Monday, October 31, 2011

うれしいこと

 今週はうれしいことがあった。そのことを書こうか書くまいかずいぶん迷ってるうちにもう週末だ。書くなら今だ。今書かなきゃもう書けなくなる。だから、今日書こうと思う。

 でも、どんなうれしいことがあったのかは、幸せが逃げていくといけないのでないしょです。

 
 うれしいことが起きると、多くの人にそれを伝えたいという気持ちと、伝えてはいけないという気持ちとが交錯する。自分がどれだけうれしいのか、それを伝えることで他の人にも喜びが伝わっていくんじゃないかと思う。自分のことを判ってくれる人は自分の喜びを同じように喜んでくれるんじゃないかとも思う。だが一方で、自分だけがうれしいのではないか。世界にはうれしさの総量が決まっていて、だから自分がうれしくなると、その分誰かがうれしくなくなるんじゃないか。そんなことも思う。単純に全員がうれしくなってくれるのか、それとも単純に自分以外の全員がうれしさを喪失するのか。それがひとつに決まっているのなら簡単だ。しかし世の中はそんなに簡単じゃない。同じことをうれしがってくれる人とそうではない人がいるし、同じ人でもうれしく思われる出来事と嬉しく思われない出来事がある。時期や状況によってもそれは変わるのだ。

 子供の頃、福岡に住んでいた僕は家族で大分に旅行をしたことがある。2泊か3泊の旅行だ。ちょっとした遊園地もあり、温泉もあり、とても楽しい旅行だった。うれしくてよろこんで、でもそんな僕に父は言った。「楽しい旅行に行ったことを学校でみんなに自慢してはダメだ。儲かっていると思われてしまう。」どういうことなのかよくわからなかった。でも、その旅行のことを学校で言ったりしなかった。言ったらとても怖いことが起きるんじゃないかと、思うというより感じたのだ。

 今考えると、それは少しだけお店の経営が良くなってきた父の気負いだったのだろう。そこまで家族のうれしいことを秘密にする必要などなかったはずだ。今なら家族で東京ディズニーランドに九州から家族で行くのもそう珍しいことではない。家族での海外だって割と普通のことだ。うれしかったことを友達に話せないということを、当時の僕はなんかつまらないなあと思いながらも、社会のなにかに触れたような気がしていた。その旅行の最大の思い出は、九州一長いコースのゴーカートに乗ったことでもなければ、ミラーマンショーでもない。父が言った、旅行について学校で話すなということだった。

 うれしいことって、とても個人的なことでいいと思う。だから滅多矢鱈に吹聴してまわる必要なんてないのだ。

 そうこうしているうちに日付が変わってしまったよ。新しい週に突入してしまったけれども、これは10月24日から30日までの週に起こったうれしいことについての、個人的な文章でした。

Friday, October 21, 2011

THE SNEAKERS『WAOOOOOOOOOO』

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 本日、THE SNEAKERSの新譜がリリースされる。されるというか、僕がリリースするのだけれども。

 THE SNEAKERSといっても知らない人が多いだろう。今年結成15周年のロカビリーバンドだ。リーダーのコータローを中心に、伝統的なロカビリーの王道的サウンドをかましてくれるイカしたバンドなのだ。ステージではファンキーでフレンドリーなMCを展開して、観客を爆笑の渦に引きずり込む。彼らのライブを見てハッピーにならない人はまずいないだろう。



 そんなTHE SNEAKERSとの縁は深い。1998年にキラキラレコードが最初に定期的なライブイベントを開催しはじめた頃に彼らはデモを送ってきてくれた。そのテープは今でもある。「Dance Party vo.1」というタイトルラベルに、当時の若々しい彼ら3人の写真が添えられている。そのリーゼント姿からも判るように、当時の彼らはとてもやんちゃだった。当時の言葉で言えば「不良」だったのかもしれない。しかしそれは見かけだけのことで、根はとてもストレートで、自分が納得出来ないものには真っ正面からぶつかっていくけれども、納得出来るものには笑顔で答える。そんな純粋なハートを持ったイカしたヤツらだったのだ。

 あるとき、彼らのライブの客席で、突然シャツを脱いで背中の入れ墨をこれ見よがしに見せつけようとした若者がいた。当時のやんちゃ仲間だったのだろう。そのライブの後で僕はメンバーにこう言った。「誰と付き合うのも自由だし、それをとやかく言うつもりは無いよ。でも、ああいうことを客席でされると、他のお客さんは怖がるし、引く。次もライブに来ようとは思わなくなるだろう。結果として損するのはバンドだ。ライブに来てシャツを脱いだり暴れたりする行動がバンドのマイナスになるんだということを、友達なんだったら理解するべきだし、彼が理解してくれないのであれば、それは応援してくれる友達ではないよ」と。彼らがどう思ったのかは判らない。だが、その後のライブで入れ墨の男がシャツを脱いで暴れるということは一切なくなった。

 そんな彼らも徐々に人気が出てきて、主催の企画にはどんどん客が入るようになった。下北沢屋根裏という、50人も入ったらパンパンだよねってライブハウスでは250人という動員記録を当時打ち立てた。当時企画に出演してくれていた氣志團は、その後のTHE SNEAKERSのアルバムに参加してくれたし、今回リリースのミニアルバムでもコメントを寄せてくれている。

 その後彼らは別のレーベルに移っていった。が、昨年Twitterで僕とコータローくんがフォローしあうようになり、その縁もあって今回久しぶりにキラキラレコードからのCDリリースとなったのだ。面白いこともあるなあと思う。

 コータローくんの人柄を示すエピソードをひとつ紹介したい。ちょうど1ヶ月前の9月21日にすごい台風が日本を直撃した。彼は今トラックの運転手をしているのだが、台風で強風と豪雨が襲ってきたとしても仕事が休みになるわけじゃない。その日はホッピーの空きビンを運ぶ仕事だったそうだが、ということは瓶が入ったケースをトラックに積み込むという作業をしなければならない。ただでさえ力仕事で辛いはずだが、その日の彼のつぶやきはこうだ。「さて!雨ざらしの空瓶引き取り開始しますか!(笑)」笑いって、、、。誰もが台風で外になんて出たくない時に笑って空瓶を積んでいる。コータローくんが笑っている姿が目に浮かぶようで、半分笑って半分泣けてきた。爽やかなナイスガイだなあと心から思う。

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 そして、15周年だ。ひとつのことをずっと続けるというのは結構大変なことだ。レーベルを21年やってきている僕にはそのことがよくわかる。しかもバンドはメンバーとの人間関係をどう維持するのかというのがとても大変で、メンバー同士喧嘩して解散というのはよくある話だ。一度解散して、また気のあうメンバーと新しいバンドを結成した方がどれだけ楽なことか。しかし、ファンにとってはそうではない。一度自分が惚れたバンドが解散するというのは辛いことだ。なぜなら、自分が価値を見いだした存在が、その存在自身によって壊れる、つまり価値を否定されるということに他ならないからだ。

 僕はよくバンドに言う。自分たちのCDやライブチケットを1枚でも有料で売ったら、その瞬間からファンに対する責任が発生するぞと。買ってくれた人は、単に物を1個買ったのではない。そのバンドに成功して欲しいと、将来に賭けているのだ。CDやチケットは、ある意味馬券のようなものである。将来それが紙くずに変わるのか万馬券に変わるのか。お金の話ではない。自分が音楽評価にどういう目や耳を持っているのかということの証明の話だ。多くの人はそんな自信がないから、既に売れているものを買ったり聴いたりするだけ。無名のバンドにお金を投じるのは、自分は他人の評価に左右されずに「良いモノは良い」と自ら判断しようという、勇気ある人だけが行なうチャレンジだ。その期待を受けたアーチストは、その期待に応えるためにも、その評価が「正しかった」という結果をだす義務がある。ただ単に1枚のプラスチック片や、ミシン目のある紙切れを渡せば良いということではないのである。

 そのためになにより必要なのは、止めないということだろう。どんなに才能があっても止めてしまえばそこで終わり。止めるということは、自分自身で「オレには価値が無かった、俺たちの結び付きには価値が無かった」と宣言するようなものである。もちろん成功するのは並大抵ではない。だが、止めずに続けることは自分たちが踏みとどまりさえすれば出来ることである。実際にはその出来ることがほとんどのケースで出来ていないのだが。

 そう考えると、彼らTHE SNEAKERSが15周年を迎えたということはそれだけで素晴らしいことだと評価していい。今回のミニアルバムの6曲目に『心のアルバム』という曲がある。「約束通り 俺はここにいる 15年前 僕らは出会った」という歌詞がある。そうだ、彼らは約束をしたのだ。自分たちは音楽をやるんだと。それは具体的な誰かとの約束ではなく、THE SNEAKERSのことに少しでも関心を持ってくれたすべての人たちとの約束だったのだ。その約束を、どんな苦労を超えてでも果たす。それは自らをアーチストと名乗る者たちにとって、最低限の、そして最大の約束なのだろうと思う。その約束をTHE SNEAKERSは守って、今日15周年の記念CDをリリースする。彼らのファンは幸せだ。そういう記念すべきCDをリリースすることが出来るというのは、それだけでレーベル冥利に尽きる。

 もちろん、リリースすればいいというものではない。ぜひ皆さんに買ってもらいたい。そして買ってもらうことで彼らの活動を後押ししていければいいし、その後押しが、20周年、30周年へと続くエネルギーになればいいと心から思うのだ。

 買う価値が、THE SNEAKERSにはあるぞ。

Saturday, October 15, 2011

悼む

 ソーシャルネットワークでは誰もが発言者だ。発言をするか、沈黙するかの二者択一だ。発言すれば注目され、沈黙すれば黙殺される。発言はある種の圧力を持って人に迫る。ああ、何をつぶやこうか。そんな毎日を送っている人も少なくないだろう。

 誰もがそんなにネタを豊富に持っているわけではない。だから、発言しやすいネタがあればすぐに飛びつく。そのひとつとして訃報がある。有名な人が死んだ。それは誰もが共通して語れるネタだ。だからみんなどんどんつぶやく。あの人が死ぬなんて。信じられない。まだ若いのに。悲しい。

 本当か? 本当に悲しいと思っているのか? 僕はウソだと思っている。いや、ウソは言い過ぎだ。だが、悼むにも資格はあるだろう。その人のことを過去1年にちょっとでも思ったことがあったのか。青春時代に大きな影響を受けたのか。実際にあったことがあるのか。その人がどんな人だったのか訃報を聞いてからウィキで確認しなきゃいけない程度の人のことは、悼んじゃいけないと思う。悼んじゃいけないというのも言い過ぎだけれど、あんまり知らない人のことを軽々しく悼んでばかりいると、本当に悼むべき個人的な人のことを、重々しくリアルに悼むことができなくなるはずだ。

 過去にもブログで書いたとは思うが、僕自身いつ書いたのか覚えてないし、一度書いたからそれを参照しろなんてエラそうなことを言えるわけもないのでまた書きたいエピソードがある。それはもう知ってるよという僕のフリークなんて人がいたら済みません。最初に謝りながらも筆は(キーボードは)進む。

 大学時代、体育館のような大教室で通年の授業を受けていた。出席カードを回収することで単位がもらえる、色に関する授業だった。カードを提出したら抜け出しても問題無し。だから大教室はいつもガラガラだった。僕はその授業が好きだったから毎週欠かさずに出席し、図解入りのノートもちゃんと取った。普段座る前から4列めの机はいつもなら実質的な最前列だった。試験はないのだ。出席だけが単位の条件だった。それでも僕は毎週ノートを取り続けた。その授業はずっと続いて欲しいと思っていた。

 しかし終わりは必ず訪れる。最後の授業の日、大教室は賑わっていた。前から4列めの指定席は既に埋まっていた。仕方なくその近辺に座る。いつものように授業は淡々と進む。僕の周囲を埋めていたのは見慣れない女子学生だった。そいつらが喋る喋る。うるさいなと思いながらも試験に出ない授業を、役に立たないノートに取るのに懸命だった。そしていよいよ授業が終わる。教授が最後の挨拶を始める。するとさっきまで喋りまくっていた女子学生たちが我れ先にと拍手をしだした。「この瞬間がいいのよねえ」と話していた。アホか。授業にも出ず、出ても聴かずに喋り、それで単位が取れれば良いという姿勢で、なんで「この瞬間」に感動出来るのか。僕は拍手に追随することもなく、1年の授業は終了した。

 感動と悼みは違う。だがそこに感情の揺らぎがある点では近いものがある。感動や悼みの対象となるもの(人)に対して、近しい人の感情の揺らぎは自然である。だが、遠い人の感情の揺らぎはまやかしに過ぎない。僕はまやかしの中に自分を置きたくないと強く思う。だから、ニセモノの感情が渦巻いているところに、いたくないと思う。

 昨日、有名な歌手が亡くなった。やはりいつもと同じようにお悔やみの言葉が並んだ。その中にはYouTubeのリンクを貼っているものも少なくなかった。おいおいと思った。だから僕はつぶやいた。「追悼で彼の人の曲をYouTubeでタダで聴く人たち多数。それは追悼じゃなくて香典泥棒ですよ。最期くらい敬意で曲を買え。」当然彼らは買わないだろう。だって、彼らは悼んでいるのではなく、ただ騒ぎたいだけなのだから。ソーシャルで発言するネタを拾っただけなのだから。

 タイムラインを埋めるお悔やみの言葉、あの大半は祭りだよ。もちろん中には心からのお悔やみもある。だが、大半の祭り状態の上辺的な言葉の中に、本物の言葉は埋没していく。だから、僕は訃報に際してもなにも言いたいとは思わない。埋没してもいいじゃないか。他人は他人だよ、本当に悼む気持ちがあるのなら埋もれてしまうことなど気にしなければいいはず。だから、僕は本当に悼む気持ちがある場合は心の中でつぶやいている。祭りの輪の中にいないことさえも、気にすることなどまるでないのだ。

Friday, October 14, 2011

中立性と自己中心的行動

 最近注目したニュースは、ベラルーシの専門家の話だ。「ベラルーシの民間の研究機関、ベルラド放射能安全研究所のウラジーミル・バベンコ副所長が12日、東京都内の日本記者クラブで記者会見した。東京電力福島第1原発事故を受け、日本政府が設定した食品や飲料水の放射性物質の基準値が甘すぎ、「まったく理解できない」と批判、早急に「現実的」な値に見直すべきだと述べた。」というもの。

 僕はこの副所長の意見に対してどういう見方をするべきなのか、少々迷うところがあった。なぜなら、このニュースはいくつもの要素を孕んでいると思ったからだ。

 まず、僕らは自分の見たい意見だけを目にしがちであるという現実があって、だからどうしても偏った考えに陥りがちである。放射能は危険だ、安全を死守せよという立場の人は、往々にしてもっと規制を厳しくせよと言う。その立場に対抗するような意見には激しい反論をするか、そうでなければはなから耳を貸さないという態度を取る。一方で原発推進の立場の人は、推進の理由が何であれ、推進に寄与する意見を大いに受け入れ、反原発に繋がる意見を排除したがる。僕は、両者の態度は基本として同じだと思う。

 そういう態度は、必ず間違いを犯す。完璧な人間はいないのだ。情報を完全に取り込むことができずに偏った知識で問題を見た場合、本人の理解力とは別に、誤った判断をしてしまうのだ。後に自分が間違っていたと気付いたとしても、そこからは引き返せなくなる。だから、どんな時も中立で公平な立場を維持し、両方の意見をちゃんと聞き、両方の意見に含まれている正しい部分と間違った部分を見極めるように務めることが必要だと思うのだ。

 僕は東京でさえ危ないと思って関西に移住したクチだ。東京が本当に危ないのかなんてわからない。危なくないのかもしれないし、危ないのかもしれない。それは数年後、十数年後にならないとわからないし、ある人には影響が出てある人には影響が出ないということだってある。インフルエンザが大流行しても全員がかかることはないし、流行していないのにかかって死んでしまう人だっている。だからこの放射能問題も何が正解なのかはわからない。ちなみにインフルエンザの予防注射も僕はやらない。かといって予防注射をする人が愚かだなんて言うつもりは無い。人それぞれが自分の考えで動けばいいだけであって、どれが正解なのかということは事前に判るものではないと思う。

 しかし、危ないことがわかってからでは遅いということで移住している。その場合、その選択が正しかったと思いたいという欲求は確実にある。誰でもそうだ。自分の選択が正しいと思いたい。そうでなければ日々を不安と後悔に包まれて生きなければいけなくなる。それはいやだ。だから、自分の選択が正しかったことを裏付けてくれるような話に乗りがちだ。原発がいかに危険かと、東電と政府がどれだけ極悪な組織なのかと、海も田畑も汚染されまくりだと、東京も住めたものではないと、そんな話についつい擦り寄ってしまう傾向は否定出来ない。

 でも、それに乗ってしまったら自分の中の公平な目というものは死ぬ。今は正しい結果を生み出せていたとしても、次に起こる何かの問題の時に必ず間違う。それを避けるためには、やはり中立な立場をいかにキープするのかについて心を砕く必要があると思う。

 そういう思いで今回のニュースを見たとき、ベラルーシという単語をなぜ今ここで持ち出さなければいけないのかということが疑問として頭に浮かぶ。そして、日本の飲料水の基準が暫定で200ベクレル/kg。ベラルーシは10ベクレル/kg。20倍の開きがあるという。この時、どの基準が正しいのかはなかなか判らない。ベラルーシがそうなっているだけで、10ベクレル/kgというのは本当に正しいのかはわからない。本当は100が正しい値で、日本が高過ぎてベラルーシが低すぎるのかもしれない。「ベラルーシでは内部被ばくの影響を受けやすい子どもが摂取する食品は37ベクレルと厳しい基準値が定められているが、日本では乳製品を除く食品の暫定基準値は500ベクレルで、子どもに対する特別措置がないことも問題視。「37ベクレルでも子どもに与えるには高すぎる。ゼロに近づけるべきだ」と指摘した。」とあるが、実はここが大切で、10ベクレル/kgだって高すぎるということなのかもしれない。だとしたら10も200も同じく危険だといえるだろう。自然界にも放射性物質はあって、だから生きている限り常に危険という究極の諦めに突き当たるもいいだろう。
 
 要するに、本当に正しい値など判らないのだ。ベラルーシの値より低くても影響が出る場合だってあるし、日本の値より高くても影響がない場合だってあるだろう。僕がベラルーシの副所長のニュースを見て感じたのは、ベラルーシから来ている人の言うことだから絶対に正しいという思い込みが生まれるなという点だ。彼が嘘を言っているというのではない。彼の言うことさえ、正しいかどうかなど判らないのだ。そのことを前提として考えていかないと、必ず間違う。だって、25年後に日本の専門家は海外で事故が起きた時に必ず何かを発言するだろう。その人の言うことは完全に正解なのか。そうじゃないだろう。その人がどういう立場で日本の事故を見ているのかによって答えは必ず変わる。御用学者的な安全論や、自治体の長のような安全論を言う人だって絶対にいる。武田氏や小出氏のような危険を伝えようとする人も絶対にいる。ベラルーシから来た人が必ずしも大正解を持っているとは限らないのである。だからこれも一つの意見として、他の多くの意見と併せて咀嚼していくことが求められているのではないかと思う。

 
 中立性をもった見方をしなければいけないというのは、正しい判断をする上でとても大切だと思うし、それなくして正しい行動は有り得ないと思う。だが、中立性をあまりに重要視すると、今度は中立を見極めることに主眼が移り、結局何の判断も行動も導きだせなくなってしまうだろう。それは本末転倒だ。政治の世界でも「議論を尽くせ」とよく叫ばれる。もちろん議論は大切だ。そして議論をする人たちがすべて中立性を重んじる思考の持ち主であれば、一定の議論を尽くしたところで結論を出せるだろう。しかし、議論をする人たちに中立性が無く、自分の立場を叫ぶだけの、議論に不向きな性質の人たちだった場合は、議論百出したところで結論など出ない。それが個人の中で展開されると、自分の次の行動さえ決まらないということになってしまう。それはダメなのだ。

 最近はいろいろな圧力が世の中に蔓延している。同調圧力というのもその一つだ。「一つになろう日本」というスローガンが震災直後に蔓延した。なんで一つにならなきゃいけないのかという議論をすっ飛ばして「一つになろう」だ。これはたまったものじゃない。先日もこういうつぶやきを目にした。「東北の農作物を食べないという人はいい。しかしオレは食べるよ。食べない人に食べない自由があるように、食べる人にも食べる自由がある。だから出荷するなということを言う人のことを絶対に許さない」と。許さないと言われるとちょっと動揺してしまう。これが、圧力だ。

 先のつぶやきには、欠点があると思う。もちろん食べる自由も食べない自由も存在する。それは煙草を吸う自由と吸わない自由がそれぞれあるのと似ている。だが、タバコはタバコであり、それを買って吸えば吸えるし、買わずに吸わなければ吸わずにもいられる。副流煙を拒絶する人の為に禁煙スペースが設けられ、それも最近はむしろ逆転して喫煙スペースが設けられて、それ以外ではなかなか吸えないという状況になっている。だが、東北の農作物はタバコとは違う。もっと言えば東北という括りも本来おかしい。それを拒絶しようとする人は東北が憎いのではなく、放射性物質による汚染を恐れているだけなのだ。だから、個別にどこでいつ採れた作物なのか、そしてそれにはどのくらいの放射能が検出されているのかを明示すればいいのだ。そうじゃなくて、作物それぞれにベクレル表示などされず、場合によってはいくつかの米をブレンドすることで「国産」という表示だけでいいということになってしまっている。そんなことをされるのであれば、もう出荷そのものを止めて欲しいという極端な意見が増えているだけなのだ。それは例えて言えば、タバコをタバコとして売っていて、それを吸えば肺がんの恐れがありますよと警告文まで表示して、それでも吸うのならどうぞご自由にという話であって、もしも販売している米の中に、米と同じ形状のタバコが含まれていたとすればどうだろうか。ほうれん草の中に煙草の葉が判らないように混ぜられていたらどうだろうか。そういう危険を感じるような状態で「食べる自由もあるから、出荷するなという声は許さない」というのが、かなり間違ったものであるのは自明のことだと思うのだ。

 それでも、食べるよという人は黙々と食べていればいいし、出荷するなと言う人はそれを言い続けていればいいのだと思う。どちらも極端だ。だが、それぞれが安心して暮らしていくための基準や価値観が違うのだから、一方を責めたりするのは間違いだし、責められたとしても、毅然として自分の信じる行動を続ければいいのだと思う。それは正しい自己中心の姿勢だと思う。

 僕らは中立性をもった視点で自らが信じられる答えを出す権利がある。中立性を失うと間違った答えを出す恐れが高まるので十分に気をつける必要があるわけだが、気をつけさえすれば、その結果出した答えに従って、誰が何と言おうと自ら信じる生き方をすればいいと思う。そのために、ベラルーシの人の意見は有益か、武田教授の意見は有益か、官房長官の意見は有益か、東電の説明は有益か、裁判所の判断は有益か。いろいろと考えながら生きていくのは難しい。

Tuesday, October 11, 2011

ミノタウロスの皿

 ブログタイトルは藤子・F・不二雄のマンガである。ウィキペディアによると1969年の作品。僕は中学か高校の時に読んだような記憶がある。

 簡単なあらすじはこうだ。宇宙船である星に辿り着いたら、そこには地球の牛のような生物が支配しているところで、人間のような生物が「ウス」と呼ばれて飼われている。家畜の「ウス」は食用で、その年のもっとも育ちの良い「ウス」が最高級の食材として「ミノタウロスの皿」として祭典で饗される。主人公は「ウス」の女の子に恋をするが、その子が次のミノタウロスの皿に選ばれる。主人公はなんとか助けようとするが、女の子自身が「ミノタウロスの皿に選ばれることは名誉なこと」だと考えている。

 ミノタウロスというのはギリシャ神話に登場する牛の顔を持つ怪物で、ミノス王がポセイドンを裏切ったため妃が呪いをかけられ、このミノタウロスを生むことになる。「ミノス王の牛」を意味するのがこのミノタウロスという言葉だそうだ。ミノス王はこのミノタウロスを迷宮に閉じ込め、ミノタウロスの食料としてアテネの少年少女を迷宮に送り込んでいる。

 現代では起こりうべくも無い話だ。だが宇宙には何があるか判らない。神話でも人間界の常識は通用しない。しかし、神話にもマンガにも寓意は存在する。それは仮定の話の中に純粋な構図を作ることで、人間世界にあるリアルを閉じ込めるということなのかもしれない。僕も中学か高校の時に読んだこのマンガに、何かを感じた。価値観とは何なのか。僕らは普通に牛を食べている。牛は人間に食われるために育てられている。なぜ人間は家畜を飼うことを、そして食うことを許されるのか。立場が変わったら、僕らも食われることを名誉に思う必要があるのか。人間は牛の言葉がわからない。だから何を思っているのかなんてまったくわからない。食われることを良しとして生きているのか。それとも抗いたいという思いがあるのか。そもそもそんな価値観なんてものはまったくないのか。だがマンガの中では「ウス」は喋る。食べられることを名誉だと考えている。支配層の牛も「ウス」が食べられるのは当たり前だと考えている。姿形が逆転するその世界のことを、僕らは容認すべきなのか、それとも否定すべきなのか。

 中学高校の頃に考えたのはおおよそそういうことだ。しかし今、僕はちょっと違うことを考えるようになってきている。

 社会の中で生きる場合、そこのシステムから逃れることは難しい。もちろんガチガチに支配される社会もあれば、比較的個人の自由裁量がある社会もある。日本は比較的自由な社会だと思う。それでも何でも好き勝手ということは許されない。

 好き勝手ではないということは、社会のシステムが個人の自由を抑制する要素があるということだ。抑制すると反発を生む。社会が上手く回るためには、その反発を抑えなければならない。抑える方法は大きく分けて2つだ。ひとつは、締め付けだ。法的な強制力を支配者側に与えることで、市民はそのシステムに従わざるを得なくなる。そしてもうひとつは、理由付けだ。何故そのシステムに従うべきなのかについて、肯定されるべき理由があれば、人は反発をやめる。名誉を与えるということもいいだろう。勲章が欲しくて命を投げ出す人たちもいる。名誉でなければ経済的インセンティブもあるだろう。優遇政策は有効な手段だ。その他に、価値観の付与という方法だってある。社会のモラル、美徳というものだ。倫理が大事なのはそういう理由もある。

 40代後半に差し掛かった僕の子供の頃の将来像というのは、勉強ができれば褒められるというものだった。だから勉強をする。成績が良くなると褒められる。いい大学に行けばいい就職ができる。そうすればいい人生を送ることが出来る。是非はともかく、それが一つの価値として信じられていた。だから受験戦争という言葉も一般的だった。いい就職をしたいかどうかは別にしても、同級生よりもテストの点がよければ単純に嬉しかった。先生からも褒められる。親からも褒められる。成績が良いということは当時の社会のシステムの中では重要なことだった。そのためなら、高校生という楽しい時代に遊ぶということを犠牲にして勉強に打込むのも当たり前だった。それが当時の価値観だったといってもいい。

 しかし今、いい大学でいい就職という路線が幸せと直結するのか、かなり怪しくなってきた。そもそも幸せって何なんだろう。そういう疑問はさておいても、いい大学いい就職ということで得た人生よって生涯の安心が得られるのか。社会情勢の変化によって安定は次々と揺さぶられる。優良企業だったはずの会社が傾き、リストラに遭う同級生も少なくない。

 今、日本は激しく揺さぶられていると思う。それは景気の問題だけではない。国家財政の先行きの不透明さから来る将来設計の危うさは今に始まったことではないが、それに輪をかけるように、東北の震災と、それによってもたらされた原発事故と放射能汚染。日々の暮らしで安全に息をして安全に水を飲み安全にものを食べるという、そういう基本的な部分まで脅かされている。将来の経済的な安心だけではなく、健康の安心までもが脅かされている。その中で、僕らは生きていかざるを得ない。明らかに年初とは状況が変わってしまったのだ。

 それなのに、変わらなかったかのように暮らしている人も少なくない。不安など無いように以前と同じ暮らしをしている人が驚くほど多い。それは一体どういうことなのだろうと、心から不思議に思う。

 思うに、この現状はミノタウロスの皿なのではないだろうか。様々な理由から、自らが食用として生かされ、望まれる最高の状態で食卓に供されることを望んでしまっている人が多いのだ。そこに価値を見いだし、それを目的として日々を過ごし、多くの人に賞賛されることで喜んで自らの命を提供することをやぶさかではないと思い込んでいる。それに対して違う価値観の人間がいくら叫んで、考えを改めさせようとしても、そんな声など届きはしないのだ。社会のために、自分に出来ることを全力でやりたい。多少の自己犠牲があったとしても、それは社会のためになるのなら喜んで犠牲になろう。そう思っている人に、別の価値観から怒る声など何の意味も持たないのだ。


 あなたの価値観とはなんですか。あなたの人生は何のためにあるのですか。あなたが信じている人生の目的とは、食べられることを最大の喜びと信じて疑わない「ウス」の目的と同じなのではないですか。僕の価値観は違います。食べられたくなどないのです。自分の人生をかけて誰か他人の胃袋を満腹にしたいなどとは思わないのです。だからそんな目的や価値観を強制されることからは逃げますよ。どこまでも力の限り逃げて、食われたりしないように頑張りますよ。たとえその逃亡の努力には限界があって、この社会のどこにも逃げ場などなかったとしてもです。

Sunday, October 09, 2011

魂の行方

 今日の昼間、奥さんが借りてきたDVDを一緒に見た。今年の春頃に見たいなと思っていたものの機会を逸した映画だった。感想をちゃんと書くとどうしてもネタバレになるので、映画のタイトルは伏せておきたい。知りたい人がもしもいらっしゃったら、Twitterで質問してください。

 普通の学校生活のようなシーンが続く。だが、映画の中の学校は普通の学校ではない。その異常さが断片的に描かれるものの、基本はやはり普通の学校のように見える。異常な学校で行なわれていることは異常な欲望のための犠牲なのだが、その犠牲になることを生徒は受け入れる。それを見ていて、「ああ、これは異常なシチュエーションの異常な物語ではないのだな、僕らの周りにある普通の学校で行なわれていることと基本的に同じことを描いているんだな。普通の中にある異常性を、異常な世界での普通の生活に仮託しているんだな」と思った。

 学校を卒業した後、主人公はある期待を持って学校関係者に会いに行く。学生時代に描いた絵について、それが生徒の魂が優れているかどうかということを証明してくれるはずだという期待だ。しかしその場に突如現れた元校長はこう言い放つ。「絵を描かせたのは魂が優れているかどうかを見るのではない。魂があるのかどうかを見るためだ」と。

 魂があるかどうかを見ると言う元校長と、魂があるかどうかを疑われている元生徒。本当に魂があるのは一体どちらなのだろう。この学校の教育は、生徒のためにあるのではなく、学校側のためにあるのだ。さらには、学校がどういう存在を社会に送り出してくれるのかについて期待している社会のためにある。これは僕らの学校にもいえるのではないか。頑張って勉強して、場合によっては青春時代を犠牲にしてまでも成績のいい生徒が生まれるのは何のためなのか。社会が上手く回るため、企業がこき使う人材を獲得するためなのではないだろうか。まあそこまで露骨じゃないにしても、教育はある意味矯正であり、社会に適応するためという意味合いがある。それでもその矯正で個々が幸せになれればいい。だが、幸せという定義についても教育で叩き込まれた場合、その幸せは幸せなのかという問題に突き当たる。映画の主人公たちも、自分たちの運命について、涙を流しながらも受け入れてしまっている。

 僕らも自分の運命とやらを受け入れるしか無いのかな。そんな自分に「魂があるかどうか」を疑ってて、それを当然と思っている「校長」的な立場の人は誰なんだろうか。

 でも、僕はこの世の中でそういう学校や仕組みには抗いたいよ。自由に生きる権利があるんだよって、この映画を観て思った。


 題名を言わずに感想を書くのって、難しいね。でもネタバレを恐れてなにも書かないよりはずっと楽しい。この作品は奥さんが翻訳を読んですごく感動してて、それで僕も読んだ作品。小説を読んでから映画を観るとどうしてもダイジェスト的になってしまって薄っぺらくなるものだ。この作品も全編を余すことなく描こうとすると表面的にストーリーを追うことになるのかもと思って観てた。前半はかなりのペースで展開して行って、おいおいそこをそんなに端折るのかよって正直思った。この学校の異常性はかなり後半になって判っていくのだが、それがかなり最初の段階で示されてしまう。だが、小説で比較的軽く書かれていた後半以降の部分を映画では細かく描写していて、それで物語にも深みが出ていた。小説の映画化は斯くあるべしと思った。小説とはまた違った意味で、秀作だと思う。

Friday, October 07, 2011

読んでいる本

 英語本読書の日々を一旦休止し、最近は日本語の本を少し読んでいる。堀江敏幸のゼラニウムという短編集を読んだ。名前は知っていたものの読んだことがない作家だったけれど、先日エッセイ集の中で「水野忠雄先生のこと」という一文があって、それを立ち読みして気になるようになった。水野忠雄というのはロシア語の教授で、私も早稲田で授業を受けたことのある人だ。水野先生は昨年亡くなった。僕は卒業以来親交など無かったのだけれど、一昨年だったか、同級生で今は新聞社のロシア支局長を務める友人の結婚式に出席され、僕とは隣のテーブルになった。在学中からふくよかな方ではなかったけれど、一昨年拝見したときはさらに痩せ、眼光鋭い老人になっておられた。だがロシア語を教えていただいた約20年ほど前は、目もとが柔和で優しい印象の人だった。堀江氏のエッセイでは、そういう水野先生の柔らかく人懐っこい感じが描かれていた。それで、作品も読んでみようと思ったりしたのだった。

 他には、吉田修一の新作『平成猿蟹合戦図』を読んだ。面白いと評判だったが、個人的には終盤で無理矢理つじつまを合わせたような印象で、なんかイマイチだった。結局兄は一つのパーツとしてそこにはめられているだけだったのか、暗くて不幸な人という以上の人間描写があるべきだったんじゃないのかという気がする。ストーリーを展開することに登場人物をはめていくべきなのか、それとも登場人物が描かれることでストーリーが展開されていくべきなのか、その辺は諸説あるだろうし、僕が絶対に正しいという自信も無い。が、自分としてはストーリー構築的には少々ご都合主義的だったのではないかなあと感じたのである。じゃあ自分に書けるのかと言われれば全くそんな自信はないし、芥川賞作家に素人が何をいうのだという気もしないではないが。

 で、現在読んでいるのがグレッグ・イーガンの『万物理論』。1995年に描かれた2055年の世界。ここで主人公は情報採掘ソフトに「○○について僕は約120時間で精通する必要がある。それは実行可能か?」と声で指示をする。するとコンピュータはある単語について知っているのかと主人公に問い、その単語への主人公の認識度合いを確認してから「120時間あれば話を聞きながら相づちを打てるようになるには十分です。当を得た質問をするには足りません」と答える。主人公が「ではどのくらい?」と聞き「150時間です」と答える。

 現在は2011年だ。執筆時からは16年が経過している。16年前とはどういう時代なのか。Netscapeのバージョンがまだ1の頃。その2年前にmoziraが開発された。例のWindows95が発売されるのがその年の末である。当時はまだ「ホワイトハウスの犬(のムービー)が見られる」「ある大学のコーラの自販機が売り切れているかどうかがモニターできるんだ」と喜んでいた時代だ。その頃、自分がある問題に精通するのに何時間必要かを答えてくれるソフトを想像しているというのがすごいなあと思う。現在はわからないキーワードを打込めば即座に答え(らしきもの)を返してくれるという状況まで来ている。そういう状況になってくると、この本に描かれている未来は、執筆当時よりもリアルな近未来に思えてくるし、だから、そういうソフトが登場するということは荒唐無稽というものでなく、むしろそこまでの壁は何なのかということがより理解できる。とても面白いなあと思う。

 そこで描かれているシドニーでは、2030年代あたりから都心部の衰退が始まって、オフィスや映画館、物理的実態を持つ美術館などがみな時を同じくして廃れたという。小売店舗も都市部には存在しない。もちろんこれは小説の中の描写に過ぎないのだが、あまり非現実的なことだとも思いにくい。それが良いのか悪いのかという議論とは別に、確実にそういう方向へと向かって行っているような気がする。そういう意味で、この小説はとても面白いと思う。2055年まではあと44年あり、僕自身がその近未来を体験することが出来るのかどうか判らないが、小説はそういうことを疑似体験させてくれる。面白いなと思う所以である。


Thursday, October 06, 2011

普通の日

 僕は今こうして普通に会社で仕事をしている。朝に大きなニュースが入ってきたものの、こうして普通に会社へとやってきている。ツイッター上では悲しいと、大きな喪失感と、涙が止まらないと、多くの人が多くの声だ。そりゃあ僕も驚いたけれども、こうして普通に仕事をしている。

 親が死んだら、普通は会社を休むだろう?

 最近は誰もが声を上げられるし、その声を多くの人に届けられる。だから調子に乗っちゃってまあ、我こそはもっともその人のことを理解しているかのようなパフォーマンスが繰り広げられるのが、なんか気に入らない。ホームページにかの人の写真をドーンと載っけたのは誰だ?その人はどこでどうやってその写真を準備したのだ?仕事だろう。御大の様態が芳しくなくて、だからいつでもその日が来てもいいように、前々から準備をしていたのか。

 ストアには献花がされているという。そのストアは、ロゴマークの看板の電気を落としたというが、それでも営業はしているのだ。札束を持って銀色のヤツを買いに行けば売ってくれるのだ。仕事をしているのだ。みんなバリバリ仕事をしているのだ。

 それでいいと思う。親が死んだのではないのだ。普通に過ごせばいいのだ。感傷などクソくらえだ。

 長年の友人が電話をかけてきた。僕も彼も、機械がもたらした可能性に夢を託して独立したクチだ。そして、かの人の年齢が実感よりも若かったことに考えさせられたと言った。2分ほどその話をして、今一緒にやっている仕事の話に移った。立ち止まっている暇などありもしない。

 そうして今日という1日は過ぎていく。明日も同じように過ぎていくだろう。あなたは今日、悔いのない1日を過ごしましたか。明日も悔いのない1日を過ごせそうですか。たとえ明日が自分の最後の1日になったとしても悔いのないくらいに?

 その問いにこたえることが、僕らの悼みなのではないだろうか。彼のスピーチを何回か聞いて、改めてそう思った。


 とはいえ、一つの時代に区切りがついたことは間違いないことだと思う。