訳が違う。リスクは麻酔だけではない。そんなことは僕もわかる。だが、そういう以外になんと言えというのか。言葉にはしないが、友人自身だってそんなことは当然わかっている。わかっているから、笑顔でそんな軽口を叩くのだ。

 1時間半ほど話をしたところで、僕ら2人は病室を後にした。残された友人はまだ話を続けたそうだったが、たくさんの管につながれている状態で、話をするのも負担になる。疲れは表情に現れていた。この辺が帰るときだ。そんなことも、僕ら3人にはわかりきったことだった。


 有意義な東京行きだった。結局は、友達に会っただけの、そんな東京だった。でも、友人に会うということは、人生の中のかなり大きなことだと思う。そのために、僕らは生きているんだ。



 帰りの新幹線の中、僕は前野健太の歌を繰り返し聴いていた。曲のタイトルは「東京の空」。前野健太というシンガーは、京都のお寺でのライブで初めて見たのだ。その時、「鴨川」という歌に感動した。当時の僕は東京に住み、京都に憧れているだけだった。「鴨川」という歌は、深夜バスで東京から京都に行く光景を軸に、人間の彷徨うような在り様を歌った歌だ。雨が雪に変わり、雪は川に変わり、川は何に変わるのだろう。そんな歌詞に人生を投影した歌だ。僕は京都のお寺で初めて聴いた時にはそんなことまで感じていなかった。CDで聴き込み、吉祥寺で見たライブで本当に理解したように思う。

 その半年後に僕ら夫婦は京都に引越をしたのだが、引越をしてすぐに、彼が京都でワンマンライブをやると聞き、二人で観に行った。そのライブのアンコールで歌ったのが、この「東京の空」。サビのフレーズで「東京の空はただ青かった」というのを繰り返すバラード。27年東京に住み、きっと東京で一生を終えるだろうと思っていた、そんな街が東京だ。そこから離れて、なんの思いももうそこには残してなどいないと思っていた矢先に聴いたその歌。ずっと前から知っていたし、確かにいい歌だと思ってはいたものの、所詮単なる普通のいい歌に過ぎなかった。なのに、まったく違った歌に感じた。27年暮らしていた東京の空が青かったなんて印象はほとんどない。むしろ少し薄暗いような、そして夜は星なんて見えるはずもない、そんな薄霞に覆われたようなイメージしかなかった。なのに、僕の心の奥が感じていたのは、まさに青い東京の空だった。もちろんそれは実際の東京の空ではない。離れてみて、東京のそらは青さで輝いているように思えたのだ。そのことに気付きもせずにいたのに、歌にそのことを突きつけられた。

 空が青いというのは、単純に見れば希望のイメージだ。しかし東京の空が青いというのは、そんなに単純なものではない。単純ではないから歌に気付かされるのだろうし、ここで簡単に言葉で説明することも出来はしないのだ。

 それでも無理矢理に言葉にするなら、それはたぶん諦めの青なのだろう。いろいろな夢を東京は呑み込む。そこに住む人は、これから夢を見る若者と、夢を諦めかけている人。諦めれば、夢の街東京を離れればいい。しかし、離れるのは無理なのだ。夢を諦めた人に、今度はまた別の種類の夢を見せつける。本人が思いもしない幻想を人に植え付け、本来ならば下ばかりを見て過ごすような人の顔を無理矢理に上げさせ、茫漠とした未来に向かわせる。そんな種類の夢を絶えず繰り出してくれる街、それが東京だ。東京の青い空は、決して希望ではない。かといって、絶望などでも決してないのだ。絶望などしなくても生きていける、表舞台とはかけ離れた隙き間のような場所が無数にあって、そこにいつのまにかスーッと収まってしまう。その懐の広さが、人々を捉えて離さないのだろうと思う。僕はその場所から一旦離れた。そのことに悔いなどない。未練もまったくない。だが、今回東京という街に再び一人で訪れて、心に風が吹き込むようなうら寂しさを、新宿の街中で強く感じた。溢れるような人の多さは、京都の祇園祭宵山かと思うくらいだった。しかし宵山の四条通にあるような祭りの雰囲気ではなく、一人一人がまったくつながりを持たないような個の群れが新宿だ。何かが決定的に違う。そういう個の群れというのは、その言葉だけを見ればマイナスのイメージを持つ人も多いだろうが、実はみんな個であることを楽しんでいる、自覚的に楽しんではいなくとも、けっして居たたまれないような不快感など持ってはいない。そういう積極的な個の群れなのだ。独立して、心地の良い個たちの集まり。でも、きっとさびしいという気持ちは、無意識であるかもしれないがみんな持っているように感じる。

 それが、東京だ。大都会東京。メガロポリス東京。世界的な都市東京。その東京の空に、人々は吸い寄せられる。そのことに、僕はある種の驚きを抱いた。離れることによってその魔力のようなものを初めて理解した。そして再び訪れてみて、その魔力とは結局一体なんなんだろうということに、また迷いを感じ初めてもいるのかもしれない。

 京都に帰る新幹線の中で、僕はその歌を繰り返して聴いていた。時速250kmで離れていくその街を忘れるためなのか、それとも忘れたくないからなのか、その理由は今も解っちゃいないのだけれども。

 そうこう書いているうちに日付が変わった。昨日今日の旅は、もう一昨日昨日の遠い過去の旅に変わってしまった。

Thursday, January 05, 2012

2012の抱負

インディーズに出来ることとは一体なんだろうか。

 インディーズというのはメジャーの大局にある存在であり、音楽ジャンルなどではない。すなわち、マイノリティであるということこそ、インディーズそのものなのだ。だとすれば、自らが大衆を迎合する必要などはない。むしろ、大衆を迎合するようではインディーズでは有り得ないということなのだ。

 マイノリティであることが確定した以上、言いたい放題でいいということになる。ここで言いたい放題というのは、2つの意味があると僕は思う。1つは「誰からも共感されることを期待していないこと」、もう1つは「いつか誰かが共感してくれることを期待する現時点での少数意見」である。

 誰からも共感されることを期待していないことを吐くのは単なる自己満足だ。しかし、いつか誰かが共感することを期待する意見というのは次代のリーディングオピニオンである。この間には絶望的な開きがある。しかし、共にマイノリティであるがために、現時点では同じものだと解される。だから、蔑まれ、無視される。力を持ち得ない状態が長く続いてしまう。

 だが、社会は確実に変わる。ちょっと前までは出来なかったことが出来るようになる。反対にみんながやっていたことを誰もやらなくなったりする。変化はある日突然朝起きたらそうなっていたというようなことではない。最初は1人が始め、周囲の数人が続き、世の中全体へと広がっていく。そう、社会の変化はどこかの誰か一人から生まれてくるのである。

 その最初になるのは、実は苦しい。世の中の常識に囚われずに新しい考えを絞り出すことがそもそも大変なのに、新しいことを理解出来ない周囲から馬鹿にされ、阻害される。古い世界で生きる方が楽な人からは攻撃さえされる。常識に唯々諾々と付き従っている方が絶対に楽なのだ。

 しかしそれでは変化することは出来ない。変化しないということは、腐り、沈むということに他ならない。

 
 僕は思うのだ。大きなものは社会的にもしがらみを持ち、図体のでかさから小回りが利かない。簡単にハンドルを切ることなど出来ない。そこで新しい声を上げるということは絶望的に困難である。図体のでかい組織が繰り出すイノベーションは、基本的に図体のでかい組織にとって都合のいい新機軸であり、現状の格差を固定し、広げていくに過ぎない。それは本当の変革ではない。

 だからやはり、マイノリティが声を上げることが変革には絶対的に必要なのだろうと思う。それは行動でもいいだろうし、発言でもいいだろうし、場合によっては歌でもいい。僕のやっている音楽レーベルに出来ることは、そんなことなのだろう。どんなに無視されても、どんなに後ろ指を指されたとしても、やるべきことを凛としてやるべきだ。何ができるのか、それはまだわからない。でも変革が今まで以上に必要とされているのが今だ。そのことはハッキリしていると思う。


 変革のために何かを始める、そんな2012年にしていかなければいけないと強く想う。

Tuesday, January 03, 2012

猪苗代湖ズと長渕剛

昨年末の紅白の話。Twitterで番組へ突っ込みながら観ていて、Twitter上でいろいろな人に絡んでもらって、楽しかった。ワールドカップサッカーの時にも感じたのだが、テレビの新たな楽しみ方だと思う。まあある程度の人数が見ている番組でなければ成立しないのだが。

 で、その紅白でいくつかのことに注目した。猪苗代湖ズと長渕剛だ。実は僕はこの2つの出場について、「なんだかなあ」と思っていたのだった。

 猪苗代湖ズはサンボマスターの山口隆をメインボーカルとした福島出身の4人で結成されたバンドで、震災後に出した「I love you & I need you ふくしま」で注目された。個人的にいうと、僕はこの歌があまり好きではない。極論を言えばこれは一種のクリスマスソングだ。この歌のクオリティがどうこうではなく、あのタイミングであの趣旨で動くことで、この歌の価値は決まったといえる。いってみれば、猪苗代湖ズである必要などまったくない。その時代のそのタイミングにはめていくことで、多くの人たちが共感する。もちろん福島出身のアーチストたちという限定はあるが、それさえクリアすれば誰でも良かっただろう。逆に考えれば、3年前に彼らがそれを歌っていたらこれほど注目を浴びただろうか。もしも今「I love you & I need you みやざき」を東国原氏が歌ったらどうだろうか。それでも曲が芸術として素晴らしければ注目を集めただろうか。僕が好きではないのはそういうところだ。この歌の意義は認めるし、それによって勇気づけられたという人が多数いるのも事実だと思う。しかしそれとアート的価値とは別モノだ。

 今回彼らは紅白に出た。サンボマスターとしての出場は未だ無い。紅白というのが今後どのような位置づけになるのかはわからないし、以前のような影響力はなくなっているだろうが、それでもまだ大きな番組であることは確かだ。そこに、山口隆くんは猪苗代湖ズで出演した。そのことで、彼にとっての代表曲はこれということになる可能性が高い。社会的影響としてもこれが代表曲というのは間違いないだろう。でも、サンボマスターというバンドが日本のロックシーンに置いて特殊なポジションを持っている事実が、今回の紅白出場で吹き飛んでしまったとしたら、それは大いに問題だと思うのである。紅白は番組が持つ影響力を考えると、話題性や売上げなどではなく各アーチストの価値で出場アーチストを決定すべきだと思う。その視点に立った場合、もっと早いタイミングでサンボマスターに出演をオファーしていてもまったくおかしくない。逆にこれまでのサンボの活動でオファーしないのなら、猪苗代湖ズでオファーするのは間違いである。しかし今回、NHKは話題性と、社会全体で原発事故を収束に向けた雰囲気作りの一環として、猪苗代湖ズを出演させた。紅白が音楽番組であるなら、純粋に音楽の価値を多くの人たちに伝えていくべきである。その影響力をもって、何か別の意図のために利用するようなことをすべきではない。そういうことをすると、人々の心はどんどん音楽から離れていってしまうと思う。

 番組での彼らの演奏はどうだったのか。僕は見ていて、シャウトぶりが痛々しかったなと感じた。声がしゃがれてあまり出ていなかったなと思った。でもロックとはそれでいいのだとも思った。必死に歌う。それでいいのだ。そして彼らはこれを活動のピークにしてしまわないように、今後ますます活躍をして、今度はサンボマスターとして堂々と紅白に戻ってきてもらいたいと思った。そうじゃないと、あまりにも悔しいじゃないか。


 長渕剛の出演も、311以降の彼の活動が評価されての出演だったと僕は思っている。その点で、やはりNHKの音楽に対する姿勢はどうかと思っている。

 長渕剛はフォークシンガーだ。シンガーソングライターだ。彼がまだそんなに有名じゃない時代に、僕は地元福岡のラジオ局RKB主催のイベントに、長渕剛を見に九電記念体育館まで行ったことがある。その時のことを鮮明に覚えている。彼の歌の中に近所の「大濠公園」が登場してワクワクした。その数年後に「順子」がヒットしてザ・ベストテンに登場した時は嬉しかったなあ。そう、僕は長渕剛のファンだったのだ。

 しかしその後、とんぼのあたりから長渕剛は変わっていった。マッチョな強面の人に変わっていった。作る歌はパワフルになっていった。元気な体育会系の存在になっていった。だから僕は次第に長渕剛が好きではなくなっていった。

 311以降、彼はことあるごとに話題になっていった。地震と津波の被害を案じるコメント、原発不安で鹿児島に避難したこと。それでいいのか自問自答し、被災地に、自衛隊にと慰問に行ったこと。それらがスポーツ新聞からネットから報じられ、NHKのSONGSにも何度か登場し、その流れで今回の紅白出場に至ったのだろう。その過程すべても、僕は長渕剛にまったく共感を持てなかった。話題作りなのかとさえ思った。下卑た見方だとは思うが、それでもそう思ったのだ。

 SONGSで歌った歌はとてもつまらなかった。熱唱型の歌で、根拠の無い元気を求めるような、そんな歌。ああ、長渕はやっぱりもうダメだなと思った。紅白でもきっとその歌を歌うのだろう。一人東北の学校の校庭で歌うという。その演出。ありそうな演出。いかにもな演出。仰々しく長渕が喋り始める。つまらない。本当につまらない。シナリオ通りの長渕を見ることはなんてつまらないんだろう。そう思った。

 だが、長渕が歌ったのは僕の予想を完全に裏切った歌だった。とても優しい歌。メロウで、マイナーで、人間のサイズの歌。マッチョで虚勢を張るようなものとは全く逆の、小さな人間の小さな心をささやくように歌う歌。初期の、まだそんなに有名じゃない頃の長渕剛の姿がそこにあった。ああ、今でもこんな歌を歌うことが出来るのかと驚いた。こんな歌を歌ってくれるのなら、また長渕のファンになっても悪くない。


 そんな風にいろいろなことを考えながら、今回の紅白を楽しむことが出来た。音楽って楽しくて、悲しくて、嬉しいものだなって思うことが出来た。音楽には大きな可能性があるよなと思った。こんな晴れ舞台とは今のところ接点は無いけれども、そういう仕事をしている自分を誇らしく思えた。2012年も頑張っていこう、頑張っていけるよと、そんな気にさせてくれた紅白だった。

Sunday, January 01, 2012

新年

あけましておめでとうございます。

 年が明けたけれども、こういう区切りってなんなんだろうって毎年思う。それで何が変わるってことも何も無いからだ。むしろ当時とか夏至とか、確実に日照時間に変化が起きるという日の方が人間生活にとって影響があると思う。

 しかしながら、カレンダーは太陽暦なのであり、世界的にこの日を年の区切り、正月だと決めてきたのにも意味はあるのだろう。門外漢なので詳しい理由はわからないけれども。いずれにしても、この日が1年の始まりであることは事実だ。その事実に基づいて人々の気分も変わっていく。人の気分が共通して、新しいものに向かって行けるというのはとても大切なことだ。

 僕も気分を新たにしたい。だからといって何が変わるというわけではないが、新しい気持ちでなにかを引き締めて頑張っていきたい。

 今日はそういう、区切りの日だ。