Thursday, June 25, 2009

個人と組織

 つい先日、僕の棚から川本真琴のデビューアルバムが発掘された。名盤である。少なくとも僕はそう思う。川本真琴という人はこのアルバムでの商業的成功とは裏腹に、その後どんどん商業的な動きから遠ざかる。2枚目、3枚目。よくいえばアバンギャルドで反骨的、悪く、というより普通にいえばポップ感を失った自己満足的な内容になっていき、音楽シーンの中央から消えていった。こうなってしまうと忘れられるだけなのが当たり前だが、彼女の根強いファンは今でも存在する。僕もその一人だ。他の人の理由がどうかは知らないが、僕に関していえば、やはり彼女のファーストには衝撃を受けたし、才能ある人だと強く感じたからだ。その才能の行方を見てみたいと思うのは一種の好奇心だ。それが輝きを増したとしても、失ったとしても。

 同じように才能を感じたアーチストといえば、やはり椎名林檎を外すわけにはいかない。その椎名林檎の6年ぶりの新作がリリース。さっそく聴いてみた。




 結論から言うと、人生ドラマを見ているようである。その後の状況は川本真琴の現状とはかなり違ったことになっていて、全国紙の新聞にも広告が出て、山手線の駅にも巨大なポスターが貼られまくっている。このCDにレコード会社は相当賭けているのだろう。賭ける対象となっている椎名林檎、3年前の新作がインディーズからのリリースとなっている川本真琴。この違いは一体なんなんだろうか。これを人生と言わずしてなんとすればいいのだろうかと思わずにはいられない。

 もっと内容について。椎名林檎の今回のアルバムは、ファーストとはまったく違ったものである。それはセカンド、サードもファーストとは違っていたが、その違い方がまた別種類のものとして形になっている。椎名林檎は椎名林檎名義での活動を一時期封印し、東京事変というバンド活動をしていた。それを聴いていると、椎名林檎は自分というものを押さえることで自分のポジションを得ようとしていたように思うのだ。それは、ファーストで大人の意見を取り入れて成功したのはいいけれど、それが自分なのかという葛藤が、セカンドとサードには現れたのだろうと見ている。自由にやれる権利を手に入れた。お願いだから新作を発表してと大人に言われる。だからやってみた。それは自分を表現するという試みであるにもかかわらず、ファーストで生まれた一般からの先入観を払拭しなければいけないという思いが、その自由な表現であるべき発表の場を不必要に歪めてしまった。振り子の原理で、一方に強く振れたものは逆に振れる以外にはない。その結果、過激に個性のエッセンスだけが増幅され、結果的にファーストの再現を期待した人はもちろん裏切り、本当の自分を出したいと思う自分さえ裏切ったといえるだろう。ここまでは椎名林檎も川本真琴も同じだ。ファーストの呪縛からどう逃れるのか。才能ある人だけしか直面しない悩みに対する、答えである。

 だが、そこからが大きく変わる。椎名林檎の新作を一言でいえば、まるでオペラであり、ミュージカルである。音しかないこの楽曲の連続からは、容易に映像が浮かんでくる。その映像はまさにオペラなのだ。タイトルは『三文ゴシップ』。だが一般的には三文とくればオペラと続く。このアルバムは椎名林檎によるオペラの再現だ。サウンドがとにかくゴージャス。そのゴージャスさはどこから来るのか。東京事変で築いた人間関係。取り囲むミュージシャンたちは一癖も二癖もある人たちだし、アイディアの固まりだ。アイディアは、時に残酷である。けっして椎名林檎の才能をつぶそうなんて思ってはいないはずだ。だが、そのアイディアの羅列は、まとまりを失う。僕はこのアルバムを聴いていて、妥協しか生まない無駄な会議を想起した。だれもがよかれと思ってアイディアを出す。出した人の気持ちを尊重すれば無下に却下するのも気が引ける。だから、出てくるアイディアを少しずつ拾う。その会議は丸く収まるのだろう。メンバーは満足する結果になるのだろう。だが妥協の産物に筋が通ることは少なく、思想の無い決定しか残らない。ワンマン社長の鶴の一声で進んでいくプロジェクトは独善的だが思想に満ちている。だから革新的な成果を生む可能性も高い。もちろんそれはワンマン社長に先見性と才能が備わっていての話ではあるが。椎名林檎は才能ある人なのか。それが問われる。だが、いかに才能があっても、結果が出なければ意味が無い。様々なアイディアを飲み込むような合議制で作品を作るのであれば、才能は妥協に取って代わられる。今回のアルバムは、僕の感想としては、優れているが、尖っていない。もどかしい思いが鬱積するし、ファーストで感じた才というのは単に自分の誤解でしかなかったのかという気さえしてくる。

 一方の川本真琴はというと、大きな音楽ビジネスからは離れてしまった。3年ほど前に川本真琴名義での活動を終了するという宣言をし、ミホミホマコトというユニットをやったり、タイガーフェイクファという名前でのリリースをした。



僕は先日棚からファーストアルバムを発見したあと、ネットでちょっと調べてその活動を知り、amazonで3曲入り(カラオケを含めて4曲)のCDを購入した。まあ、自由だ。音質がどうとかプロジェクトとしての完成度とか、そんな御託がすべて無駄だというべき、次元の違った自由さ。3曲目などはライブ音源で、「オリジナルの歌詞とは違う部分があります」なんて注意書きがわざわざ添えられている。そんなんでいいのか川本よと思ったりもするが、ジャケットの中におさめられている彼女のニュートラルな笑顔が、そんな思いを吹き飛ばしてくれる。ファーストのジャケットは何に不満があるのだと突っ込みたくなるような拗ねた表情だったのに対して、この人はどうしてこんなに屈託の無い笑顔をカメラの前で振りまけるんだというくらいの笑顔を見せているのだ。僕はこのCDに音楽的な成功を感じない。だが、自由がそこにはある。アーチストにとっての音楽的成功とスタッフとしての成功はまったく違ったものであり、アーチストが追い求めるものがそこにあるのなら、それは成功失敗に関わらず、幸せな事象だと思うのである。

 アーチストに関わらず、人はその時々において価値観が変わる。昨日持っていないものを今日手に入れたとしたら、それを欲しいのだと思う気持ちは明日には失せる。価値観とは持たざるものへの欲求の一種である。そして何かを手に入れるということは同時に何かを失うということでもあり、失った瞬間にその価値に気付くということも往々にしてあって、だから、状況が変化した瞬間に自分が何を手に入れて、何をまだ手に入れていなくて、一体何を失ったのかということを人は日々時々に応じて考えて感じるわけで、それを音楽表現を通じて僕らは理解することが出来るのではないかと思うケースが稀にあって、だからこの2人の活動というものは興味深いのだなあと思うのである。

 今回の新作を聴いて、椎名林檎は自分だけが主役であるということに価値を持たないのだなあと思った。人間は一人で出来ることと組織として出来ることがあって、それは両方ともそれなりの意味というものがあり、優劣というもので量ることは出来ない。僕はビクターというメジャーレーベルを離れてインディーズをやっている。メジャーにできることとインディーズで出来ることは似て非なる。飛び出した時は自分の思った通りに進んでいけることにこそ喜びがあると勇んだが、必ずしも自由だけが待っているということではないのだということを知った。それはまだまだ僕自身の力が足りないせいもあるのだが、関わるアーチストを大舞台に上げてやることがなかなか難しい。メジャーの頃はその中で自分の意見を通すことが難しいが、しかし認められさえすれば大きな仕事につなげることが出来る。組織の中で周囲の協力を集めて大きな仕事をするということ。それに較べて常に自分で行動をジャッジしながら小さな仕事を積み重ねること。どちらが自己実現なのかはその人の価値観だ。だから、椎名林檎の選んでいる音楽活動と川本真琴の選んでいる音楽活動は、まったく違うことだけれども、どちらがいいということではないのだろう。同じようにメジャーのファーストで注目もされ成功も納め、だが本当に求めているものに向かっていくやり方も方法もまったく違っているということが、面白くて、そして哀れだ。

 そして僕は今日も売れないミュージシャンのサポートを続けている。彼らはまだまだ売れるということを知らず、だから売れるということに向かって疑うことを知らない。それはもしかすると無知ということなのかもしれない。売れるということが必ずしも幸せとは限らないということを知ることも多少は意味があると思う。しかし、それは選ぶという行為の際に発揮される条件に過ぎず、それを選ぶことがそもそも許されていない状況で、「それは不幸かもしれないことだから目指さないでもいいと思うよ」というのは、それはやはり言うべきことではないと思うのだ。僕にしても一応ビクタ−に入ることが出来たから、辞めるという選択を選べたのだ。だから、彼らの当座目指している「売れる」ということを実現させるために、小さな力ながらも頑張っていきたいなと思う。そしてその結果、彼らが結局どういう道を選択するのかということを、当事者としてみてみたいというのも、今日の三文ゴシップを聴きながら思ったりしたのである。

Thursday, June 18, 2009

最近の仕事

 先日、山形からミュージシャンのDAIZOくんがやってきた。昨年CDを『詩人の歌』をリリースして、これがスマッシュヒット。今年も2ndをリリースしようという話を3月に僕自身が山形に行った時にしていて、今回はその具体的な内容について詰めるためのミーティングだった。まあそれは電話やメールだけでもできるのだ。今回などはジャケット用の写真撮影をしたいという友人が周囲に現れたというし、だったらなにもミーティングのためにわざわざ東京まで来る必要などまったくないのだ。でも、やはり直接会って話をすることで進んでいく「雰囲気」というものは確かにある。そういうものを得るために、彼は来たんだと思うし、それでいいとも思う。僕だって山形まで行ったりしたのだし。
 
 結局、9月にミニアルバムをリリースすることが決定した。それで彼は帰っていった。来月にはレコーディングを着々と進めるために準備をするという。そのまえのちょっとした気分転換にでもなったのであればよかったなと思ったりするのだ。

 
 今日はSTONE FREEのビデオを制作。YouTubeでご覧いただけると幸いです。

ごめんねごめんね〜〜

 昨日近所をウォーキングしていた。途中、胸突坂という急な坂があって、幅3メートルくらいだろうか、中央に手すりがあって、その両脇に階段状の坂がある。そのさらに両脇には自転車なども登れるように階段状ではない斜面もある。とはいえ自転車をこいでこの坂を上れるような人はほとんどいないだろう。なぜなら普通に歩いて登るだけで息が切れるのだから。最近もおばちゃん三人衆のウォーキング隊が「これ、登れる?」とかいう会話をしていたのを聞いた。いや、階段なんだから登れるだろうと思うのだが、下から見上げて登れるか不安になるのも頷けなくもない。そんな坂なのだ。

 僕はここを上り下りする時には階段状のところではなく斜面を歩くようにしている。どうも階段の幅が気に入らないからだ。普通の階段のように左右交互に踏みしめていくには段のギャップがあり、かといって右で上がって左を引き上げる(その逆もあり)のでは、なんか肉体のバランスを崩してしまいそうなのだ。斜面をいくのは太股の筋肉に負荷がかかる。まあそれもトレーニングだとか勝手に思い、そうやっているのである。

 それで昨日の話に戻るが、坂をおりていると、後ろから何やら音が。自転車だ。僕がおりていたのは僕から見て右側の斜面で、左側の斜面は自転車を押して上がっている人がいた。だから自転車で下りようとする場合は右側を通らなければダメなのだろうが、彼は自転車を押しているのではなく、乗ってスピード満点で下りてきているのだった。僕はその物音に気がついて階段状のところに避けた。その青年は「すみません」とか言いながらもツーッと過ぎていく。そして坂の中盤過ぎのところで、事件が。坂道の脇にある広場から小さな女の子が飛び出してきたのだ。自転車のブレーキの音。キーッ。女児固まる。自転車完全に停まりきれないものの、かろうじて女児と衝突することは避けられた。直前に僕のところで一旦ブレーキをかけていたから最悪の事態を免れたんだろうとは思うが、青年は女児に「ごめんね」と一言。それはもうものすごく気持ちのこもったイントネーションでの謝罪の言葉。本当に悪いと思ったのだろう。しかし、青年は反省して自転車を降りたりすることなく、そのまま坂を猛スピードで下りていった。

 ごめんねとはなんだろう。反省しているということじゃないか。反省とは、過ちを認めもう二度としませんという誓いである。だったら青年のごめんねは一体何の反省なのか。急な坂で猛スピードで自転車を走らせていたということがいけなかったのであれば、少なくともそこで自転車を降りるべきだろう。だが、降りない。女児に恐怖を味あわせたのは明らかに自転車の猛スピードであり、それを止めないのなら、ごめんねなんていう言葉は言わない方がいいし、言ったとしたらただ虚しいだけでしかない。

 足利の冤罪事件で栃木県警の本部長が菅谷さんに直接謝罪した。なんか歌舞伎役者の台詞のような感情のこもり方だった菅谷さんは「わかりました、許します」と応えた。いや、確かに菅谷さんの人生としてはこのことへの恨みで残りを過ごすよりも、理不尽であっても忘れることによって、せめて残りの人生を豊かにした方がいいだろうとは思うが、それにしてもお人好しだなあと思う。この本部長の謝罪とはなんなのか。一方で当時の捜査関係者は、この件に関して取材を受けてはいけないと指示されているという。トップが謝れば組織全体の問題を隠蔽できる、そのための形式的な謝罪なのだとしたら、とんでもないと思うし、今後も同じことは繰り返されてしまうだろうと思う。猛スピード青年のごめんねと何ら変わらないという気がしてならないのだ。

 ごめんねごめんね〜はお笑いコンビU字工事のヒットギャグだが、これはお笑いだという前提だからこの軽さでいいのだ。しかし現実のシリアスな場面においても同じように軽ーく使われているような気がするし、それが許されると多くの人が思ってしまっているような気がするのだ。

Wednesday, June 17, 2009

ボーカルレコーディング




 最近よく聴いているのは熊木杏里だ。アルバム『ひとヒナタ』は昨年秋リリースのアルバムだが、最近始まったJRAのCMに使われている『雨が空から離れたら』が気になって、amazonで購入したのである。

 柔らかなボーカルでバラードとポップス(こういう区分けはちょっとおかしいのは十分に知りつつ)の中間にあるような音楽だ。聴いてみると意外と知っている曲が多い。CMとかにどんどん使われているようで、知らず知らずのうちに知っているというのが、なんか僕の仕事の上でも勇気づけられる事実だ。もちろん弱小といえどもキングレコードはメジャーだし、そもそもインディーズのキラキラレコードとは同じ土俵で較べてはいけないのだが、それでもこういう存在を知るのはなんか良いなと思って、この数日は毎日聴いている。

 それで、思ったのだが、この人のボーカルはウィスパーボイスではないが、息づかいとかまで再現されているようなレコーディングがされていて、まるでそこにいるかのような印象を与えている。歌の種類と彼女のキャラクターなどがそういうレコ−ディングを要求したのだなと思う。非常にざっくりいうと、こういうレコーディングにはコンデンサーマイクが使われる。というかまあ標準的なレコーディングではボーカルにはコンデンサーマイクが使われるのがほとんどだったりするが、僕はこのコンデンサーマイクを何にでも使うというのはなんか変だなあと思っていたりしたのである。

 それは写真撮影の例えでいうのがわかりやすいだろう。カメラの撮影をする時に、一眼レフのプロ用カメラを使うやり方もあるし、コンパクトデジカメもあれば、携帯に付属のカメラで撮影することもある。もちろん一眼レフで撮影する方がクオリティは高い。しかし気軽なショットをおさめるためにはコンパクトカメラで撮った方が良いこともある。出先でいい光景に出会った時には携帯で撮るしかないこともあるだろう。また、ブログにアップするための画像をとるのであれば、アップのしやすさなどを考えても携帯の方が断然優れているケースもある。そもそもブログに高画質は必要ないのだ。

 しかし「カメラは何を使うのがいいのですか」と問われたら、「一眼レフを使うのがいいですね」と言ってしまうだろう。なぜなら、それが一番無難だからだ。答える人はどういう用途で撮影されようとしているのかをちゃんと把握しないうちに聞かれるのだろうし、そこでは一番無難な答えをするしかない。だから「一眼レフを」という答えをする。その人がプロだとしたら、聞いた人はまだ第三者に対して「プロの人が一眼レフがいいって言っていた」と思い込み、どんな用途に対しても一眼レフを使わなければという一種のトラウマになってしまう。同じようなことがレコーディングでも起こっていると思う。だから「ボーカルレコーディングにはコンデンサーマイクを」というトラウマに取り付かれている人たちは多いはずだ。しかし、撮影した写真をその後フォトショップでコントラストなどをグリグリにいじったりするのであれば、高解像度とかが最初に必要だと言うのは嘘だし、同じように、後でラジオボイスなどのエフェクトをかけるボーカルに対してコンデンサーマイクが必要というのはまったくナンセンスでしかない。まあラジオボイスとまではいかないにしても、ロックバンドのボーカルにコンデンサーのようなものがどのくらい必要なのかは、正直言って疑問なのだ。その疑問は、「そもそもコンデンサーマイクなんて必要なのか?」というくらいの、アンチコンデンサーマイク主義にもなりかけていたりもしたのだ。

 しかし、この熊木杏里の歌には、これは絶対にコンデンサーマイクが必要なんだなと思った。ちょっとだけ目からウロコだった。空気感というか、その中で存在できるボーカルというものがきちんとある。そういうボーカルにしていこうという意思がこのスタッフというかチームにはあるのだろうし、それは演奏のアレンジにも現れている。こういう意思のある音楽創造に接すると、なんか曲が良いとかどうとかではない次元で嬉しくなる。自分も何かを創造しようという気持ちになってくる。もちろん、単に彼女の歌や楽曲そのものもよくて、だから毎日これを聴いたりしているのが大前提なのであるが。

Monday, June 08, 2009

ルール

 僕たちはルールの中で生きている。ルールがなかったら誰も信じられなくなるだろう。

 先週、足利事件の犯人とされていた人が、その根拠だったDNA判定が間違っていたということで再鑑定されて、その結果釈放された。いいことだと思う。だが、それはいいことでもなんでもなく、本来はそうあるべきだった状態に戻ったというだけのことであって、冤罪で逮捕されていたことが不幸なのであって、その不幸が(部分的に)解消されたということが、いいことだったなあと思うのである。

 これを受けて、いろいろなことが起こっている。まずその人がたくさんテレビに出ている。しかしマスコミっていうのは手のひら返しがうまいなあと思う。つい最近まで犯人でしょうって感じで取り扱っていたのが、出てきたとなったらスタジオに呼んで、「警察も検察も裁判所も許せないですよね」って迎合する。何だろうと思う。

 だが、この迎合、節操のなさも時には見習う必要があるのかもなと思ったりしたのだ。

 今回の問題、警察はどうだったのか、検察はどうだったのか、そして裁判所はどうだったのか、そういうことについて検証されなければならないだろう。しかし、その検証が過度な、というより犯人探しになってはいけないと思う。なぜなら、それがルールとなってしまったら、そういう仕事をしない方がいいということになってしまうからである。

 人間がやることは必ず間違いを起こす。しかしそれを恐れていたのでは進歩などない。不幸にも間違いは起こるものだと覚悟しなければいけない。その上で我々は前進しなければいけないのだと思うのである。例えていえば、近年産婦人科医になる人が減少しているという。多くはないものの一定の割合で起こる事故。その理由は人為的なミスもあるだろうし、人為的というより避けられない事故などもあるだろう。いずれであってもある割合で起こることの責任が医者本人に問われるということが一般的となり、それでその訴訟リスクを考えて、産婦人科医を敬遠する傾向が強いという。そうなると子供を産むための社会的インフラにほころびが出てくるわけであって、少子化が懸念されている現代において、その状況は社会的に対策が必要になるということだと思うのだ。

 つまり、そういう訴訟リスクを医者個人に負わせるのではなくて、社会として引き受ける必要がある。現在のような状況の中で産婦人科医を選択する人は、純粋に志があるといえるだろう。もちろん医者は高給取りの職業だという部分はあるだろうが、同時に社会的な貢献度も高いともいえる。社会全体の大きな問題でもある少子高齢化を解消するためにやらなければいけないことは沢山あるけれども、この問題も軽視できない問題だろう。だとすると、その部分を解決することはこの国のルール作りと大きな関係があるといえるのである。

 一方で、不幸にも出産時の事故に遭遇する例もあり、割合からすると少ないという一般論とは別に、まさに事故に遭遇した人にとってはそれが100%なのであり、その落胆や憤りも当然である。医者が憎いと思ったとしても不思議ではない。それに対して国がどうするのかが問われるのである。そういう事故に出会うのは、医者にとっても親にとっても不幸そのものだ。その不幸の可能性があるのであれば、やめておこうと思っても不思議はないのに、その不幸の可能性を超えた喜びとか、使命感とか、そういうもので人は頑張ろうと思うわけで、そういう気持ちに対して国がどう応えるのか、それによって国は全体的に動いていくんだろうと思うのである。

 今回の冤罪事件。今の技術水準でいえば当時のDNA鑑定の精度は低いのだろうが、当時は先進の技術であったことは間違いなく、これに賭けようとした気持ちがあっても不思議ではない。コンピューターなんかも18年前の製品は今の携帯電話よりも圧倒的にショボい機能しかなかったが、それでも当時の広告などを見てみると、これで夢が叶うとか、時代を先取りとか、いろいろなコピーが踊っていた。僕らもそんな、いま見るとショボい機能のパソコンに100万以上払ったりしていた。技術の進歩というのはそういうものであり、今の技術だって、10年後にみたらとんでもなく原始的なものといわれることも多いだろう。そのことを持って当時の警察を責めるのはちょっと違うように思うのだ。

 僕らはルールの中で生きている。だからそのルールは誰にとっても公平でなければならないと思う。しかし時に不幸の中に落ち込んでしまうこともあり、だから、それに対しての考慮がされるべきで、そういったことが出来るのはそこに関わる個人ではなく、最終的には国ということなのだろうと思うのだ。つまり、その機能が国にとって必要じゃないことについては、個人個人の自己責任でいくべきだが、医療とか、司法とか、捜査機関とか、そういったものはすべて国の根幹に関わる機能であり、だとしたらそれに関わる人たちの努力を支えるような仕組み、そしてその仕組みに従って生きる人が遭遇する不幸な事例に対する補償というものも、併せて国がどう対処するのかということが問われているのではないだろうか。

 今回の冤罪事件でいえば、まず、犯人にさせられた人の人生を台無しにしていることは間違いないのであり、だとしたら、それをどう補償することが出来るのかということを考えるべきだろう。もちろん心理的な不満を解消する方法は個々の感じ方次第だったりするので、一般論として明確なルールを創るのは難しいだろうが、基本となる補償のための予算くらいは十分に確保して欲しいし、その中で冤罪被害者が「仕方ない」けれど納得できるような対処をしてもらいたい。そして、今回の警察担当者、検察担当者、裁判官などは隠れることなく、何故今回のような不幸な出来事が起きたのかを考えるためのプロジェクトチームを組んで、その中で被害者と一緒に「どうしたらもっといい社会やルールを作れるのかを検討していって欲しい。そういうことをしなければ、同じ過ちはどんどん繰り返されるんじゃないかと危惧するのだ。

 なんか、書いていてまとまりがないなと思ってきた。目指す着地点がどこなのかも、そこに辿り着くのかも怪しくなってきたので、この辺にしたいと思うが、要するに、こういうことなのだ。今回の出来事に対してマスコミはエキセントリックに「冤罪被害者=正義/警察・検察・裁判所=悪」という図式を作ったりしているが、そうではないと思う。そしてそういう図式を正しいと声高に叫んでいる限り、「悪」はますます口を閉ざすだろうし、捜査は密室化していくのではないかと思う。さらには、捜査そのものをしようという気風が失われ、僕らの住む社会の治安は悪くなっていくような、そんな気がするということなのだ。だからそういうことにならないようなルールを全員で作っていく必要があるし、もしもそういうルールが出来た時も、関係する人たちは自分の立場や主張だけを守ろうとするのではなく、相手のことも考え、不幸なことは不幸だと素直に思える気持ちをもって事に当たる必要があるだろう。そんなことを考えたのだ。

Tuesday, June 02, 2009

TV Bros


 TVブロスは変わった雑誌だ。名前の通り、本来はテレビ誌である。しかし、これは変わった雑誌だ。テレビ番組のことなんて伝えていない。いや、伝えてはいるが、伝えようとしているのはそんなことではない。カルチャーだ。それもちょっと違うな。カルチャーを伝えるのだぞよなんて大上段に構えていたりはしない。何となく面白いと思うものを何も考えずに書いたり印刷したり売ってたりしたらこうなりましたというような、その結果がカルチャーになってしまったような、そんな感じだ。

 今でもキラキラレコードで誰も売り上げを抜くことが出来ない大正九年が、やはり当時からTVブロスに載りたいと言っていた。それで僕も知ったのだ。確かに変なテレビ誌だった。その認識がそもそも間違っていたんだなということには後から気がつくことになる。ザテレビジョンもテレビガイドもどこに行ったのやら。あるだろう。まだ廃刊になっているとは思わないが、でももうコンビニなんかではあまり見ない。テレビ番組を新聞で知るような時代はもうとっくに無くなっているけれど、その代替としてあったテレビ誌でももう知ろうとせず、今は完全にインターネットでテレビ番組のことを知る時代になっている。だから「情報」を売りにしていたテレビ誌は勢いを失った。TVブロスはそもそも情報を売ることで戦ってはいなかったから、そんなカルチャーを愛する人から愛され続け、今もまだコンビニで勇姿を拝見することが出来るのであった。

 そんなTVブロスの今の表紙は忌野清志郎だ。どのメディアも一時熱狂的にその死を悼み、そしてだれもが忘れ去ったかのように他の話題に飛びついている今、わざわざ表紙に起用しているあたりが、その変なタイミングが、やはりブロス的というべきか。冒頭で「あれから1ヶ月経ったけれど」と断っている。この話題をどう取り上げるか、もしくは取り上げるべきか否かということも含めて、検討してきたんだけれどやっぱり載せようというような、そんな姿勢が、「俺たちこそニュースを伝えていくんだ」という使命感がなくて、好きだ。自分たちが勝手に好きなことをやっているという場合、この話題を好きだなんて言ってていいんだろうかという逡巡が感じられる。ニュースとしてはもう古くなったんだけれど、それでもやはり載せないではいられない、躊躇してちょっと遅くなったけれども、読者の皆さんにとって必要かどうかなんてわからないけれど、でも、載せます。載せたいから。そんなつぶやきが聞こえてくるような感じがした。

 そこにはいろいろな人が清志郎のことについて語っていた。表面的な言葉の羅列もあった。爆笑問題の田中のコメントはクソだった。番組にゲストで呼んで、太田とのじゃんけんの結果リクエスト権を得て、至近距離で歌ってもらったことがあるそうな。そんな「ゲストを呼べる冠番組を持つ売れっ子芸能人の一コマ」なんてどうでもいいのだ。だって、清志郎じゃなくても、他の週のゲストに対しても同じようなエピソードを書くことは出来る。清志郎は単にその番組に仕事として行って、パーソナリティの勝手な進行に乗って歌っただけのことじゃないか。仕事でやっているだけのこと。そんなエピソードを、清志郎のファンもブロスの読者も望んじゃいない。クソだ。やつのコメントはとにかくクソだった。

 でも、いいコメントも沢山あった。吉見佑子氏の「シングルマン再発運動」の話。面白かった。それだって音楽評論家としての立場だからこそ出来たことで、僕ら一般リスナーにはとても出来ないことである。だが、やらなくたっていいことだ。売れないから廃盤になった。そんなどうしようもない事実に対して、どうしようもないではいけない、いいものは再発させたい。そんな抵抗運動が、評論家としての立場を危うくさせるかもしれないというのに、好きなものを世の中に出そうとして頑張った。自主制作で再発し、1500枚を売り切って、再発にこぎ着けた。ポリドールには謝罪文を掲載させた。素晴らしい。泣けてくる。

 FM東京の取締役の「最低で最高」というコメントもよかった。タイマーズでFM東京の歌を、フジテレビの生番組で歌われてしまったこと。自社の生放送で清志郎版の君が代を歌われてしまったこと。会社としては最低の出来事だったが、それでも好きなのだと、だから出演オファーを続けたんだと。いいなあ。そんな愛し方もあるんだなあ。

 一種の反体制側からの清志郎観、そして一種の体制側からの清志郎観。いずれも愛すべき愛し方だ。美しいコメントを引き出す力が、ブロスにはあるんだなあと思った。

 そして一番いいコメントだなあと思ったのが、ハギワラマサヒトのもの。あるとき清志郎がブロスで連載を始めた。それがなんと自分のコーナーの隣に載るようになった。昔から好きだった清志郎と隣で連載。ああ、なんという巡り合わせだ。もちろんそれはハギワラ氏の体験であり、僕の体験ではまったくない。しかし、もしも僕がそんなことになったら、どんなに嬉しいだろうなあ。だから、ハギワラ氏の喜びもよくわかる。嬉しかっただろうなあ。

 しかも担当編集者が自分の連載と同じ担当者で、打ち合わせの席では自分の仕事のことを差し置いて清志郎談義に花が咲く。いや、会えてはいないのだ。会えていないのに、何か縁を感じただろう。つながっているという感じ。この人の向こうにあの人がいる。それだけで、実際に会うよりもずっと近くに感じただろう。

 その後、ハギワラ氏は肝臓病になる。すると清志郎からメッセージが。清志郎も肝臓を患ったことがあり、医者から匙を投げられたらしいが、それでも漢方で克服したとのこと。そのエピソードとともに漢方薬を送ってくれて、「俺も克服したんだから、ハギワラも頑張れ」と。ハギワラ氏は妻と一緒に「肝臓病になってよかったなあ」と泣いたという。なんという屈折。その屈折に、喜びの程度を伺い知ることができる。

 それは清志郎のほんの1エピソードだ。だが、そのエピソードにすべてが含まれているような気がする。会ってはいない。歌も流れていない。だが、そこには心がある。目の前で歌ってもらっていながらも心の交流がまるでないエピソードと較べて、なんという感動秘話だろうか。そんな文章を引き出しているブロスにも、僕は拍手を送りたい。


 今僕の手元にそのブロスはなく、思い出しながらこの文章を書いている。だから細かな部分は間違っているところがあるかもしれない。大筋で間違ってはいないと思うが、どうかみなさんには、実際に手に取ってみてもらいたいと思う。